今回はヒロインたちと『カムカムエヴリバディ』妄想散歩。BGMはもちろんドラマ主題歌、AIの「アルデバラン」と、通奏低音として響き渡ったルイ・アームストロング「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」だ。

安子をはじめ多くの人々の人生を変えた、岡山空襲を想う

まずは、1代目ヒロイン安子とともに岡山を歩く。その前に安子編のストーリーを振り返ってみよう。

橘安子(上白石萌音)は岡山市にある和菓子店『御菓子司たちばな』の長女として1925(大正14)年に生まれる。14歳になった安子は地元の大企業雉真繊維の御曹司、稔(松村北斗)と恋に落ちる。稔とのあいだに長女るいが生まれるが、稔は戦死してしまう。安子は空襲で家族を失いながらも、おはぎを作り生計を立てていく。しかしその後、交通事故によりるいの額に大きな傷ができてしまい……。

旭川さくら道の河川敷は数多くの名場面の舞台でありロケ地となった。
旭川さくら道の河川敷は数多くの名場面の舞台でありロケ地となった。

今、思い出しても安子編は壮絶すぎた。太平洋戦争の戦前、戦中、戦後の様子が実にリアルに描かれていた。タバコの「チェリー」が「桜」と呼ばれるようになったり、和菓子屋でも砂糖が手に入りにくくなるなど、庶民目線の戦争を伝えることで、戦争のおぞましさがより際立った。

実はドラマ第一話から、オープニングクレジットに「岡山空襲展示室」の名があった。昭和を描く朝ドラに戦争のシーンはつきものだが、このことは悲惨な空襲シーンを予感させた。

実際、1945(昭和20)年6月29日の岡山空襲の場面がはっきりと描かれ、安子の母、小しず(西田尚美)らは空襲で亡くなり、父、金太(甲本雅裕)は心身を病む。

前述の岡山空襲展示室HPによれば、少なくとも1737人の犠牲者が出た大きな空襲だった。そして多くの人の命を奪っただけでなく、生き残った家族の人生も変えた。安子編では悲惨な戦争描写とコントラストをなす形で、家族でラジオを囲み笑い合う昭和初期の情景も細やかに描かれた。幸せな回想シーンは、穏やかな岡山の街の変貌と、人々の運命の変化を印象付けるものだった。

岡山城の天守閣や城壁は稔が安子に自転車の乗り方を教えるシーンなどで、何度も映り込み存在感を放っていた。
岡山城の天守閣や城壁は稔が安子に自転車の乗り方を教えるシーンなどで、何度も映り込み存在感を放っていた。

この作品はたまたま岡山が舞台だったが、ある意味では昭和の地方都市の代表として選ばれた街とも言えるだろう。あの時代は日本中がどこも大変だったし、犠牲があった地方都市はほかにもたくさんある。安子とともに岡山を歩いてみると、この運命に抗おうと生きた当時の人々の強さに胸が締め付けられた。

るいが生きた昭和30年代の大阪、街中に響く最先端のジャズ

次は2代目ヒロイン・るいと、大阪を歩いてみよう。まずはるい編のあらすじをおさらいする。

るい(深津絵里)は18歳で、岡山を飛び出し大阪にやってくる。就職に失敗し落ち込んでいたところを竹村平助(村田雄浩)・和子(濱田マリ)夫妻に救われ、2人が営む『竹村クリーニング店』で働くことに。その後、客としてやって来たジャズ・トランペッターの大月錠一郎(オダギリジョー)と親しくなり両想いになるが、錠一郎は病気でトランペットを吹けなくなり、2人の関係にも亀裂が入ってしまう……。

るいが大阪に出て来たのは第39話。ミュージカルのようなつくりが見る者を驚かせた。この演出は大阪の街の華々しさを象徴するとともに、人生をゼロからスタートしたいという、るいの気持ちを投影していた。では昭和30年代の大阪はどんな街だったのだろう。るいとともに歩いてみる。

大阪は大正から昭和初期にかけて「大大阪」と呼ばれるほどに栄えていた。関東大震災後には東京を抜いて、日本一の街へ成長。ドラマの背景美術にもモダンな建物が映り込んでいたが、大正、昭和の大阪モダニズム文化の名残りと言えるだろう。昭和30年代も大阪は西日本の文化の中心としてパワーがみなぎっていた。過去を断ち切ろうとしたるいが、この大都市を再出発の地に選んだのも納得できる。

そして、るいはこの地でジャズと出会う。大阪はかつて「ジャズの都」と呼ばれたほど音楽にあふれた街だった。『竹村クリーニング店』があった道頓堀周辺は、大正から昭和にかけてジャズバーやダンスホールがたくさんできたエリアで、ジャズの音色が響きわたっていたようだ。ドラマではジャズ喫茶『ナイト・アンド・デー』が登場する。

1960年代にはジャズブームが起こり、ジャズ喫茶が各地で誕生している。そう、『ナイト・アンド・デー』で奏でられたのは当時もっとも旬な音楽で、そこに集う若者たちは時代の先端をいく、ファッショナブルな存在だったのだ。ここで鳴り響くジャズが、るいと錠一郎を結ぶこととなり、BGMとしても物語を盛り立てた。

公式ガイドブック『カムカムエブリバディ Part2』によればこの時代は「ジャズシーンが成熟、ロカビリー、GS(グループサウンズ)が流行する頃」とある。昭和音楽の歴史や日本の音楽の進化を語るうえでも、実に興味深い時期と言えるだろう。

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もう一つ、るいと一緒に訪れたい場所がある。第59話でるいが錠一郎を抱きしめた、あの海。実はここ、筆者も以前訪れている。ぜひ『まんぷく』の妄想散歩記事も参照してほしい。

おうち時間が増える中、アレにお世話になっているという人も多いだろう。チキンラーメンにカップヌードル。日本が生んだ奇跡のインスタント飯は、2018年10月から2019年3月にかけて放送された朝ドラ『まんぷく』で今まで以上に注目されることとなった。このドラマは日清創業者、安藤百福(ももふく)・仁子(まさこ)夫妻がモデルだったのだ。『まんぷく』は連続テレビ小説の第99作として放たれた話題作にして意欲作。今回はヒロイン、福子とともに『まんぷく』に思いを馳せながら、その舞台を振り返ってみる。まずはそのストーリーを一気見しよう。

これはロケ地の話になってしまうが、兵庫県淡路島の吹上浜こそ、あの美しいシーンの舞台だ。朝ドラファンなら気付いた人も多いかもしれない。『まんぷく』で塩軍団がたむろしていた海を歴史的名場面の舞台に変えるとはさすがNHK大阪制作局だ。「あなたと2人で、ひなたの道を歩いてゆきたい」とるいが語った海の情景は今も胸のなかにきらきら、輝いている。

るいとともに昭和30年代の大阪を歩くと、戦争から立ち直り、経済や文化を復興させようとした人々のエナジーを感じることができる。るいという一人の女性の再生と、日本の再生がダブって見えるのは、ただの偶然ではないだろう。

時代劇の栄枯盛衰を感じる場所、聖地京都の太秦

そして、最後は3代目ヒロインひなたとの妄想散歩だ。まず物語を振り返る。

1965(昭和40)年に、るいと錠一郎のあいだに長女ひなた(川栄李奈)が誕生する。錠一郎譲りの時代劇ファン、元気一杯の女の子は京都の街ですくすく成長していく。高校を卒業するとひなたは太秦の「条映太秦映画村」で社員となり、大部屋役者・五十嵐文四郎(本郷奏多)と長く交際するも、破局を迎える。その後ひなたは英語と向き合い、時代劇を救う大活躍をみせることになる。

ひなたと歩くのは、「条映太秦映画村」のモデルとなった京都『東映太秦映画村』だ。こちらは1975年(昭和50年)に開業した時代劇テーマパーク。今もさまざまなアトラクションやイベントを開催し人気となっている。

『東映太秦映画村』。
『東映太秦映画村』。

『東映太秦映画村』HPを眺めていると、なるほどなあと思う。幼少期から時代劇好きでチャンバラ好きだったひなたが働くのにぴったりの場所だ。まさに時代劇の聖地。今も江戸時代の景色を楽しめ、時代劇の世界に入り込んだような体験ができる。

筆者はひなたよりずっと年下で1983(昭和58)年生まれだが、昭和の終わりから平成初期のテレビ時代劇をよく覚えている。時代劇好きだった祖父の膝の上で、毎晩なんらかの時代劇を見たものだ。ストーリーはよくわからないものの、子供心に(『カムカム』に登場したような)勧善懲悪のわかりやすい時代劇は面白かったし格好良く思えた。ひなた同様にチャンバラごっこもしていたはずだ。『水戸黄門』はもちろんのこと、『暴れん坊将軍』、『銭形平次』、『大岡越前』、『遠山の金さん』と今思い出しただけでも当時の名作時代劇は枚挙にいとまがない。

そしてあの頃から、少しずつ時代劇の放送が少なくなっていく様子もこの目で見ていた。それだけに、ひなたが寄り添った時代劇の栄枯盛衰にジーンと来てしまった。ひなたと同様に昭和の終わりから平成のはじめに青春を送った視聴者も多いはずで、多くの人が当時に想いを馳せただろう。

せっかくなので、最後の段落はおはぎを食べながら書いている。甘くて、大豆のコクがあって、実においしい。物語中何度も耳にしたあんこを作るおまじない「おいしゅうなれ、おいしゅうなれ……」。そんなおまじないは、きっとどの街の和菓子屋さんでも唱えられていたはずだ。そして、これはきっとどんな職業でも同じ。クリーニング店でも、映画村でも人々が丁寧に真面目に仕事を繰り返し、ここまで歴史が続いて来たのだ。

そういえば、今年祖父が100歳になることを思い出した。長らく会えていないが今も健在だ。安子よりも年上だったのか、と驚く。祖父もクリーニング店を営み、身体を悪くするまで働き続けた。『竹村クリーニング』の平助さんと同じだ。そう思うとどこの家にもファミリーヒストリーはあるのだなあと実感する。『カムカムエブリバディ』のヒロイン3人が生きた時代は、まさに今、目の前にもつながっているのだ。

誰もが歴史のつなぎ手であり、そして、つむぎ手でもある。甘いあんこを噛み締めながら、そんなことを考えた。

文・撮影=半澤則吉

写真提供=岡山県観光連盟、東映太秦映画村 参考=岡山空襲展示室HP、東映太秦映画村HP、『カムカムエブリバディ Part1.Part2』NHK出版