小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「達人」と「名人」の違いとは?

小野先生 : 「達」は「行き着く」「至る」という意味です。単に目的地へ着く、というより、ある境地を極めることを言います。

筆者 : 「達成」「到達」ということばがありますね。色々な障害や課題を乗り越えてそこに至った、といったニュアンスを感じます。

小野先生 : はい。学問や武道などで、ふつうの人では入ることのできないような境地にいる人を「達人」と言います。
「散歩」と同様に、中国から輸入したことばです。紀元前に書かれた中国古典「春秋左伝」では、孔子のことを「達人」の例としてあげています。
日本では万葉集の時代から使われています。「世の中が変転しても、達人は心の平安を保ち、君子は憂いの気持を持つことがない」という例で用いられています。

筆者 : 私たちが持っている「達人」のイメージと、大きくは変わらない近いように思います。

小野先生 : そうですね。では、似た言葉と比較して、もう少し意味を掘り下げていきましょう。「達人」と「名人」の違いは何でしょうか?

筆者 : うーん、「名人」というと職人や落語家が思い浮かびますね。でも、いずれも「達人」とは呼ばないように思います……。

小野先生 : 「名人」は鎌倉時代に使われ始めましたが、他人と競うなかで一定レベル以上にある人、という意味合いがあります。
他人と競うためには、一定の規範やルールが必要です。例えば弓の名人は、同じ条件下で他の人より的に当てることが、ずば抜けて上手だから名人と呼ばれます。

筆者 : 将棋のタイトルに「名人」がありますが、まさに競って勝ち取るものですよね。最強者の集う順位戦を勝ち抜き、「名人」に勝てば自分が「名人」の座につきます。
毎年、「名人」がうまれますが、「達人」はそうではありません。

小野先生 : 「達人」は「名人」より広い概念です。他人と競わなくても、誰かが決めたルールの中でなくても、自分の精進だけで「達人」になれます。
「名人」は他者との比較やヒエラルキーの中で成立しますが、「達人」にはいずれも関係ありません。誰かに勝ったり、称号を得ることがなくても、何かの分野で常人にはない領域に達していると認められれば、その人は「達人」と呼ばれます。

「散歩の達人」のネーミングは正しい使い方?

筆者 : 「散歩の達人」というネーミングはどうなのでしょうか?  辞書にも「武芸・技芸にすぐれた人(三省堂 現代新国語辞典 第六版)」とあります。

小野先生 : 「散歩」は武芸、技芸とは言えませんから、「達人」はミスマッチのように感じますが、そのギャップがネーミングの妙と言えます。「散歩」が、高度な学問や武道にひけをとらない、極める境地のあるものだ、という主張を感じます。考えた人こそ「達人」ではないでしょうか。

筆者 : むう……。そんな立派な気持ちで、取材や執筆をしたことはありませんでした(汗)。

小野先生 : それでいいんです。自分の境地がある達人は、モノゴトを楽しんでしまうんです。
道を極め、すべてのことから解き放たれたのが「達人」ですから、構えてはいけません。おいしいそばを食べて知識をひけらかしてばかりいるような人には、興ざめしてしまいませんか? 「彼より私のほうが達人だ」と言ってしまったら、その人はもはや「達人」とは言えないでしょう。
ただ楽しんで、楽しさを自分のことばで伝え、読んだ人を楽しい気持ちにさせる。これが「散歩の達人」ではないでしょうか。

筆者 : 一杯のそばが目の前にあれば、その瞬間を精一杯味わい尽くすことが大切なのですね。その先に「散歩の達人」への道があると。大変勉強になりました!

取材・文=小越建典(ソルバ!)