◆散歩コース◆
スタート
秩父駅
駅から国道299号へ出て右折。国道を道なりに行けば秩父橋。車が多いので、脇道利用がいい。
↓ 35分
秩父橋
秩父橋を渡れば左へ入る道があったが、今は通行止め。右の迂回路を使って岩之上堂へ。
↓ 15分
岩之上堂
道なりに進み、県道へ出たら左折すればすぐ観音寺。薬師堂公会堂手前の道を右折。
↓ 25分
江戸巡礼古道入り口
道が荒れているので最初は不安になるが、竹に巡礼古道の札が下がっているので安心。坂を上がる。
↓ 35分
音楽寺
尾根に出ると長尾根の道。平坦で歩きやすい。十三賢者の地蔵から音楽寺へ下りる。
↓30分
武甲見広場
音楽寺の先の道は錯綜しているので、公園内の標識をよく見て展望台へ。石楠花の小径を通って広場へ。
↓ 25分
佐久良橋
林道から車道へ出て道なりに下りると佐久良橋へ。橋を渡って秩父鉄道の線路を越えて駅へ。
↓ 30分
ゴール
西武秩父駅

郷愁度:★★☆
歩行時間:3時間15分
歩行距離:約10.5km

アクセス:[行き] 池袋駅から西武線特急で西武秩父駅、秩父鉄道御花畑駅から秩父駅、約1時間40分。
[帰り] 西武秩父駅から行きと同じ。約1時間20分。

交通費:  3130円(往復)

長尾根の道は江戸からにぎわいを見せた札所巡りの道

秩父の札所巡り、つまり34箇所の観音霊場を巡る古い道が、江戸巡礼古道である。当時、その巡礼道に辿り着くには西武線も秩父鉄道もなかったので歩いて行くわけだが、江戸からのルートはほぼ3ルートだった。(1) 飯能から吾野、正丸峠を越えて入る吾野道。(2) 小川町から東秩父村を通り、粥新田(かゆにた)峠を越えて秩父へ入る川越道。(3)寄居から釜伏峠越えの熊谷道。

この中では川越道が一番使われた道だったとのこと。あとは一番札所の四萬部寺(しまぶじ)から皆野町にある三十四番の水潜寺(すいせんじ)まで巡礼道が一筆書きのようにつながっている。

今回は秩父駅からスタートして、長尾根丘陵( 尾田蒔<おだまき>丘陵ともいう)にある巡礼道を辿って西武秩父駅に戻るという、巡礼道のごく一部を歩いてみた。

秩父駅から、まず秩父橋方向へ国道を歩く。半時間ほどで秩父橋に到着。今は遊歩道になっているというか、橋の上が公園になった旧秩父橋が隣にある。そしてその隣には橋脚だけ残った初代の旧旧秩父橋がある。三代の橋が並ぶとは珍しい。

現在の秩父橋ができるまで使われた二代目の旧秩父橋。昭和6年(1931)に完成し、現在は橋上公園。すぐ隣には明治18年(1885)に完成した初代秩父橋の橋脚だけが残る。
現在の秩父橋ができるまで使われた二代目の旧秩父橋。昭和6年(1931)に完成し、現在は橋上公園。すぐ隣には明治18年(1885)に完成した初代秩父橋の橋脚だけが残る。

以前は橋を渡ると札所二十番の岩之上堂に行く道があったが、現在は崩落のために迂回路を使う。少し遠回りして岩之上堂へ。車道から寺に下りて行くと古いお堂があった。江戸時代初期の建物らしいが、なんと味わい深い寺だろうか。札所では一番古い建築とか。森のような周囲の佇まいもいい。

「二十番法王山岩之上堂」は秩父札所の中では最も古い建物。江戸初期に建てられ、宝永 年間(1704〜1710)には観音堂の彫刻の補修を行った。木々に囲まれた佇まいがいい。
「二十番法王山岩之上堂」は秩父札所の中では最も古い建物。江戸初期に建てられ、宝永 年間(1704〜1710)には観音堂の彫刻の補修を行った。木々に囲まれた佇まいがいい。

車道に戻って、木にぶら下がっている「巡礼道」の札を見て旧道を歩いて近くの観音寺へ。大正時代に火災で焼失し、現在の本堂は小鹿野町の廃寺を移築したものだそうだ。ここは火除けの観音様といわれるが、火災時に観音様が燃えずに残ったからだろうか。

 

「二十一番要光山観音寺」は岩之上堂の先にある。大正12年(1923)に小学校の火災により類焼したが、本尊の観音菩薩は難を免れた。現在の本堂は小鹿野町の廃寺を移築したもの。
「二十一番要光山観音寺」は岩之上堂の先にある。大正12年(1923)に小学校の火災により類焼したが、本尊の観音菩薩は難を免れた。現在の本堂は小鹿野町の廃寺を移築したもの。
観音寺の手前の道端にあった江戸時代の道しるべ。「みぎ廿一番」と石に刻まれている。
観音寺の手前の道端にあった江戸時代の道しるべ。「みぎ廿一番」と石に刻まれている。

右手に折れて坂を上がって行くと、童子堂跡に。童子堂は明治43年(1910)まではここにあったのだが、坂を上がるのが大変だったのか、今は下のほうにある。

札所巡りの途中、長尾根丘陵に到着。武甲山を望み、一息つく。

ここから本格的な江戸巡礼古道になる。何が本格的かといえば、道なき道のような荒れた道なのだ。

道は竹薮に囲まれ、しかもそれが倒れている。少々不安になるが、ときおり竹に「巡礼古道」の手書きの札が下がっていて安心する。荒れた道が終わり、尾根道に出る。ここが長尾根丘陵。武甲山も見え、ほっとする。

竹藪の中を通る江戸巡礼古道。
竹藪の中を通る江戸巡礼古道。
竹藪の巡礼古道を抜けると展望が開けて武甲山が見えた。ほっとする一瞬だ。
竹藪の巡礼古道を抜けると展望が開けて武甲山が見えた。ほっとする一瞬だ。

尾根道を通り抜け、音楽寺へ到着。見たことも聞いたこともない歌手のポスターが何枚も本堂のそばに張られていた。ヒット祈願の寺を後にして、ミューズパークの展望台へ。秩父市街の全貌が見えた。秩父はつくづく大規模な隠れ里のように思える。

「二十三番松風山音楽寺」。寺名の由来は、近くに札所を創設した十三賢者の地蔵があるが、その賢者たちが松風の音を聞いて、それは菩薩の奏でる音楽だと感じたので。ヒット祈願で訪れる人も多し。
「二十三番松風山音楽寺」。寺名の由来は、近くに札所を創設した十三賢者の地蔵があるが、その賢者たちが松風の音を聞いて、それは菩薩の奏でる音楽だと感じたので。ヒット祈願で訪れる人も多し。
音楽寺の上、小鹿坂峠には秩父札所の創設者とされる十三賢者の地蔵が並んでいる。
音楽寺の上、小鹿坂峠には秩父札所の創設者とされる十三賢者の地蔵が並んでいる。
さんぽMEMO
札所をもっと巡りたい場合は、秩父橋まで行く途中に十六番西光寺、十七番定林寺、十九番龍石寺などがある。佐久良橋からは二十四番法泉寺まで約1km。十四番今宮坊は慈眼寺の手前にある。

アドバイス
秩父ミューズパーク内の道はわかりにくいので公園内の標識を確認しよう。公園内にも江戸巡礼古道が通っているのでもう少し整備をしてほしいところだ。

江戸巡礼古道

江戸時代に一番札所四萬部寺から三十四番の水潜寺まで巡った道。元禄15年(1702)頃に道端に石でできた道しるべが置かれた。その当時の道が今も残っているが、わかりにくい箇所もある。

コース上の札所

「十三番旗下山慈眼寺」は明治11年(1878)の秩父大火により焼失したが、明治34年(1901)に四萬部寺の本堂を模して再建された。目の健康に御利益があるといわれている。
「十三番旗下山慈眼寺」は明治11年(1878)の秩父大火により焼失したが、明治34年(1901)に四萬部寺の本堂を模して再建された。目の健康に御利益があるといわれている。

札所とは「秩父札所三十四箇所観音霊場」といい、鎌倉時代の文暦元年(1234)に開創され、室町時代後期には定着したといわれる。江戸時代になると観音信仰巡礼の聖地としてにぎわった。34箇所を回ることを札所巡りという。全部を回ると約100キロ。結願すると、長野県にある善光寺に参拝するのが慣例となっている。

 

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より