小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「たち」は複数形+相手を尊敬することば

小野先生 : 「友達」は奈良時代からあることばです。「とも」とは一緒に何かをする、フラットな関係を指します。派生して「ともなう」という表現もありますね。

筆者 : そのフラットな関係性を示す「とも」に、複数を指す「たち」が付いて「友達」でしょう。現代の「友達」と意味は変わりません。今回の解説は随分シンプルですね!?

小野先生 : ところがそうでもないのですよ。「たち」のほうに注目してみましょう。
もともと、日本語で複数形を表すことばは「たち」「ども」「ら」といくつかあります。敬語性(待遇性)の働きを併せ持っています。

筆者 : どういうことですか???

小野先生 : 「たち」は上位待遇といって、自分より立場が上の人を指していました。ちょっとむずかしいですが、皇室など高貴な身分の人たちを指して「公達(きんだち)」と言います。
反対に「ども」は下位待遇といって、自分より下の立場の人を指します。『ワンピース』のルフィは「野郎ども!」と叫びますが、「野郎たち」とは言いませんよね。
「ら」は卑称といって、人をいやしめるときにも使うことばでした。今ではそのニュアンスは薄れていますが、「おれら」「君ら」といった表現は本来、自分たちや相手の集団を卑下する言い方だったわけです。

筆者 : 「ら」は卑下とまでは言いませんが、今でもくだけた表現ではありますね。

小野先生 : もうひとつ、複数形を表す方法として、同じことばを繰り返す「畳語」があります。「家々(いえいえ)」「木々(きぎ)」「人々(ひとびと)」などで、これらに敬語性はありません。
ものや状態に多く使われるのが畳語です。敬語性がある「たち」などの複数形は、人間以外には用いづらいのです。

筆者 : 複数形を表すことばが、上下関係まで示しているとは知りませんでした。英語の「s」とは、全然違いますね。

小野先生 : 上下というより、日本語は相手との関係性をとても重視する言語です。自分を「ぼく」「おれ」「わたし」、相手を「あなた」「きみ」「おまえ」と、人称にもさまざまな表現があります。

友は大切な存在だから「友達」と呼ぶ

筆者 : 「友達」は上位待遇ということですよね? けれど、友達との間に上下はなく、「とも」の原義からしてもフラットな関係であるはずです。

小野先生 : はい、「たち」は「ども」や「ら」と同じように敬語性は、時間とともに薄れています。ただ、近しい関係性、距離感を示しているとは言えそうです。
「庭の花たち」「我が家の犬たち」と、人間以外のものに「たち」をつけて呼ぶことがあります。これは上位待遇でものや動物のランクを上げて、親しみ、距離の近さを表現しているのです。「友達」の「たち」にも同じようなニュアンスがあると思いますよ。

筆者 : 敬語性は完全に消えてはいない、ということですね。一方、複数形としての「たち」はどうでしょう? 「君は大切な友達だ」というように、単数でも使います。

小野先生 : 自分と「友達」は、その関係性こそが重要なのであり、だんだんと単数、複数で区別しなくなったためです。しかし、関係性においては近しく親しい存在ですから、「友」ではなく上位接遇である「友達」の呼び方が残りました。

筆者 : 単に一緒に行動するだけでなく、大切な存在だからこそ、複数も単数も関係なく「友達」なのだと。人間関係の大事なヒントをいただいた気がします。

まとめ

「とも」は何かを一緒に行うフラットな関係を表すことばだった。「たち」にはもともと、①複数形②上位接遇の意味があるけれど、「友達」においては①の意味が抜け落ちて、薄いながらも②が残った。「友達」は自分に近く尊い存在だから、上位接遇がふさわしいというわけだ。ニュアンスの微妙な変遷から、日本語の繊細さが感じられる。

取材・文=小越建典(ソルバ!)