諸国漫遊の一皿で“ここではないどこかへ”
『かりい食堂』は、高円寺あづま通り商店街の一角に店を構える。ドアの上に垂れ下がった“Curry Shokudo”と書かれた小さな白い暖簾(のれん)と、“CURRY”の文字が入った提灯が目印だ。
二面採光の窓から光が射し込む明るい店内。壁のあちこちに、インドにまつわる神や人物などのポストカードやシールなどが貼られており、自然と目が留まってしまう。
控えめながらも現地のインド感漂う雰囲気の中でいただけるのは、増川さんが改良に改良を重ねた看板メニューのカーリーチキンカリーと月替わりのカレーだ。それらを3種のオーダースタイルから選べる。
ちなみに、カーリーチキンカリーのカーリーとは、世界の破壊・再生を司るシヴァの配偶神の化身といわれるカーリー女神から名付けられており、その女神をイメージして作られているようだ。
南インドのタミル・ナードゥ地方のレシピがもとになっていたようだが、「いろいろと手を加えているうちにオリジナルのカレーになりました」と増川さん。ホールやパウダーなど、20種類のスパイスを独自にブレンドして作られたチキンカリーは、一口食べただけでスパイスの衝撃をダイレクトに感じられる味わいが特徴だ。
その秘密は、3段階のスパイス使いにあるという。本場インドの作り方では通常2段階のところ、増川さんはスタータースパイスとしてシナモンやアジョワンシードなどをホールのまま使用し、その後の調理過程でパウダー状のスパイスを加え、さらに提供前に香りをブーストするため独自のブレンドスパイスをテンパリングして仕上げるという工程を生み出した。
実際にいただいてみると、シナモンが樹皮のようなかたちでゴロッと入っていたり、マスタードシードが粒状のまま存在感を放っていたりと、味覚と嗅覚だけでなく視覚でもスパイスをフルに感じられた。バングラデシュやスリランカなどのエッセンスも取り入れた副菜を箸休めにしながら、スプーンを口に運ぶ手が止まらないようなクセになる美味しさだ。
増川さんが追求するのは「ここではないどこかへトリップできるカレー」。主にその真髄は、月に1度替わるカレーメニューに現れる。例えば、7月にはメキシコ料理のチリコンカンにインスパイアされたメキシコ風キーマカレーを、8月には南インドの薬膳スープカレー・ラッサムに梅干しや昆布といった和の要素を取り入れたカレーを提供。インドだけでなく、世界各国を代表する素材や料理を融合させることで、まるで旅気分を味わえるような一皿が完成するのだ。
そんな増川さんの想いはデザートメニューにも。世界各地の郷土菓子を製造・販売する『郷土菓子研究社』からお菓子を買い付けて、この店で提供している(夏の間は提供休止)。「カレーの後に、ヨーロッパやアジアの各地で食べられているお菓子が忠実に再現されたデザートをこだわりのコーヒーと一緒に食べてもらえれば、さらに旅気分が増すと思います」と増川さん。
増川さんのカレー作りの原点
増川さんがカレーに目覚めたのは2006年のこと。某グルメ雑誌の中で紹介されていた南インドカレーのレシピをもとにカレーを作ってみたところから、カレー作りにハマったという。その後、インド&スパイス料理研究家の渡辺玲(あきら)氏が主宰する料理教室に通い、本格的にカレー作りを学んだ。「今も僕のカレー作りの根っこのところには、渡辺さんから教わったことが基礎としてある」と、増川さんは話す。
2016年にはサラリーマンと二足のわらじで、間借りカレー店を月に1度のペースで営業開始。いつか自身の店を持ちたいと思いながら、本業の傍らカレー開発に明け暮れる日々が3年ほど続いた。
そして、2019年に転機が訪れる。当時間借りをしていた物件(現店舗)に空きが出ることになり、自分の店を持つチャンスが舞い込んできたのだ。「この場所が気に入っていた」と語る増川さんは、すぐに開業に向けて動き始めた。
店名の『かりい食堂』というネーミングには、増川さんが好きな歌手のカヒミ・カリィにも由来しているのだそう。
「渋谷系の音楽、そのスタイルやアティテュードは、僕のカレー作りや店作りのベーシックになっているんだと思います。膨大な音楽知識をもとにした編集&サンプリング的な作曲手法、DJ的な音楽創作、それらは『かりい食堂』のカレーにも通底しています。僕のカレーは、インド亜大陸のスパイス料理の数々を踏まえた上で、一皿の上にサンプリングし編集して再構築しているものです」。
増川さんの話を聞いて、カレー作りにはサブカルとも通じるものがあるのかと、カレーが持つポテンシャルの高さに感心してしまった。この店のカレーを食べるときには、そんな増川さんのカレー作りに対する想いもぜひ感じ取りながら味わってみてほしい。
『かりい食堂』店舗詳細
取材・文・撮影=柿崎真英