◆散歩コース◆
スタート
走水上町バス停
公園に戻り、その後、走水神社へ。国道16号を歩いて観音崎公園内の灯台へ。
↓ 45分
観音崎灯台
灯台から第一と第二砲台跡を見て公園を抜ける。観音崎自然博物館を過ぎ、多々良浜から鴨居港へ。
↓ 45分
鴨居港
道なりに歩いて浦賀港の入口に立つ東叶神社の脇から浦賀城に上がる。東渡船場から浦賀の渡しで対岸へ。
↓ 42分
浦賀の渡し
西渡船場からすぐに陸軍桟橋。そばに船番所跡も。川間ドックを左に見て燈明崎へ。戻って川間トンネルへ。
↓ 25分
川間トンネル
トンネルを抜けると久里浜港が見えてくる。道なりに進むと開国橋。渡ってペリー公園へ。
↓ 40分
ペリー公園
公園前に『次郎』がある。京急久里浜駅までは徒歩30分程度。歩き疲れたらペリー記念碑バス停から駅へ。
↓ 30分
ゴール
京急久里浜駅

郷愁度:★★☆
歩行時間:3時間50分
歩行距離:約12.5㎞
アクセス:
行き
品川駅から京急本線特急で堀ノ内駅乗り換え馬堀海岸駅、約1時間。
馬堀海岸バス停から京急バス「観音崎」行きで走水上町バス停、約10分。
帰り
京急久里浜駅から京急久里浜線で品川駅、約1時間。

古代東海道の渡海地から、遺構息づく観音崎へ

コースのスタート地点、三浦半島の走水(はしりみず)は、古代東海道の渡海地ともいわれている。奈良時代の古代東海道は足柄峠を越えて鎌倉に入り、三浦半島を南下して走水から海を渡って上総の国へと通じていたらしい。
いわゆる日本武尊東征のルートといわれる道だ。あくまで伝説なので真実は不明だが。

この古代東海道の渡海地とされる場所から観音崎を回って久里浜まで行くコースを歩く。この周辺は、時代がはるかに新しくなるが、先の戦争の遺構がかなり残っているエリアでもある。

走水港。港周辺は釣りのメッカ。防衛大学の走水海上訓練場もある。
走水港。港周辺は釣りのメッカ。防衛大学の走水海上訓練場もある。

走水港の前でバスを降り、ちょっと戻ったところにある旗山崎(はたやまざき)公園へ行く。ここには明治時代に造られた走水低砲台跡があり、遺構が2016年から公開されたばかりだ。しかしガイド付きでないと入れないようで、公園内の柵に鍵がかかっていた。引き返して走水神社へ。

走水神社。
走水神社。
走水神社
日本武尊が東征のため 走水から上総に向けて出船した際、海上で難に遭い后の弟橘媛(おとたちばなひめ)が身を投げて海を鎮めたと伝えられ、その2人を祀った神社。明治時代に社殿などが整備された。

神社から波打ち際を歩ける走水観音崎ボードウォークを通り、観音崎へ。昔は仏崎と呼ばれたようだが、どちらも同じようにありがたい名称。

観音崎は近代の遺構、軍事施設が多いところで、なにせ砲台跡だけで9カ所。他の軍事施設もあり、まさに明治時代は要塞岬だったともいえる。そんなわけなので、先の戦争が終わるまでは立ち入ることのできない場所だった。今も海上自衛隊の施設があり、立入禁止場所もある。

公園内の旧陸軍が設置した第一と第二砲台を回ることにする。まず第一砲台へ。第二砲台と同じく日本最古といわれる明治13年に起工して17年に完成したものだ。次は第二砲台。

第二砲台。第一砲台と同じ明治 17 年竣工の日本最古の砲台。
第二砲台。第一砲台と同じ明治 17 年竣工の日本最古の砲台。

ここは第一よりも迫力のある跡で、密林の中に閉ざされた弾薬庫と3基の砲座跡が残っている。

第二砲台の弾薬庫。
第二砲台の弾薬庫。
日本遺産になった明治期の遺構 観音崎公園砲台跡
明治10年代から20年代にかけて旧陸軍によって観音崎に造られた砲台。全部で9カ所に造られたが、実戦で発砲されたことはない。ほとんどは大正時代に廃止となった。2016年に「日本遺産」に認定された。

戦国時代から江戸、明治維新から近代への歴史トレッキング

近代の遺構から中世の遺構のある浦賀方面へ。戦国時代、水軍を率いた三浦道寸(どうすん)が築城した浦賀城が東叶(ひがしかのう)神社の裏山にある。主郭からは浦賀水道が一望できるので、船の出入りを見張るには絶好の城であった。

東叶神社。
東叶神社。
東叶神社の裏山に残る浦賀城跡からの展望。船を見張るには絶好地だった。右は燈明崎、左は房総半島。
東叶神社の裏山に残る浦賀城跡からの展望。船を見張るには絶好地だった。右は燈明崎、左は房総半島。
浦賀城と東叶神社
浦賀港の入り口には東叶神社があり、その境内の裏の明神山に浦賀城がある。築城主は戦国時代の武将・三浦道寸で、その後、北条氏康が近くの三崎城の支城として整備したようだ。浦賀水道から房総半島まで一望。大きな堀切などが残る。

今度は中世から江戸へ。浦賀の渡しである。浦賀に奉行所が置かれて間もないころ、享保10年(1725)頃に始まったとされる渡船だ。今も生活の“道”。昔は船頭が2人で船を漕いだが、いまや押ボタンで対岸から船がやってきて運んでくれる。

浦賀奉行所ができた頃に始まった浦賀の渡し。航路は浦賀海道で、水上の市道だとか。
浦賀奉行所ができた頃に始まった浦賀の渡し。航路は浦賀海道で、水上の市道だとか。
浦賀港の西側にある通称、陸軍桟橋。終戦後、南方や中国からの引揚者、約56万人がここから上陸した。
浦賀港の西側にある通称、陸軍桟橋。終戦後、南方や中国からの引揚者、約56万人がここから上陸した。

浦賀を後にして燈明崎(とうみょうざき)から久里浜へ。川間トンネルを抜けるが、この近くにも砲台跡がある。3基の砲座があった明治28年(1895)竣工の千代ケ崎砲台である。通常は非公開。

浦賀港の入り口の燈明崎に燈明堂がある。慶安元年(1648)に造られた和式灯台。房総半島からも灯りが見えたとも。
浦賀港の入り口の燈明崎に燈明堂がある。慶安元年(1648)に造られた和式灯台。房総半島からも灯りが見えたとも。
旗山崎公園にある走水低砲台跡や千代ヶ崎砲台跡は通常は一般公開されていない。
走水低砲台はガイドツアーに要申し込み。千代ヶ崎は見学会を年に何回か実施している。事前申し込み制。

最後は久里浜のペリー公園へ。古代から中世、江戸、明治維新から近代まで目まぐるしく変わる歴史トレッキングの終了である。

アドバイス
観音崎公園内はアップダウンがある道だが、ほかの海岸線歩きはほぼ平坦で歩きやすい。トイレも所々にある。今回はパスしたが、横須賀美術館の裏手には三軒屋砲台があり、いろいろ遺構が残っている。

ペリー記念館

日本近代化の始まり、 黒船来航の歴史がわかる

嘉永6年(1853)に米海軍提督ペリーが黒船を率いて浦賀に現れ、鎖国中の日本に開国を求めて久里浜に上陸した。それを記念して明治34年(1901)に上陸記念碑が建てられた。ペリー公園内の記念館には貴重な資料など展示。

●9:00~16:30。月休。無料。ペリー記念碑バス停そば。046-834-7531。

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 首都圏日帰りさんぽ』より