ルーツをたどれば軍都の歴史が見え隠れ

赤羽で公園を探し歩いていると、大きな公園は西口側に集中していることに気づく。特に、赤羽緑道公園の先に赤羽自然観察公園があったり、途中で桐ヶ丘中央公園へ枝分かれしたりと、緑道公園が他の公園へのハブ的な役割を果たしている印象も受けた。案内を見ていると、戦時中に軍事用物資を輸送する貨物線だったらしい。ならば、その先にある公園も軍事施設だったのではないか。

どうにも気になり北区立中央図書館に問い合わせると「赤羽の主要な軍事施設は、駅から西側に集中していました。戦後、米国に接収され、その後返還されてから広い土地を公園にしたのです」と、地域資料専門員の黒川徳男さん。赤羽自然観察公園は、兵器や弾薬を補給する役割の兵器補給廠(しょう)。桐ヶ丘中央公園がある桐ヶ丘団地は火薬庫などだ った

また、ヌーヴェル赤羽台団地は被服本廠で、そこに麻製品を納めていた工場は、東口側に。その跡地は、現在赤羽公園になっている。軍事施設は街の西側に集中していたものの、軍用物資を作る工場などは、駅の東側のいたるところにあったのだ。
今はのどかな赤羽の公園だが、歴史を紐(ひも)解くと改めて街全体が「軍都」だったことを思い知らされる。

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赤羽台さくら並木公園

園内にひそむ防空壕

もともとは陸軍近衛工兵第一連隊の敷地の一部。現在は桜並木が美しい公園前の通りには、射撃訓練場があったというから驚きだ。木陰が涼しい園内を歩いていると、防空壕跡を発見。崩落や陥没の危険を払うため、戦後に埋め戻しされた北区の防空壕の中で、保存されているのはここだけ。

●東京都北区桐ケ丘2-11-37

赤羽緑道公園

陸軍の貨物線が、木漏れ日豊かな緑道に

この道が東京陸軍兵器補給廠線跡。赤羽駅の北、東北線から西に分かれて線路が続いていた。
この道が東京陸軍兵器補給廠線跡。赤羽駅の北、東北線から西に分かれて線路が続いていた。

明治42年(1909)に引き込まれた陸軍の貨物線。その跡に整備された約1㎞の緑道に線路模様を描き、往時を彷彿とさせている。線路にちなんで、赤羽保健所通りに架かる煉瓦の橋の欄干は車輪のデザイン。この道を蒸気機関車がシュッシュと疾駆していた姿を想像すると、ロマンあふれてなんとも胸躍る。

●東京都北区赤羽台3-8

赤羽公園

実は軍用も製造する製麻工場だった!?

戦前、陸軍の被服本廠に納める日本製麻の工場だった場所は、東西にプレイロット(幼児向けの遊び場)のある公園に。東側プレイロットは、入り口のモニュメント「大空の門」が象徴的。かつては滑り台としても遊べたそう。また西側には3頭のキリンの滑り台があり、家族連れに大人気。

●東京都北区赤羽南1-14-17

取材・文・撮影=高橋健太(teamまめ)
『散歩の達人』2021年6月号より

【赤羽って、どんな街?】老いも若きも、古きも新しきも、ダメ人間も働き者も同居する、東京最北端の繁華街
東京最北端の繁華街として栄える赤羽。その中心部にあるJR赤羽駅は、1日10万人近い乗降者数を誇る要衝駅として、街のにぎわいを支える。 駅の東口には昔ながらの横丁や商店街がドシンと構え、昼間から酔ったオヤジが管を巻いていたり、威勢のいいお母さんたちが井戸端会議に花を咲かせていたり。かと思えば女子に受けそうなバーやカフェもある。駅の西側にはショッピングモールやスーパーマーケットが並び、学生や子育て世代からも人気のエリアだ。