「寅のアリア」とは何か?
「アリア(Aria)」とはイタリア語で、オペラなどで歌われる叙情的な独唱曲のこと。作品中、寅さんのひとり語りの長セリフが、時にアリアを彷彿とさせることからいつしかスタッフの間で「寅のアリア」と呼ばれるようになった。
さて、「寅のアリア」とテーマをぶち上げてはみたものの、そもそも『男はつらいよ』スタッフの間で自然発生的に称されるようになったものなので、定義なんてものは存在しない。
このままじゃあ、原稿なんか書けないぞ。困ったぁ困った(by御前様)と言っててもしようがないので、まずは独断的に定義づけてみる。
定義を勝手にひねり出してみると、「寅のアリア」とは、寅さんの長セリフのうち
・旅先ほか身のまわりの出来事を叙情的な言葉で再現する
・経験、哲学、こだわりを独特の着眼点と見事な想像力(妄想力?)で語る
・口真似、擬音などが効果的に入る
・過度に感情的にならず優しい口調で語る
といった点が挙げられよう。これらが複数当てはまるものを投稿では「寅のアリア」とする。
この定義に基づいて『男はつらいよ』48作品(第49作、第50作は除外)を洗い出してみると、「寅のアリア」は以下の55シーンに見出だせた。なおタイトルは筆者の独断である。
寅のアリア全リスト
〈第1作〉恋愛指南~博編
〈第2作〉お茶が1杯2杯3杯
〈第3作〉理想の女房
〈第4作〉泥棒顛末
〈第5作〉風呂屋のかま焚き
〈第6作〉さくらの日常
〈第9作〉理想の下宿
〈第10作〉信濃路はもう秋
〈第11作〉旅の灯り(1部)
〈第11作〉旅の灯り(2部)
〈第12作〉長旅がえり
〈第13作〉温泉津の朝
〈第14作〉葬式プラン
〈第15作〉リリー夢舞台
〈第16作〉寒河江エレジー
〈第17作〉ウチのおじいちゃん
〈第17作〉ぼたんの宴
〈第18作〉上流社会の晩餐
〈第20作〉秋の日の押し売り
〈第20作〉恋愛指南~ワット君編
〈第20作〉姉さんと2人きり
〈第21作〉とらやチェーン
〈第22作〉寅釈 コンニャク物語
〈第24作〉恋愛指南~日本人編
〈第25作〉リリー寅さん同棲時代
〈第26作〉タヌキ校長
〈第27作〉タコ江戸川に浮く
〈第28作〉笛の音とチャルメラ
〈第28作〉改築愛の巣
〈第30作〉恋愛指南~三郎編
〈第31作〉佐渡の連絡船
〈第32作〉お茶が1杯2杯3杯ふたたび
〈第32作〉家出顛末
〈第33作〉床屋の夫婦
〈第34作〉人妻妄想
〈第34作〉万一の事態あとのこと
〈第35作〉恋愛指南~民夫編
〈第37作〉小百合の寿司屋
〈第37作〉好みのタイプ
〈第38作〉帳場の寅さん
〈第39作〉理想の旅館
〈第40作〉小諸入院
〈第40作〉ワット君in早稲田
〈第40作〉おじいさん永眠
〈第43作〉満男と泉 恋の行方
〈第43作〉旅立ちの東京駅
〈第44作〉商売指南~三平サクラ編
〈第44作〉楽器屋の泉ちゃん
〈第44作〉月夜の帰り道
〈第45作〉満男と泉 駆け落ち
〈第46作〉瀬戸の連絡船
〈第46作〉瀬戸の満男
〈第47作〉商売指南~満男鉛筆編
〈第48作〉津山の花嫁
〈第48作〉島唄かなちゃん
寅のアリアを5つに分類してみる
落語に滑稽噺、人情噺、郭噺などのジャンルがあるように、ひと口に「寅のアリア」と言っても、いくつかの類型がある。
ざっくり分けると、
・旅情語り
→旅先の情景を叙情的に語る
・できごと語り
→身のまわりのできごとを臨場感たっぷりで
・理想語り
→寅さんの思い描くさまざまな理想像をじっくりと語る
・願望と妄想
→寅さんの切なる願いやバカバカしくも愛にあふれた妄想など
・諸事指南
→恋愛テクニックのレクチャーを中心に、たまに仕事術などもご教示
ってな感じ。さすが寅さん、そこらへんの新人選手とは違う。そのパフォーマンスは、広島カープ・菊池のように守備範囲が広く、ダルビッシュのように球種も豊富だ。
では、それぞれの類型ごとにアリアのあれこれを見ていこう。
1.旅情のアリア
寅さんが語る旅情と故郷
「旅情語り」には、以下の9シーンがある。
【旅情語り】
〈第10作〉信濃路はもう秋
〈第11作〉旅の灯り(第1部、第2部)
〈第13作〉温泉津の朝
〈第16作〉寒河江エレジー
〈第20作〉秋の日の押し売り
〈第31作〉佐渡の連絡船
〈第46作〉瀬戸の連絡船
〈第48作〉島唄かなちゃん
「さくら、信濃路はもう秋よ…。村はずれの優しいお地蔵さんの顔に赤い夕日が差してカラスがカァーっと鳴いてなあ…」(「信濃路はもう秋」第10作)
情景がありありと浮かんでくるものや、
「雨戸をカラッと開ける。パアーっと一面眼にしみるような青い海。これが日本海だ。(中略)『番頭さん、朝ごはんですよ』『あい、すぐ行くよ』そう答えておいてポンポンポンっと布団を畳む。トントントントントーンっと階段を下りて、カラっと湯殿の戸を開けてザブーっと朝風呂に入る…」(「温泉津の朝」第13作)
と、臨場感が印象的なものまで、さまざまなアリアが旅情を誘う。
なかでも特筆すべきは「秋の日の押し売り」(第20作)ではないだろうか。
「たとえば俺は旅をしている。秋の陽はつるべ落としよ。遠くの寺でゴーンと鐘の音が聞こえる。(中略)もう矢も盾もたまらなくなってよ、飛ぶようにして一目散に帰ってきた。帝釈天の参道、寺の山門、土産屋の家並…。ここだけは昔と変わっちゃいねえ…」
旅先で故郷を思う様から、旅人、フーテンのさみしさがにじみ出る。
ふるさとは遠きにありて思ふもの(室生犀星)
まさに、そんな境地だろう。寅さんって、間違いなく吟遊詩人だ。
2.できごとのアリア
同棲にキュンキュン、タコ捜索に爆笑!
「できごと語り」に類型されるシーンは全14シーンを数える。
【できごと語り】
〈第4作〉泥棒顛末
〈第6作〉さくらの日常
〈第17作〉ウチのおじいちゃん
〈第17作〉ぼたんの宴
〈第18作〉上流社会の晩餐
〈第22作〉寅釈 コンニャク物語
〈第25作〉リリー寅さん同棲時代
〈第26作〉タヌキ校長
〈第27作〉タコ江戸川に浮く
〈第28作〉笛の音とチャルメラ
〈第32作〉家出顛末
〈第40作〉小諸入院
〈第40作〉ワット君in早稲田
〈第40作〉おじいさん永眠
いずれも劣らぬ名シーンだが、どれがお気に入りかと問われたら、正統派寅さんファンなら、「リリー寅さん同棲時代」(第25作)を選ぶだろう。
「いつものように俺は夕方、仕事から帰るだろう。『ただいま』『あ、お帰り』『暑かったろ、さ、ひとっ風呂浴びてきな。ハイ。タオルとせっけん』『あー、ありがとう。ビールは冷えてるかい?』『もちろんよ』…」
と小気味いいテンポで表現される2人の同棲生活はまさに『神田川』に代表される四畳半フォークの世界。シリーズ中随一のリアルな幸せのひとときが語られている。ま、もっとも、
「『生活費は俺がみるからブラブラ遊んでろ』(中略)『男の世話になるのはまっぴら』」
というオチがつくのだが…。
ただ「リリー否定派」を自認する筆者の推しアリアはこれ、「タコ江戸川に浮く」(第27作)だ!
「俺はてっきり社長は江戸川に身を投げて、土左衛門(どざえもん)になったもんだと思ってな、(中略)篠崎水門まで行くと、社長、お前と同じ姿の白い物がポッカリ浮かんでるんだ。俺ぁ竹竿でもってな、突っついてみたんだ。そしたら、おめえ、腹にガスの溜まった子ブタの死骸だったの。(中略)『社長~、社長さああん』お前の名前呼んでるうちに涙がボロボロボロボロこぼれてきてなあ、『そうだ!俺の言葉のせいで社長は死んだんだ! だったら俺も死のう!南無阿弥陀仏!』。江戸川に身を投げようとするこの俺を、源公が袖を掴まえて『アニキ! 早まっちゃいけねえ!』『いいからてめえ離せ!』…」
行方不明のタコ社長の捜索を描いたこの一人芝居が延々続く。アクションが多く、エンターテイメント性も高いこの熱演は、そのまま新作落語の爆笑ネタの一席となりそう。
加えて同作のストーリーともシリーズ全体のテーマとも一切関係がないというのも実にバカバカしくも痛快ではないか! これこそが喜劇の真骨頂だ。
3.理想のアリア
「理想の女房」の影の立役者はおばちゃん?
寅のアリアの類型のうち、どれがいちばん好きかと問われたら、筆者は即座にこの「理想語り」(全9シーン)と答える。
【理想語り】
〈第3作〉理想の女房
〈第9作〉理想の下宿
〈第12作〉長旅がえり
〈第14作〉葬式プラン
〈第21作〉とらやチェーン
〈第28作〉改築愛の巣
〈第37作〉好みのタイプ
〈第38作〉帳場の寅さん
〈第39作〉理想の旅館
粋で常識外れで、身のほど知らずな寅さんのこだわりがハッキリとわかるからだ。とりわけ「葬式プラン」(第14作)「とらやチェーン」(第21作)「改築愛の巣」(第28作)はダイナミックな妄想が炸裂!どこか“こち亀”の両さんを彷彿とさせる。
しかし『男はつらいよ』は寅さんの恋愛譚、ここは「理想の女房」(第3作)を推しておきたい。
寅さん、理想の女房像について、
「別に注文なんてあるわけねえじゃねえかよ」
「ババァじゃなかったらいい」
と前置きはするも、
「気立てが優しい」
「寝坊の女はいけない」
「化粧して三つ指の1つもついて『お帰りなさいまし。お疲れ様でしょ』くれえのことは、ちょっと言ってもらいたい」
「風呂が先か酒が先かツラ見てわかるようじゃなきゃダメ」
「横になりてえなあと思うときにはさ、スッと枕が出る」
と理想の女房の条件を調子にのって並べ立てる。
極めつけは、
「女にはたしなみってもんが必要なんだよ。亭主の前でもってさ、よくバタバタバタバタ『あたし、オシッコ行こう』なんて、おばちゃん、よくやってるじゃない。『あ、あたし、もっちゃう、もっちゃう、もっちゃう、もっちゃう』(中略)男の気が付かねえようにスッと用を足して帰ってくる、そういうたしなみが欲しいと言ってるワケだ」
と、おばちゃんをダシにして締めくくる……って始末。
元首相とかが言おうもんなら、社会的に袋叩きに合うであろうこのシーンの価値は、寅さんの饒舌かつ偏狭な(?)語りだけではない。第3作という初期作品であるだけに、「これは理想通り」「ちょっと理想とは矛盾してない?」などなど、以降の作品のマドンナ評価の指標ともなっているのだ。ここまで存在価値の高いシーンともなれば、さんざんイジられたおばちゃんも浮かばれよう。良かったなあ、おばちゃんよう!
4.妄想のアリア(人物編/職業編)
寅さんは妄想もダンディなのだ!
この「願望と妄想」のアリアは、人物編と職業編に大分できる。
まずは人物編11シーンから。
【願望と妄想 人物編】
〈第2作〉お茶が1杯2杯3杯
〈第20作〉姉さんと2人きり
〈第32作〉お茶が1杯2杯3杯ふたたび
〈第34作〉人妻妄想
〈第34作〉万一の事態あとのこと
〈第43作〉満男と泉 恋の行方
〈第43作〉旅立ちの東京駅
〈第44作〉月夜の帰り道
〈第45作〉満男と泉 駆け落ち
〈第46作〉瀬戸の満男
〈第48作〉津山の花嫁
34作までは、マドンナ絡みの妄想がメインだが、43作以降はことごとく満男関連だ。
「結婚式だ。満男、羽織袴。あの子は白無垢の打掛け。こりゃキレイだぜ、おばちゃん。な~。俺の前に両手をついて『おじちゃま、ありがとうございました。私、きっと幸せになります』」(「満男と泉 恋の行方」第43作)
寅さんの妄想のなかでは、満男と泉ちゃんは結婚することになっている(結局その妄想は外れるのだが…)。
かと思えば、
「東京発、ベルが鳴る。『満男さん私やっぱり大分のお父さんに会いに行くわ』『え?』ほれた男が黙って見てられるか?発車間際の新幹線に飛び乗ったのよ。『泉ちゃん、僕も一緒に行くよ!』扉が閉まるプシュー。『発車オーライ~』ポー、カクン、シュシュシュシュ~」(「旅立ちの東京駅」第43作)
と、中川家(礼二)顔負けの鉄オタ模写を披露するなど、手変え品変え満男を案じる。
たとえ妄想であってもここまで伯父に思われる満男がうらやましい。第42作以降の満男編における寅さんの醍醐味ってココだよねっ。
続いて職業編5シーン。
【願望と妄想 職業編】
〈第5作〉風呂屋の釜焚き
〈第15作〉リリー夢舞台
〈第33作〉床屋の夫婦
〈第37作〉小百合の寿司屋
〈第44作〉楽器屋の泉ちゃん
「風呂屋の釜炊き」(第5作)以外はすべて、女性の将来を案じてのこと。寅さんという男の優しさが色濃く表されている。
なかでも「リリー夢舞台」(第15作)は寅さんのダンディズムが極まったシーンだ。
お金があったら、リリーに大きな劇場で、好きなだけ歌を歌わせてあげたいと語る寅さん。そして素敵な妄想の幕が上がる…。
「ベルが鳴る。場内がスーッと暗くなるなあ。『皆様、たいへん長らくお待たせをばいたしました。ただ今より、歌姫・リリー松岡ショーの開幕であります』、静かに緞帳が上がる。スポットライトがパーッと当たってね。そこへ、真っ白けなドレスを着たリリーがスッと立っている。(中略)やがて歌が終わる。花束! テープ! 紙吹雪! ワァーッと割れるような拍手喝采だよ。あいつはきっと泣くな。あの大きな眼に涙がいっぱい溜まってさ。いくら気の強いあいつだってきっと泣くよ」
2分31秒、「寅のアリア」史上最長のセリフ。撮影後のラッシュフィルムを観たリリー役の朝丘ルリ子さんが、その場で涙を流したという。このシーンを語る上でこれ以上の賛辞はない。
5.指南のアリア
愛を語るは眼か口か…。できるか? 青年!
「寅のアリア」諸事指南カテゴリーは以下の全7シーン。
【諸事指南】
〈第1作〉恋愛指南~博編
〈第20作〉恋愛指南~ワット君編
〈第24作〉恋愛指南~日本人編
〈第30作〉恋愛指南~三郎編
〈第35作〉恋愛指南~民夫編
〈第44作〉商売指南~三平サクラ編
〈第47作〉商売指南~満男鉛筆編
「とらや」店員の三平ちゃんにバイの“サクラ”の演技を仕込もうとする「商売指南~三平サクラ編」(第44作)、仕事に悩む満男にセールスのテクニックを披露する「~満男鉛筆編」(第47作)も名シーンだが、詳細は映像で観ていただくとして、ここでは恋愛指南全5シーンに焦点を当ててみたい。
指摘したいのは、それぞれの主張にみられる、ある矛盾だ。
「要するに女をつかむのは眼だよ。(中略)眼にものを言わせるわけだ」(第1作)
「バカ、日本の男はそんなこと言わないよ。何も言わない。眼で言うよ『お前のこと愛してるよ』。すると眼で答えるな『悪いけど私あんたのこと嫌い』。するとこっちも眼で答えるな『わかりました。いつまでもお幸せに』。そのままクルッと背中を向けて黙って去るな。それが日本のやり方よ」(第24作)
「『三郎さん、ほんとのことをおっしゃって』『螢子さん、僕はあなたのことを愛しています』、なんてことを間違っても口に出しちゃいけないぞ。口で言わない、
眼で言うんだ」(第30作)
これら3シーンは「眼」で愛する気持ちを伝えることを推奨。なかなかの高等テクニックと見受けられる。
一方、
「差し出したおまえの手に娘の頬が触れる。娘が振り返る。いいか、ここで眼をそらしちゃいけないぞ。ジーッと娘の眼を見る。おまえが好きなんだよという思いを込めて娘の眼を見る。そこでおまえの気持ちが通じる。そこだよ! そこで最後のセリフを言う『アイラブユー』。できるか? 青年!」(第20作)
「あの子は紅茶なんか淹れてくれる。お湯がジィーンと沸くな。時折、窓の外を激しく雨が打つ。ザーッ、パラパラパラ。おまえの言う言葉は一つ。『若菜さん、愛しています』」(第35作)
と、こちらの2シーンの指南では、言葉で言えと主張する。
相手によって指南の内容を変えるのか、はたまたテキトーなのか。主張に矛盾があるのが寅さんらしい。どちらが寅さんの本音なのか知りたいところ。
ちなみに筆者(バツイチ独身)も近々、寅さんの指南を参考に、意中の女性に眼で胸の内を伝えてみようと企んでいる。できるか? 中年!
最高峰の話芸、ここに極まれり!
粋で諧謔(かいぎゃく)に富んで、人を惹き付けて……。そんな「寅のアリア」の根底に流れるものって何だろう?
そう思ったとき
「観客にちゃんとイメージを湧かせることができるなんて名人の落語家クラス。だからあの人は噺家になってもきっと一流になったでしょうね」(山田洋次監督)
この言葉で合点がいった。
「寅のアリア」は、映画のワンシーンという範疇を超えて、それ自体が落語や講談に比肩する話芸なんだ。それも、どんな大看板の名人にも引けをとらないくらいの最高峰の話芸なんだ。そして同時に、その話芸、ひいては本来、日本語が秘める表現力の豊かさに気づかされた。
その一方で、巷やメディアには、「コクる」「バズる」とかの薄っぺらい略語。何を表しても「カワイイ」「ヤバい」になる貧弱な語彙。「クソ○○い」といった排泄物を形容詞にする下品ぶり。そんなものばかりが溢れて、たまに嫌気が刺す。
「うっせえわ!」とか歌ってんじゃないよ、青年!
寅さんのいる国の言葉、もっと大事にしなきゃ。
文・撮影=瀬戸信保