なんだか旨く感じる器の形
いつどこが発祥かはさておいても、これだけ当たり前の食事処にした功労者は、戦後昭和期、鉄道駅に設置された「駅そば」であることは疑いがないと思います。駅そばファンはかなりいますよね。そういえば私にも、「●●駅の立ち食いそばは、コンコースのとこもいいけど、わざわざ何番ホームのあそこに行く」みたいなのはあります。
ふと気づいたら、惹かれていた一杯には、丼の形に共通点がありました。真横からみると逆三角形になった、外周部がナナメに切り立ったフォルムの丼の店に惹かれていました。外周部がグッと広くなったやつでも味は一切変わらないはずですが、前者のほうがなんだか旨く感じます。
それに木製の丸っこい柄杓状のレンゲを付けてもらえることもありますが、これも使わず丼から直で汁をすするのが好きです。そのほうがスピード感をもって食える、そう思ってしまいます。のんびり食事するのも好きですが、立ち食いソバ屋さんでは素早く、一心不乱にかっこみたいのです。
庶民の食い物ゆえ、批評はほどほどに
そうだ、変わり種として、立ち食いそば屋さんのソース焼きそばも惹かれますね。歌舞伎町と有楽町駅前にあったとあるチェーンでは、焼きそば(大きい鉄板で大量に焼き、脇に作り置いてある)と、そばの汁をスープ代わりに付けられる店がありました。カウンターにはソース瓶をひとつ置いてくれているので、もちろん「追いソース」もいたします。あれも一心不乱、5分で食い終えて店を出るのが常でした。残念ながら、閉店してしまいましたが。こんなふうに止まらない立ち食いそば話を結構多くの方が持っているでしょう。
いまは立ち食いそばマニアの方も多いそうです。前述通りその熱い気持ちは私にも十分わかります。ただ我ら庶民の食い物ですから、ツユがどう、そば粉がどうのと材料はじめ細かい整理分類批評はほどほどがいいですよね。味に負けず安さと速さも追求してるから、素材は老舗そば店と同じにはいきません。シマダヤってモロに印字してあるビニール包装を堂々と目の前で開けて出してくれる店もあるくらいです。それでいいんですよね。なによりは吹きっさらしの場で、一心不乱になりたいんですから。
忘れられない、昭和最後の一杯
なんとなく、これまでで一番の立ち食いそば体験はいつかな、と思い返してみました。やっぱりすぐに、郷里での一杯が鮮やかによみがえります。子供のころ、一両っきりの気動車が走る鉄道があって、ちいさな木造駅舎の脇に立ち食いそば屋さんがありました。店の前には色褪せた水色のベンチがあって、寒い時期、母と並んで、ひざの上に天ぷらそばを載せて、二人で食べました。いまは廃線となってそこに当時のものは何もなく、バス置き場になっています。
それでもいつ頃食べたのかはちゃんとわかりますよ。駅のはす向かいにゲームショップがあって、念願のゲームソフトを買ってもらったあとの「一心不乱」だったからです。昭和63年、「ドラゴンクエスト3」の発売のときでした。翌年、長い長い昭和は、終わりを告げたのでした。
文・写真=フリート横田