屋内から野に放たれたイスたち
バス停の横などに置かれた、明らかにオフィシャルな待合用のイスではないと思われるイス。オフィスチェアやダイニング用など、イスのデザインもさまざま。Mr. tsubakingさんは、別のシーンで使われた後に野に放たれたイスを「野良イス」と名付け、記録を続けている。
初めて撮ったのは2015年。バス停を取り囲むように並んだ色とりどりのイスだった。
「バス停に5脚並んだイスに目が留まりました。来歴が違うけれど集まったイスたちにグッときたんです。最初は『野良イス』とは名付けてはおらず、『なんかいいな』という感じで撮り集めていました。一年くらい経った頃、降って湧いたように『野良イス』という言葉を思いたんです」
Mr. tsubakingさんは主に3つのポイントから、路上のイスを「野良イス」として定義している。
「1つ目は、“外イス”ではなく本来室内で使うために作られたイスである、ということ。2つ目は、“捨てイス”ではなくちゃんと使われようとしているイスである、ということ。3つ目は、ラーメン屋の行列用など意図的に外に出されたような“飼いイス”ではない、ということ。この3つが、野良イスの定義です」
野良イスのある風景をこれまで約300枚も写真に収めてきたMr. tsubakingさんいわく、野良イスの発生場所の筆頭格はバス停だそう。
「9割9分、バス停ですね。まれに地域のおじいさんおばあさんが散歩道にしているような緑道や、地域の人が喫煙所にしているスペースに出没することもあります」
また野良イス文化は地方にはあまり見られず、ほぼ東京に集中している、という興味深い傾向も見られるそうだ。
「日本の野良イスは東京に集まっていますね。東京の街でいうと、高円寺や十条、あとは東京拘置所周辺の幹線道路沿いにもたくさんありました。
以前大阪で野良イスの話をした時、あまりピンとこないと言っていた人が多かったのが意外でした。都市部、特に東京に集中しているのはなぜだろうと考えた時、おそらく東京はバンバンとバスが来るので、家を出る時にバスの時間をあまり調べない。そうすると、10分、15分と待たなければいけないシーンが出てくる。
僕は福岡の大牟田の生まれなんですが、大牟田のばあちゃんは家にバスの時刻表を貼っていて、到着時間に合わせて家を出発するので、バス停で待つ時間は少ないんです。また地方は道路が広いので、バス会社がベンチを用意してくれている場合も多いですね」
「野良イスを1匹見かけたら、その通りに20匹は居る」
野良イスは、同じバス停の周りやバス沿線など、近いエリアに集まりがちでもある。
「バス停で野良イスをひとつ見つけたら、次のバス停にもたいてい野良イスがあります。空き缶が捨てられている周辺に空き缶が集まってしまうように、野良イスが発生している周辺には野良イスが集まってきますね」
「野良イスを1匹見かけたら、その通りに20匹は居ると思った方がいい」という格言は、僕がひとりで言ってるやつ。
— Mr.tsubaking (@Mr_tsubaking) July 25, 2021
まずは、この通りで最初の野良イスを発見。
果たしてこの先にあるのか。#野良イス #路上観察 pic.twitter.com/BWMeDlnf5x
ヘンゼルとグレーテルがパンくずを少しずつ置いていくように、同じデザインの野良イスが近隣に点在していることもあったという。
「バス停の横にダイニング用のイスの野良イスを見つけて。そのまま歩いていったら、次のバス停にも同じイスがありました。『もしや、さっきのと同じ家庭から出てきたやつなんじゃないか……?』 と想像が膨らみました。同じバス路線で3脚……あ、“3匹”見つけて、もともとは絶対4脚セットのイスのはずなんだけどなって思いながら戻っていったら、なんと反対車線のバス停で4匹目を見つけたんです」
野良イスを通して、そこにはいない設置した人の気配が感じられる。バスを待つ人のことを思いせっせとイスを運んだ誰かの姿を想像すると、なんだか愛らしい。
「同じ人が置いてるんじゃないかってくらい、似たようなイスが代替わりしている場所もあります。野良イスは、かつての野良イヌのように、ある種地域で見守られ、地域の人がゆるく管理しているもの。雑巾がぶらさがっている野良イスもあるんですよ。『野良イヌ』と『野良イス』は近い存在。『イス』を『イヌ』に空目するよう、あえてカタカナ表記にこだわっているのもそこです。
野良イスが何年も置いてあるようなバス停は、地域の人もちゃんと分かっているのか、クッションのないイスを置くんです。クッションが入っていると風雨にさらされてすぐにダメになってしまうので。たまにクッションありの野良イスに座ってみると、その日は晴れていても2日前に降った雨が染み込んでいて、腰をぐじゅっとやられてしまうことも。このことを『野良イスに噛まれた』って呼んでいます」
路上での「第二のイス生」
野良イスを巡る現象にユニークなネーミングを当てて鑑賞しているMr. tsubakingさんの言葉とともに、あらためてこれまで撮影された野良イスの写真を眺めてみると、ただのイスではない独特の哀愁や味わいが漂って見えてくる。
「野良イスって、屋内で活躍したイスたちが『第二のイス生』として働いている状態だと思うんです。人間でいうと、かつてはホワイトカラーで部長とか専務とか言われながらバリバリ働いていたけれど、引退して駅前の100円の駐輪場で働いているシルバー人材派遣のおじいさんたちのような。
屋内から外に出されて元の役割じゃないことを担って、しんどいでしょうが、風雨にさらされながら健気に頑張っている野良イスにも、同じような切なさや愛らしさを感じるんです。
鑑賞のポイントは、そのイスの『第一のイス生』を想像すること。こんなダイニングに置かれて、こういう家族構成で使われていたイスだったのかな……みたいに想いを馳せるとぐっと来ます」
バス停とともにある野良イスの場合、バス停の動向が第二のイス生の進退にも影響してくることもある。
「野良イスはほとんどバス停に置かれているので、『バス停が死ぬと野良イスが死ぬ』んですよ。杉並区のとある路線のバス停が閉鎖になった時、バス停の横に置かれていた野良イスも折りたたまれていたのが印象的でした」
イス生も、ここが本当の引退かもしれないと思うと、いっそう哀愁を帯びてくる。
野良イスは、公と私のはざまを揺れ動くという意味でも切ない存在でもある。
「野良イスって一見善意に思えますが、不法投棄の端境にあるもの。一方で、個人が勝手に撤去するのもダメみたいなんです。行政の場合も『撤去します』という告知を一定期間出して、煩雑な手順を踏んでから撤去しないといけない。『持ち主の人は持って帰ってください』という貼り紙が貼られたまま、何年も経ってしまった野良イスもあります。一度置かれたら最後、前にも後ろにもいけないという状況も含めて、切ない存在ではありますね」
愛しさと哀愁……想像を重ねることで膨らむ味わい
地図には載っていない野良イス。車や電車などの車中から偶然見かけ、後日時間を作って再度見に行くこともあるのだとか。
「東京拘置所の周辺は、車で通っただけでしたが野良イスがめちゃくちゃ出没していました。まだ歩けていないので、歩きに行きたいですね」
拘置所からシャバに出て、バスを待つ人のためのイスだろうか。拘置所周辺の野良イスを巡る、背後の人生劇場にも思いを馳せたくなってくる。
さらに今、Mr. tsubakingさんがもう一つ気になっているのは「鬼門散歩」だそう。
「家から鬼門=東北の方角に地図でガーッと線を引いて、なるべくそれに沿うように道を歩いていくんです。沿道上にあるお寺や神社、教会、小さなお稲荷さんの祠など、とにかく神様っぽいものに全部お礼を言って歩く、という散歩です。職場が別であれば、職場からの鬼門散歩ができますし、気分を変えたければ反対側に伸びている『裏鬼門』でもできます。
鬼門上にある『ラッキー野良イス』を見つける散歩もしてみたいですね」
ご実家がお寺で、仏像検定1級をお持ちのMr. tsubakingさんならではの散歩の仕方だ。
街のゆるさやグレーゾーンを体現するような野良イス。ふいに出会えるものだからこそ、想像を重ねたり複数の視点を重ね合わせたりすることで、味わい方が増幅する。
取材・構成=村田あやこ
※記事内の写真はすべてMr. tsubakingさん提供