それは何?と男は言った

空になったワンカップをビニール袋から取り出し、商品名のシールが見えないよう壁側に向けて部屋の角に置いた。2本目の蓋を開けようとした時。待機室に50代くらいの男性が入って来た。あわてて手に持っていたワンカップをポケットに隠した。初見の人物だったが、プロデューサー風の雰囲気が漂っている。立ち上がって「よろしくお願いします」と挨拶をしても芳しい反応が返ってこなかった。プロデューサーの視線は私の横をすり抜け、部屋の角に向かった。嫌な予感がした。少し体をずらして視線を遮ろうとする努力も虚しく、プロデューサーは壁際の空きビンを指差して言った。

「それは何?」

初めてそれに気付いたかのように「ああ、ビン……ですかね?」と答える小芝居が犯人は私だと確信させたようだ。プロデューサーの目線は真っ直ぐ私に注がれた。

「いや、だから何のビン?」

危機的な空気を感じたが、状況を打破する答えは見つからない。

しどろもどろになりながら、「え? ああ、お酒……ですかね?」と答える。男性の険しかった表情が一気に緩み、「お兄さん、ロックだね〜!」と笑ってくれるわずかな可能性に期待しながら。

そうはならなかった。

プロデューサーは眉間に皺を寄せながら私の目を見つめ「いや、あり得ないでしょ」と告げた。不快感を表現するように深くため息をついた後、こいつら連れて来たの誰?的な雰囲気を醸しつつ部屋を出て行った。

怒りは隣の部屋の若手スタッフにぶつけられたようだ。「何してんだよ‼ 本番前に酒飲ませてんじゃねえよ‼」「次に来るゲスト、ポニキャン(ポニーキャニオン)さんのアイドルなんだけど‼」「収録に酒持ち込んでるのなんて見つかったら、こんな番組一発で潰されっぞ‼」ドア越しに聞こえてくる激しい叱責を聞きながら、何の後ろ盾もない弱小バンドマンの私は若手スタッフへの申し訳なさと、業界の不気味な強大さに震えながら佇んでいた。

絶対NGでもないらしい

ライブ前に酒を飲んでいてもライブハウスのスタッフに文句を言われたことはなかったが、やはりライブハウス界隈の常識がそのまま通用するわけではない。

しかし、テレビやラジオに出る前に酒を飲んでいることをネットのインタビューで公に打ち明けて以降、読んでくれた関係者が打ち合わせの席などで「お酒頼んでもいいですよ」などと気遣ってくれるケースが増えた。とあるラジオに出演した際には、先方がビールや酎ハイなど数種のお酒を用意してくれ、飲みながら生放送ということすらあった。さすがにそんなケースは稀だろうが、少なくとも、ラジオイコール絶対お酒NG、というわけではないようだ。

仕事の前に酒を飲むことが、社会的にどの程度の禁忌とされているのか、数年間探っているが、未だはっきりしたボーダーラインは分からない。とりあえず、ラジオやテレビに出演する際は人のいる楽屋でお酒を取り出すことを控え、トイレの個室に隠れて飲むことで、怒られる事態を避けている。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年12月号より