「大黒湯」の思い出

「大黒湯」が閉めるという情報が入った時、私はついにその日が来たか、と思った。数年前から、女将さんとの会話の中で「もうそろそろやめたい」との話が出ていたからだ。

私が初めて「大黒湯」に出会ったのは40年近く前、都内の銭湯巡りを始めたころだ。早朝、車で足立区銭湯巡りをしようと決め、手始めに北千住に来た時だった。

当時の私の銭湯巡りは、電話帳であらかじめ目的地の銭湯を調べておき、まず効率よく片っ端から訪ねてまわる。趣のある銭湯を見つけた場合は、後日入浴に行き、帰り際にコーヒー牛乳を買って、さりげなく写真を撮らせて欲しいとお願いをし、また後日営業前に行って内部を記録する。その繰り返しだった。

「大黒湯」に出会うまですでに100カ所ほどは見ていたので、大体の銭湯様式は把握していたが、しかし、「大黒湯」はそれまで見てきた銭湯とは桁違いの荘厳さであった。

堂々とした大きな千鳥破風(ちどりはふ)やカーブのある唐破風(からはふ)、さらに軒下などの彫刻が豪華で、当時は「千社札」が貼られていたくらいだ。男女で入り口が分かれていたのも珍しい構造だった。

改装前の「大黒湯」。(1983年ごろ)

これらを見て私は、この銭湯は只者ではないと強く感じた。もちろん入浴の帰りに後日、撮影のお願いをしたのは当然のことであった。

そして私は考えた。この豪華な銭湯をひと言で表すとするならば何がいいだろうか?

思い浮かんだのが1992年1月スタートした 織田信長が主人公のNHK大河ドラマ、そのタイトル「キング・オブ・ジパング」にヒントを得て名付けたのが「キングオブ銭湯・大黒湯」である。

われながらこのネーミングは大ヒットだった。結果これが「大黒湯」の称号として定着したのだから。

北千住は銭湯ゴールデン・トライアングル

ところで、「大黒湯」のある地区一帯を、「銭湯のゴールデン・トライアングル」と名付けたのも私だ。足立区の千住大橋を要として、常磐線と隅田川に挟まれた扇状に広がる銭湯の多かった地区だからである。

ちなみに最盛期の昭和46年(1971)、この地区には24軒の銭湯があったが、「大黒湯」なき今、なんとわずか3軒になってしまった。

私がゴールデンと名付けたのは件数もさることながら、豪華な銭湯が多かったからでもある。例えば現在「江戸東京たてもの園」に移築保存されている「子宝湯」は「大黒湯」の隣風呂でもあった豪華な宮造り銭湯である。

さらには庭が豪華な『タカラ湯』や、浴槽の一部に富士山の溶岩を使用した『ニコニコ湯』や『金の湯』などもあり、それらがまだ営業 しているのは心強い。

なぜこの三角地帯に立派な銭湯が多いのかについて考えてみた。

実はこの地区は旧千住宿と呼ばれた宿場町で、足立市場も近い。さらにはかつて「おばけ煙突」と呼ばれた東京電力の千住火力発電所や重工業地帯が近く、色街として栄えた地区もあって、どの銭湯も沢山の客でにぎわったのである。

『タカラ湯』の先代の日記によると、大晦日は3000人近くも来ていたとか。ならばこの地区の銭湯が競って豪華な造りにしたも当然のことだったろう。

現在の「大黒湯」。しばらくはこのままの姿で残るらしい。

「大黒湯」の歴史、そして見どころ

最後に、「大黒湯」の歴史や見どころについて説明したい。

まずは外観だ、正面に立つと目に入るのがで「唐破風」の曲線。その上に2段の三角の「千鳥破風」があり、特に上段が大きく、「狐格子」という木の格子となっているのは戦前築の証である。

以前私がご主人の清水久司さん(故人)に聞いた話によると、清水さんが別の銭湯から「大黒湯」に来たのは昭和35年(1960)、経営者としては5代目だった。

昭和4年(1929)築だが、代替わりしているので詳しいことは不明だという。女将さんは隣り風呂の『金の湯』から嫁いできた。

見どころはまだある。唐破風の下には「鳳凰」の彫刻、その下の「蟇股(かえるまた)」という部分は打ち出の小槌の中に大黒様が彫りぬかれてお客を迎えてくれる。

正面の屋根部分(改装前)。

改装前は屋根瓦は本瓦葺きだったが、雨もりがひどく、改装後は金属軽量瓦となった。同時に入り口も向かって右端に移動し、番台からフロント形式とした。

中に入って、脱衣場の見所は、神社仏閣と同じ造りで高さは10mほどはある「折り上げ格天井(ごうてんじょう)」。格子状の鏡板には104枚全てに花鳥風月の日本画が描かれている。

脱衣所の天井(改装前)。

浴室の男女境のタイルは信州木曽の「山越え」が題材となっている。この絵は私の知る限り他にはないのでおそらく特注であったと思う。

正面のペンキ 絵は、2018年に丸山清人絵師と当時の弟子の勝美麻衣さんが描いたもので、もちろん名入りである。

こちらの富士山は中島盛夫さんの絵。

このように大黒湯は宮造り銭湯に於いてはまさに昭和の銭湯文化が頂点に達した時代を代表する豪華な造りの銭湯であったと言える。

従って「キングオブ銭湯」の称号を、他に与える気はしない。野球でいう「永久欠番」ということにしたのだ。

文・写真=町田 忍