創業50年。歴史と温かさがつまった店頭に感動
戸越銀座商店街の通りの両側には、近隣の住民の生活を支える日用品から食料品の店があると思えば、ほかの地域から訪れる観光客のためのスイーツの店やかわいい雑貨などのお店が隙間なく並ぶ。歩けば発見とワクワクの連続。まさに現役の商店街である。
道の両脇に並ぶ店頭の風景に目を引かれながらゆるゆると歩いていくと、その町の活気に少しも負けていない、不思議に統一感のある温かい雑然さに包まれた、ひときわ勢いを感じる店頭が目に飛び込んでくる。白地に青く、いかにも歴史があり誠実そうな店名が、その雑然の光景の上に、くっきりと表示されている。
まず驚かされるのは、店頭を彩る何十枚もの記念写真。街レポでおなじみのタレントの方々から、ジャニーズのあの方、そしてなんとあの元内閣総理大臣までもがおいしそうにこのお店のおでんを食べる笑顔の光景が展示されている。
お店の奥には、大きなガラス張りのケースの中に横たわる何十種類ものおでん種。そして左手前には、メニューなどの掲示物に囲まれるようにして、部屋が区分けされたおなじみの大きなおでん鍋が湯気を上げている。
店中央の写真展示コーナーの反対側はお総菜コーナー。ここには沢山の種類のコロッケをはじめ、はんぺんチーズ、黒毛和牛メンチなどがいかにもサクサクな衣をまとって、温かなライトに照らされている。お魚コロッケ、おでんコロッケなど、なんとも気になるオリジナルコロッケがわずか108円。
大量の写真、サクサクコロッケ、暖かライト、湯気、居並ぶおでん種。この店独特の温かい混沌の風景は、こんな要素が一気に目に飛び込んできた結果である。
昔はおでん種の店が立ち並んでいた戸越銀座商店街
『後藤蒲鉾店』の歴史は古い。創業者である先代がこの地で店を始めたのは約50年前のこと。当時はおでん種、つまり調理する前のおでんを専門に販売していた。顧客は周辺の住民と、おでん屋台を営む方々。
「それこそ数えきれない、何十台という屋台の方々がおでんを仕入れに来てくれました。五反田から旗の台にかけて営業している屋台がみんなこの辺りにおでん種を仕入れに来ていましたよ」と、ご主人の後藤学さんは当時のことを懐かしく語る。
「なぜかこの商店街にはおでん種を扱うお店がたくさんあって。100mに1軒くらいあったと思います。その8~9軒くらいのお店を屋台の方々が何軒もまわって、自分の屋台の好みに合ったおでん種を仕入れていきました」。
でき上がった温かいおでんを店頭で販売するようになったのは、この地域で暮らす人たちの姿に変化があったためであるとのこと。昔はみんな大家族で、調理前のおでん種を買って自宅で作るのが普通。
「でも家族の人数がだんだん減ってくると、でき上がったものを買っていくほうが楽ですし、自分の食べたい分を少しずつ買うほうがいろいろな種類が食べられて喜ばれるみたいなんです」とご主人。
飲食スペースを開設、大人気に
おでんとお総菜を売る店舗の横に、入り口に「おでん」と書かれたのれんが下がる、気になるスペースがある。お店で買ったおでんをお酒などとともに楽しむことができる専用の飲食スペースだ。きっかけは、やはりお客さんの「すぐに食べたい」という声だったという。
「スーパーなどでもおでんを売るようになったり、温暖化の影響もあったりするのかもしれませんが、おでんの売り上げが少しずつ下がっていくなか、なにか新しいことをやりたいと考えていたタイミングで隣の店舗が空いたので、お客さんの声もあって飲食コーナーを始めることにしました」とご主人。
いざ始めてみると、まず客層の広がりに驚かされたという。店頭では地元の主婦がお客さんの中心であったが、こちらの飲食コーナーにはとにかく若いお客さんがたくさん訪れる。それも男女が連れ立ってお店を訪れるという。
最近のヒット作は辛口おでん。「黒コショウおでんや七味おでんを出してみたところ、意外に喜ばれています。お酒のおつまみにも良いみたいで、飲食コーナーで食べる方によく選ばれていますね」とご主人。
好きなおでんを自分で選んで、自分の好きなペースでおしゃべりしながらお酒を楽しむ。こんな自由度の高い居場所は、これまで案外存在していなかったのかもしれない。
おでん種が並んだショーケースを挟んで、お店の奥さんとお客さんとで、注文とも世間話ともつかないやり取りが行われている。その傍らでは、ピシッとしたスーツに身を固めた若者がご主人に挨拶をする。「お久しぶりです」「おお、立派になったねー」と目を細めるご主人。大人になった自分の姿をご主人に見せに来た、きっとそんな瞬間だったのだろう。地元との関わり合いを象徴するような風景だった。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=夏井 誠