小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

一部から全体を言い表すおしゃれ表現

小野先生 : 「梅雨」は中国のことばで、日本には平安時代に入ってきました。そのころは、音読みで「ばいう」と呼ばれていました。
語源は、梅の実が熟す季節に降る雨、という説が有力ですが、実は「黴雨(ばいう)」とする説も。「黴」はばい菌の「ばい」で、「かび」とも読みます。

筆者 : カビが繁く発生する季節の雨というわけですね。説得力のある説だと思います。

小野先生 : 「梅雨」を「つゆ」と呼ぶようになったのは、室町時代のことです。雨の水滴から、露(つゆ)を当てたのですね。これは、一部を言い表すことで全体を示す「喚喩(かんゆ)」という表現です。「ホワイトハウス」と言って米国政府を表したり、「お茶する」と言って何か飲みながら休憩するのと同じです。

筆者 : 最近の新語では「親ガチャ」などはおもしろい換喩ですね! スマホゲームでキャラクターやアイテムを入手する「ガチャ」や、カプセルトイの「ガチャガチャ」みたいに、「自分の意志では選べない」というところから、子どもが親を選べないことを喩えています。
「梅雨=つゆ」も同じようにウィットのある、洒落た表現ですね。

関西の方言が標準語に

小野先生 : 日本の風土では旧暦の5月は、農作物はじめ植物の成長に大変重要な時期です。それだけに意識は高く、「梅雨(つゆ)」以外にもさまざまなことばがうまれています。
「五月雨(さみだれ/さつきあめ)」「入梅(にゅうばい)」「ながし」などですね。

筆者 : 「ながし」は初めて聞きました。

小野先生 : 九州などで使われたことばです。雨が「長い」のか、雨が「流す」のか、語源は定かでないのですが……。
ところで、「つゆ」は元は関西の方言で、江戸時代まで関東では梅雨の時期全体を指して「入梅」と言っていました。近代以降、関西のことばが標準語になるのは珍しい例だと言えます。

筆者 : へえ〜! 他にも例はあるのですか?

小野先生 : 「しあさって」は関西の方言でしたが、今では標準語となっています。今でもことばは残っていますが、関東では「やのあさって」が使われていました。

「ながあめ」と「ながめ」の掛詞

小野先生 : 現代人にとって「梅雨」はどんな季節でしょうか?

筆者 : 先ほどおっしゃられたとおり、農作物の成長に重要な季節ですし、空梅雨だと水不足も心配になります。長い雨が大事なのはわかっていますが、個人としては洗濯物も干せず、外で遊ぶこともできない……。どちらかといえば嫌な季節だと考える人が多いのではないでしょうか。

小野先生 : そうですね、昔の人も良い季節だとは思っていなかったでしょう。けれど、外に出かけられない分、物思いと省察に時間を使うことができます。長雨はしばしば、遠くを見ながら物思いにふけるという意味の「眺め」に通じました。

『花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に』

現代語訳:花の色はむなしく褪せてしまった。長雨が降る中、物思いにふけっている間に私の美しさが衰えたように

「ながめ」は「ながあめ」との掛詞になっています。

筆者 : 季節、天候への繊細な感覚が見えてきます。今年の梅雨は、私も少しでも省察の時間を作れたらよいと思います。

まとめ

「梅雨」は中国から入ってきたことばで、「つゆ」の読みが当てられたのは室町時代のこと。これは雨の水滴(露)という一部をとらえて物事の全体を言い表す「換喩」という比喩の一手法。おしゃれな表現が受け入れられたためか、関西の方言だった「つゆ」が、近代移降に標準語となった珍しい例。

長雨は眺めに通じ、梅雨は物思いにふける季節でもある。雨の日に、じっくり自分を振り返ってみるのも、有意義な時間になりそうだ。

取材・文=小越建典(ソルバ!)