『国境の南、太陽の西』1992年、講談社刊
『国境の南、太陽の西』1992年、講談社刊

最近本棚を整理していてそのことを思い出し、久しぶりに読んでみたら、この小説はまさに今の僕の年頃を描いた話で驚いた。主人公は三十七歳、ぜひ同じ年齢であるうちにこの小説の舞台も散歩しておかなくてはと思った。

村上春樹のなかでも地味な小説『国境の南、太陽の西』

まずは『国境の南、太陽の西』について簡単に振り返ってみよう。

主人公ハジメは一人っ子であることにコンプレックスを感じていたが、小学五年生のときに一人っ子の女の子・島本さんと出会い意気投合、レコードを聴くなど一緒の時間を過ごすようになる。しかし、違う中学校に入って疎遠になり、ハジメは高校時代にイズミという女の子と交際することに。あることが原因でイズミを傷つけてしまい、ハジメは大学時代、社会人時代と暗い青春を送る。

人生の転機が訪れたのは三十歳のとき。旅先で出会った有希子と結婚し、彼女の父が持っていた青山の物件でジャズバー「ロビンズ・ネスト」を開いた。バーの経営は成功を収め、ハジメは二人の子供と幸せに暮らしていた。

あるとき、ハジメの経営するジャズバーに島本さんがやって来て、物語が動き出す。美しく成長した島本さんの姿を目の当たりにし、心かき乱されるハジメ。そしてハジメが三十七歳になりしばらく経ったある雨の降る夜、バーに島本さんが再びやって来る。島本さんは遠くの川に連れて行ってほしいと話し、二人はともに旅に出る約束をする……。

あらすじと相関図だけ見ると、なんてことない話だ。アラフォー男が幼なじみと再会し、心が揺れ動くというなかなかクラシカルな不倫話。しかも作者が得意とするファンタジー要素やパラレルワールド的な展開もない。けれど、久々に本作を読み返してみると、文章のなかに込められた想いの密度に驚かされた。幼少期から30代後半までが静かに語られる本作は、自伝的作品とも言われている。淡々とした語り口も心地よく、内容が重たいのに思わず一気読みしてしまった。

現実の風景なのかわからなくなる、東京という街の象徴

では、そろそろ主人公のハジメと東京の街を歩いてみよう。散歩するのはもちろん、物語の舞台となる東京、青山。赤坂から青山通り(国道246号)沿いを渋谷方面へと歩いて行くと青山エリアの全景が見えてくる。

歩き始めてまず思ったのがこの道、輸入車の交通量がとても多いということ。東京の街を運転したことがある人はわかるだろうが「246」は港区、渋谷区、世田谷区などを経由し神奈川に伸びる大動脈だ。とくにこの辺りは東京のど真ん中、高級住宅地も近いこともあり、青山近辺は高級車が目につく。それを裏付けるかのように、青山通り沿いは高級車のディーラーもたくさんある。

小説のなかで主人公ハジメが乗っていたBMWとジープのチェロキーも(もちろんいずれも当時の型ではないのだけれど)、頻繁に目にする。そういえば、『国境の南、太陽の西』はハジメが運転するシーンが実に多い作品だった。

なかでも印象的なのが、冒頭にも述べた青山通りでの信号待ちのシーン。ハジメはBMWを運転しながら、目の前にある幸せな生活が本当に自分のものなのか、不思議に感じるのだ。冒頭に引用した文章はこう続けられる。

「まるで誰かが用意してくれた場所で、誰かに用意してもらった生き方をしているみたいだ。いったいこの僕という人間のどこまでが本当の自分で、どこから先が自分じゃないのだろう。このまわりの風景のいったいどこまでが本当の現実の風景なんだろう。それについて考えれば考えるほど、僕にはわけがわからなくなった。」
(『国境の南、太陽の西』より)

知らず知らずのうちに今の立場にいる自分に戸惑うハジメ。高級車の重たいアクセル音が響き続けるここ青山は、ハジメのような成功者が、もしくは成功したことに戸惑っている者が行き交う場所、東京の象徴と呼べるのかもしれない。自分がこの年齢になってみて気づいたが、本作はアラフォーの持つ切なさや鬱々とした想いを見事に具現化した小説でもあるのだ。

明るいうちに、一つ道草することとしよう。青山一丁目の交差点から歩いて10分弱ほどの場所にある青山霊園へ向かう。ここも本作に登場する印象的なスポット。ハジメの住むマンションからはこの霊園が見渡せ、幾度も物語に登場する。そして、以前の記事で述べた『ノルウェイの森』などほかの村上春樹作品に通ずる、「死」というテーマが見え隠れする。生と死はものすごく近いものであり、切っては離せないものということを、この霊園は表しているのだ。

幻想と現実が入り混じる、青山の夜

ここからは夜の青山を歩いてみる。青山通りに戻り外苑前を目指す。先程、霊園を通ったせいか、僕は昔耳にした『国境の南、太陽の西』にまつわる怖い話を思い出してしまう。

物語の後半、ハジメが島本さんとアメリカのジャズピアニスト、ナット・キング・コールが歌う「国境の南」を聴くという描写がある。だが実はナット・キング・コールが残した音源には、「国境の南」というタイトルは存在しない。初期三部作『羊をめぐる冒険』でも「国境の南」は死を想起させる場面で登場することから、島本さん幽霊説が存在することはファンの間でも有名だ。そう考えるとこの作品は、ただの不倫話ではなくなる。

外苑前駅からほど近い、青山通りと外苑西通りの交差点までやってきた。夜こそ交通量が増え、ランプの灯りが眩しい。

BMWのハンドルを握りながら「僕にはわけがわからなくなった」と感じた、主人公ハジメ。大人になった島本さんは、現実の風景がわからなくなった彼が生み出した幻想なのだろうか。この青山で三十代後半の一人の男が抱えていたものは何だったのだろう。そんなことを考えながら歩く。とっぷり日は落ちたものの、煌々とした車のライトと街の灯に照らされ青山の街はまだまだ明るい。

今回の散歩の終着点は外苑西通り。ハジメが経営していたバー「ロビンズ・ネスト」を思わせる小さなバーが点在するエリアだ。

島本さんが幻想だったかどうかはわからない。人によりいろんな解釈があるはずだ。これはあくまで、僕の考えだが島本さんは幽霊じゃなかったのでは。血が通った生身の人間で、ハジメが生きるために乗り越えなくてはならない現実の壁だった……。なんの根拠もないがそんな風に感じるのは、僕が彼と同じように歳をとってしまったからだろうか。

そういえば、島本さんが「ロビンズネスト」を訪れるのは決まって雨の夜だった。今度は雨の日の夜に、また青山を訪れてみようと思う。

文・撮影=半澤則吉