授業では昭和20~40年代の作品を読むこともあったが、ほとんどが短編でコピーが配られたため、本のかたちで手に取ることはない。このとき丸山健二や安岡章太郎の作品に触れたのに、なぜもっと読もうとしなかったのか。今思うともったいない。

私はよく授業をサボる怠惰な学生だったけれど、小説の授業だけは真面目に受けて、課題も必ず提出していた。実を言うと作家志望だったのだ。2年生からは本格的に小説を書き、文芸誌の新人賞に応募していた。

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2年生の終わり頃、小説を書いている友人たちと7人で同人誌を作ることになった。

ラブソングをモチーフにした短編集で、一人一曲ラブソングを選び、その歌詞からイメージする短編小説を書く(ちなみに、同様のアンソロジーがすでに存在することをあとで知った。そりゃあるよね、誰でも思いつきそうな企画だもん)。

言い出しっぺの私が編集長を務めることになった。私は本気でいい本を作りたくて、「この人に書かせたら面白いものができる」と思った人に声をかけた。私は自分以外の6人とそれぞれ交流があったが、7人全員が仲良しというわけではなかった。

7人の中にYがいた。派手なファッションとは裏腹に、いつも不安そうな顔をしている色白の女の子だ。繊細で人が多い場所が苦手で、授業が終わるとすぐに帰る。飲み会にも参加しない。たまに長期間、学校に来なくなる。がさつな私とは正反対のタイプだが、同い年で地方出身、なにより作家志望で新人賞に応募している共通点があり、会えば話をする関係だった。

彼女が授業で提出する小説は群を抜いていた。奇抜だけれど、奇抜さに頼っていなくて中身がある。私は彼女の小説のファンだった。YはYで、私の小説を好きだと言い、「嫉妬する」とまで言ってくれた。

Yを同人誌に誘うと、彼女は喜んで引き受けてくれた。しかし、同人誌メンバーの中には、Yにとってあまり話したことがない人もいる。カフェで同人誌作りについて話し合ったとき、Yはみるみる顔色が悪くなった。その後も集まる機会があるたび、Yは辛そうだった。私は彼女に「集まりに参加しなくていいよ」と言うべきか迷った。特別扱いをすれば、逆に傷つけてしまうかもしれない。

結局、どうすればいいのかわからないまま、各自が原稿を書く段階に入った。私は原稿が遅いメンバーを励ましたり、上がってきた原稿に朱を入れたり、印刷所を探して入稿したりした。大変だったけれど、とても楽しかった。

完成した同人誌は、7作すべてが違う味わいを持っていた。

私はGO!GO!7188の「こいのうた」をモチーフに、セフレを何年も思いつづける女の子の話を書いた。

Yの作品は一青窈の「金魚すくい」がモチーフで、恋人が乱交パーティーに参加したことを知った女の子の話だ。なぜこの歌詞からその話に? 発想の飛躍がすごい。本人に尋ねると、「だってこの歌詞、乱交っぽいやろ」と言っていた。また、彼女の作品は本文が歌詞の言葉あそびになっていて、その巧みさにも感心した。

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同人誌を学校の先生に見せたところ、なぜか、神保町でおこなわれる古書イベントで販売するよう段取りしてくれた。春休みのことだ。

神保町で古書のイベントといえば「神田古本まつり」が有名だが、それではなく、もっと小規模なイベントだった。場所の記憶は曖昧で、交差点近くの大きなビルだった気がする。靖国通りと白山通りの交差点か、はたまた靖国通りと明大通りの交差点か。

先生からはなぜか、ビルの入り口に飾るオブジェを作るよう頼まれた。私とメンバーのうちひとりが制作したのだが、コンセプトを決めないまま作りはじめてしまい、カラフルな発砲スチロールにスプーンやフォークを突き刺しただけの意味不明なものになった。

イベント当日、地下の広いフロアでは、古書店の人たちが古書を持ち寄って販売していた。お客さんはそこまで多くなく、年配の方ばかりだ。

私たちはビルの入り口にテーブルを置かせてもらい、お店を広げた。イベントは2日間で、1日目は私とYが売り子。意外なことに、Yが自ら売り子をやると言ってくれたのだ。

私たちはあきらかに場違いだったが、たまに「頑張ってるね」と同人誌を買ってくれる方がいた。人と接するのが苦手だと言うYも、その日はリラックスしていて笑顔が見られた。

お客さんがこない間、私たちはお喋りをして時間をつぶした。このとき私は「笑い飯おもしろいよね」と言ったらしく、それから何年にも渡って、Yは笑い飯がテレビに出るたびメールで知らせてくれた。

後にも先にも、Yとふたりきりで長い時間を過ごしたのはこの日だけだ。

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それから16年が経った。

同人誌を作ったメンバーのうち、今も連絡を取っているのは2人だけ。あとの人たちとは、mixiの衰退と共に少しずつ連絡を取る機会が減り、いつの間にか音信不通になっていた。

私は作家になる夢が叶わず、長いフリーター生活を経てwebライターになった。インタビューやお店の取材をしたり、方向音痴の克服を目指したルポを書いたりしている。書籍を出すこともできた。あまりに文学性とかけ離れた内容・文体なので、まさかこの著者が小説を書いていたとは誰も思わないだろう。

今は、小説を書きたいとは思わない(仕事なら書くけど)。私はwebライターの仕事が好きだ。「作品」じゃなくても、求められた記事を書いてクライアントの役に立てたり、読者の暇つぶしに貢献できれば嬉しい。

ただ、たまに「Yが今の私の文章を読んだらどう思うだろう?」と考える。

Yは27歳のときにこの世を去った。彼女は今の私に、「 頑張ってるね!」と言ってくれるだろうか。それとも、「もう小説は書いてないの?」とがっかりするだろうか。

もしもまた会えるなら、私の書籍の感想を聞きたい。あと、笑い飯は好きだけど、そこまで熱心なファンじゃなかったことも伝えたい。

神保町のビルの入り口で過ごした春の日のこと、私は今でも覚えているよ。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama