けれど、本当はいつも心が落ち着かなかった。お酒を飲んではしゃいでも、どこか息苦しい。漠然とした焦燥や不安が、常にまとわりついていた。

そのせいだろうか。上京直後を過ごした神保町のあたりを思い出すとき、記憶の中の光景はどれもざらついて見える。錦華公園も、明大通りのカラ館も、『さぼうる』も、まるで砂嵐のエフェクトがかかっているみたいだ。

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19歳の春、私は御茶ノ水の「文化学院」に入学した。大正時代に「国の学校令によらない自由で独創的な学校」を掲げて創立された日本初の共学校で、名目上は専修学校になる。ただし就職に役立つ専門的な知識は学べない。良くも悪くも、自由な学校だった。

私がいた「創造表現科」は語学や哲学、心理学、演劇や文芸などを幅広く学べる学科だ。私は演劇系と文芸系の授業を取っていた。高校時代から地元の劇団に所属し、趣味で小説も書いていて、その両方を学びたくてこの学校に来た。

しかし入学してみると、なんとも怠惰なモラトリアムの空気が色濃い学校だった。ほとんどの生徒は勉強熱心ではなく、授業をサボっては中庭で煙草を吸ってだべっている。自由すぎる校風ゆえ、多くの若者は自分を律することができずに堕落するのだ。はじめは真面目に授業を受けていた私も、だんだんサボり癖がついてしまった。

よく一緒にサボったのは、犬を拾ったエッセイにも登場したアミちゃん(仮名)だ。東京出身の彼女は神保町にも詳しく、いろんな純喫茶に連れて行ってくれた。『さぼうる』、『伯剌西爾』、『古瀬戸』、『ミロンガ』、『ラドリオ』……。チェーン店のコーヒーショップしか知らない私にとって、純喫茶に慣れているアミちゃんは大人びて見えた。

私たちは本好きという共通点があり、よく本の話をした。それまで純文学の話ができる友達はいなかったから、小説の話ができて嬉しい。けれど、アミちゃんは私よりずっと読書家で教養があった。彼女は中島敦とドストエフスキーが好きだが、私はどちらも読んだことがない。

アミちゃんに限らず、当時の恋人や他の友人たちも、私が知らないことをたくさん知っていた。

影響を受けた私は、浴びるように本を読み、映画を観て、音楽を聴いた。なるべく多くのことを体験したくていろんな場所へ出かけ、目が回るような日々を過ごした。

別に、誰かから「そんなことも知らないの?」と言われたわけではないのに、私はいつも身構えていた。自分の無知や底の浅さを見破られるのが怖かったのだ。

そうやって人の目ばかり気にしていたからだろうか。上京してからは、濁流に流されるような、自分が自分じゃなくなっていくような感覚があった。

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とは言え、東京生活は楽しかった。

飲み会のあと錦華公園で花火をしてカラ館でオールしたり、みんなで浴衣を着て学校に行ったり、バイトしたり、小説の同人誌を作ったり。けっこう充実した日々を送っていたと思う。私はすっかり東京になじんでいる自分にウットリし、調子に乗っていた。

一方で、いつもどこか息苦しかった。うんと楽しいのに、こんなにも好き放題やっているのに、ふとした瞬間「私は何をしてるんだろう?」と虚しくなる。

演劇への熱が冷めたことも大きかった。私は入学から半年ほどで、大好きだった演劇への熱意を失ってしまったのだ。演劇の授業は悪い内容ではなかったが、私には合わなかった。

自分が何をしたいのか、何のために高い学費を払ってもらってここに来たのか。道すじを見失って焦り、その焦りや不安から目を背けるため遊びほうける。そして堕落した自分に焦っては、また遊ぶことで忘れようとする。その繰り返しだった。

今思えば、あの頃は「東京」と「文化学院」から受けた大量の刺激を消化しきれずにいた。多くの物事を体験するだけしておいて、それによって自分が何を感じ、何を考えているのか、じっくり向き合わなかったのだ。

いろんなものを見ているようで、どれもボヤ~っとしか見えていなかったと思う。

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私が卒業してすぐに「文化学院」は変わってしまった。校舎は「文化学院」の象徴であるアーチだけを残して14階建てのビルに建て替えられ、日本BS放送と共同で使うようになり、学校の運営にもBSが関わるようになった。その後もいろいろあったらしい。最後のほうは両国に移転し、2017年度に閉校となった。

私はといえば、卒業してモラトリアムが終わり、自活するため必死になってからのほうが、目の前のものがよく見えるようになった。ありふれた表現だが、「生きている実感」を持てるようになったのだ。

卒業してからもしばらくは、御茶ノ水や神保町に行くたび心がざわついた。学生時代の、楽しくも息苦しい日々を思い出すからだ。

しかし思い出は上書きされる。30代でライターになった私は、2019年に初の書籍を出した。版元は平凡社で、神保町にある。猛暑の日に汗だくで打ち合わせに行ったり、そのあと近くのドトールで冷房に震えながらゲラに朱を入れたり。出版の前後は、何度も神保町に足を運んだ。

そのうちに、私の中で神保町は「楽しくも息苦しかった街」から「初めて本を出した街」に変わった。2021年には御茶ノ水にある交通新聞社から書籍を出し、ますます御茶ノ水・神保町界隈のイメージが塗り替えられた。

今は、学生時代から想像もできないくらい低刺激な暮らしをしている。郊外の団地でひたすら原稿を書き、夫以外の誰とも会わない。夜遊びもぜんぜんしなくなった。仕事以外の時間は、家事をしているか漫画を読んでいるかだ。多くの景色は見られないが、今のほうがよっぽど多くの物事を感じ、考えている。

私は、神保町のカラ館で朝を迎えた19歳の自分よりも、今の自分のほうが好きだ。今は神保町を歩いていて、銀杏並木に目を留めたり、季節の移ろいに気づいたりできるから。

あの頃の神保町だけが、今も記憶の中でざらついている。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama