親子3人で店を切り盛り『春助煎餅』
『春助煎餅』が店を構えるのは京成高砂駅南口から徒歩1分の場所。
武蔵小山で昭和10年(1935)に創業し、現在地へ移転する際に、現ご主人の祖父の名を取り『春助煎餅』としたそうだ。
笹塚への移転を経て今の場所に落ち着いたのは昭和42年(1968)。現在は2代目の浅沼寛さん、倩子(よしこ)さん夫婦と、娘さんで3代目の友子さんの3人で店を切り盛りする。親子2代の温かな接客に癒やされる人は多いだろう。
店内にずらりと並ぶ約60種類の煎餅、あられ、おかき、あげせんなどをたった3人で作っているという。大変な作業量だ。
『春助煎餅』の米菓はこう作る。
米菓は大きくうるち米製ともち米製とに分けられる。煎餅はうるち米から作られ、あられやおかきはもち米から作られる。
とにかくたくさんの米菓をつくる『春助煎餅』は作業が多い。天気と相談しながら日替わりで「餅をつく日」、「餅を削る日」、「天日に干す日」、「あられを焼く日」、「揚げる日」、「煎餅を焼く日」などを設ける。
うるち米でつくる生地を窯の火で乾燥させてから焼き上げる煎餅は、変に固すぎることも柔らかすぎることもなく絶妙な歯応えだ。
不動の人気を誇る醤油味の「かたやき」に、表面にひびを入れて醤油を染みこませた「あつやき」、片側に海苔を付けた「のり丸」、柔らかめに焼いた煎餅にザラメを惜しみなくまぶした「ざら丸」。たくさんの煎餅がある中で私が特に心をつかまれたのは白砂糖を塗り広げた「白雪」だ。
まず雪がふんわり積もっているような様子がいい。そして心持ち柔らかめに焼かれた煎餅に控えめな優しい甘さが合う。抹茶の砂糖を塗り広げた「抹茶」も合わせて楽しみたい。
『春助煎餅』の底力をあられやおかきに見る。
一般的にあられやおかきは煎餅に比べて製造工程が多く、より手間がかかる。そのため「これほどの量を手作りしている店は今ではあまりないでしょう」と寛さん。
使うのは山形県のもち米、ヒメノモチ。これを店で餅につく。長年愛される揚げおかき「秋揚げ」は、餅を手カンナで削り、3日ほど屋上で天日に干して揚げたもの。歯応えのよさと醤油の旨みが印象的だ。
ちなみに、かつて秋の夜長にちなむ長いかき餅「秋の夜」を作っていたそうで、それより短いこちらを「秋揚げ」と名付けたそうだ。
お店の押しも押されぬ一番人気はおにぎりの形をした「三角おこげ」。蒸かしたもち米を粒のまま型に入れて冷やし固めて包丁で切り、じっくり天日に干す。十分に乾燥したところで揚げる。仕上げに1枚ずつ裏と表に刷毛で醤油を塗る。あっさりとした醤油の加減がよく、サクサクとした食感と香ばしさは格別だ。
あまりに手間がかかるので、週に1~2回しか店頭に並ばないうえすぐに売り切れてしまう。出合えたら幸運だ。
小袋が愛される時代
「三角おこげ」の次に人気が高いのは、小ぶりの米菓を小袋に詰めたものだという。食べきりサイズというには気前のよい量が入り、どれでも1袋110円。たくさん種類があるので選ぶのも食べるのも楽しい。
小さな米菓の重さをはかり、袋に詰めて封をする地道な作業は手間がかかるが、「うちの店は近所の皆さんに支えていただいている。皆さんが小袋を楽しみに来てくださるので続けます」3人は口を揃(そろ)える。
『春助煎餅』では餅を削る手カンナも、あられに醤油をまぶす木樽も、煎餅を焼く網や釜も何十年も大切に使っている。どれも今では同じものは手に入らない貴重な道具だ。
店では煎餅に巻いているものと同じ海苔を販売しており、煎餅に合わせて選んだ静岡県掛川市のお茶も並ぶ。
2代目ご夫婦と3代目の笑顔に癒やされながら米菓選びを楽しんだ帰路、快晴だったので街歩きを楽しみ、お店から徒歩12分ほどの場所にある青龍神社を参拝した。境内には怪無池(けなしいけ)と呼ばれる池がある。
かつて雨乞いの祈願が行われた場所だそうだが、草木が生い茂り、この日は日中でも人気がなかった。できれば一人で訪れるのは避けて参拝する時間帯にも注意をしたいところだ。
早々にその場を後にし駅に戻った。電車に乗り、膝の上に米菓の袋を乗せたところで温かな世界に帰ってきたようでほっとした。
取材・文・撮影=原亜樹子(菓子文化研究家)