夫と南米を旅していたとき、チリの首都・サンティアゴの安宿でスーホさんとタカシさんに出会った。
大きな一軒家を改装した宿で、中庭にテーブルが置かれているのだが、そこに40代くらいの体格のいいおじさんがいた。朝だというのに、大声でスペイン語の教科書を朗読している。
挨拶すると、やや訛りのある早口の日本語で「今ね、スペイン語の練習してたの。あなたたち日本人? 私も日本人。……冗談! 信じた? 私はね、モンゴル人。スーホ」とまくしたてられた。
スーホさんは何十年も日本に住んでいるという。東京でモンゴル料理店を経営していたが、今はお店を閉めて世界中を旅しているそうだ。
やがて、短パンにボサボサ頭のひょろっとした青年が現れた。「タカシくん」と呼ばれた彼は、スーホさんが経営するモンゴル料理店の店員で、一緒に旅をしているとのこと。見ようによっては大学生くらいに見えるタカシさんだが、意外にも私と同い年(当時30歳)だった。
誰彼かまわず話しかけるスーホさんと、控えめで温和なタカシさん。彼らは、それまで出会った中でもっとも「異色のコンビ」だ。その宿に滞在していた数日間、私たちはすっかり仲良くなった。その後はそれぞれ別の国へ移動したが、お互いの近況はfacebookで知っていた。
私と夫が帰国してからも、スーホさんとタカシさんの旅は続いた。
しかし、ふたりがスーホさんの故郷・モンゴルへ行ったときのこと。スーホさんの後輩が交通事故に遭い重傷を負ったため、ふたりは残りの旅の資金をすべて後輩に譲り、予定より早く帰国することになった。
その後、スーホさんとタカシさんが赤坂にお店を開いたと聞き、私と夫はさっそく遊びに行った。
お店は駅からほど近いビルの一室にあった。赤っぽい照明に照らされた店内はそこそこ広く、カウンターキッチンといくつかのテーブルがある。壁には世界中あちこちで撮影された写真が貼られていた。
スーホさんとタカシさんは再会を喜んでくれた。あれよあれよという間に、綺麗な刺繍が施された民族衣装を着せられ、重い冠をかぶせられる。メニューを見てもよくわからないので、「おまかせで」と頼むと、ガツンとした羊料理が次々と運ばれてきた。モンゴルの家庭料理もあれば、スーホさんオリジナルの謎料理もある。
その日はテレビ取材のカメラが入っていて、若い男性レポーターがスーホさんによってモンゴル相撲の衣装を着せられ、相撲をとらされていた。スーホさんがあまりに強く、観戦していた私はお腹を抱えて笑った。
取材班が帰ると、ふたりは私たちのテーブルに来て積もる話をした。
それ以来、私たちは数カ月に1回ペースでお店に行くようになった。モンゴル相撲を観戦するのも楽しいし、おとなしいタカシさんが突如、ダイエーホークスの応援歌「いざゆけ若鷹軍団」を激しいテンションで歌い踊る謎のパフォーマンスも最高だ。
また、私は「マナイディレーレ」と呼ばれる飲み方も好きだった。スーホさんが馬乳酒を手に歌い出し、店内の全員が手拍子する。手を上げると、スーホさんがおちょこに馬乳酒を注いでくれ、リズムに合わせて一気に飲み干すのだ。馬乳酒はカルピスみたいな味ですいすい飲めるから、調子に乗ってつい飲みすぎてしまう。
ある日、スーホさんの店の前に配達された羊肉一頭ぶんが盗まれる事件があった。そのニュースがいくつかのメディアで取り上げられた際、スーホさんのキャラがウケて、彼はその後「サンデージャポン」などの番組に出演した。一部からは「売名だ」などと批判されたらしい。お店に行くと、繊細なタカシさんは憔悴していたが、スーホさんは相変わらず陽気だった。羊を盗まれたりネットで叩かれたりする程度のこと、彼にとっては屁でもないみたい。
そんなある日、親しいお客さんだけを集めた花見がお店で開かれた(花なんて見えないのだが、スーホさんは「花見だ」と言い張っていた)。
花見には個性豊かな面々が集まった。恐竜マニアのおじさん、フクロウを飼っているお姉さん、今どきガラケーを使っている遊び人風のお兄さん、野鳥マニア兼「太陽にほえろ!」オタクの若者。みんな、マツコ・デラックスの番組に出てくる素人さんくらいキャラが濃い。ほかには一流企業に勤めるキャリアウーマンのお姉さんがいて、彼女と私たち夫婦だけが唯一「薄味」だった。
その会は、各々が好きなものについて熱っぽく語っていてとても面白かった。
私が恐竜好きの教授(教授ではないのだがそう呼んだ)に敬意を表して「ダイナソー!」と言いながら乾杯すると、それが一躍流行語になり、みんなで何度も「ダイナソー!」と盃を掲げた。
昼から飲みはじめて夜になると、一般のお客さんが入ってきた。40~50代の男女数人で、某週刊誌の特集ページの打ち上げらしい。
するとスーホさんが私を指して「実は、彼女は本を出してるんですよ!」と言った。私は当時、別名義で小さな出版社から書籍を出していたのだ。
スーホさんが私の本を彼らに渡すと、グループの中で一番えらそうなおじさんが真っ先に奥付を見て、あからさまに見下す発言をした。有名出版社の人からすれば、聞いたこともない出版社から出ている本なんてちゃんちゃら可笑しかったのだろう。私は動揺し、なぜか「その本、差し上げます」と言ってしまった。おじさんは鼻であざわらいつつ、本を鞄に仕舞った。
そうだ。社会って本来、こういう見下しが当たり前にある場所じゃないか。
そんなことくらい知っていたはずなのに、ここがあまりにも見下しと無縁だから、すっかり心が無防備になっていた。こんなことで子供みたいに傷ついている自分が恥ずかしい。
帰り際、彼らのグループにいた料理研究家の女性がそっと私のところに来て、「さっきはごめんなさいね」と本の代金を私の手に握らせた。
慌てて返そうとすると、彼女は小声で「タダであげちゃダメ。私も本を出してるから、あなたがどんな思いであの本を作ったかわかる」と言ってくれた。
鼻の奥がツンとなった。私は自分が思っていたよりもずっと、傷ついていたのかもしれない。
そんな私の様子に誰も気づくことなく、酔っ払いたちの夜は平和に更けていく。その鈍感さが、私には心地よかった。
それからほどなくして、スーホさんたちは赤坂のお店を畳んだ。また旅に出て、帰国後は福岡に店を出して今に至る。
このエッセイを書くにあたり、タカシさんにメールで「スーホさんとタカシさんのことを書いていいですか?」と聞いたら、どんな内容か説明する前に快諾してくれた。コロナ禍でお店はたびたび休業しているものの、元気にやっているそうだ。
スーホさんにもタカシさんにも、花見で出会った人たちにも、もう何年も会えていない。けれど、また会ったら一緒にお酒を飲んで、楽しくお喋りするのだろう。見下しとは無縁の世界で、各々が好きなことを自由に。乾杯の音頭はもちろん「ダイナソー!」だ。
いつか来るその日を、私は心待ちにしている。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama) 写真提供=スーホさん