20世紀最大の環境破壊と言われた海の減少
いつもは国内や台湾などの「廃」を紹介していますが、一気に西方へと足を延ばし、中央アジアに位置するウズベキスタンの遺構を紹介します。今回は「船の墓場」と呼ばれるところ。かつて、世界4位の塩湖と謳われたアラル海“だった”地面に遺棄された、赤錆た船の一群です。
アラル海については、社会の授業やドキュメンタリー番組などで知った方も多いことでしょう。私もその一人です。自然の作用ではなく、人為的な理由で海が干上がってしまい、海であった場所に赤錆た漁船が遺棄されている姿は、強烈な印象として記憶に残りました。今回ウズベキスタンへ旅する機会があり、西へ向かう夜行列車に揺られてその場所へ訪れました。
アラル海は“海”と称していますが、カスピ海のような四方を陸地に囲まれた巨大な塩湖です。キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、カザフスタンを横断するシルダリア川と、アフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンを横断するアムダリア川を水源とし、湖岸の湿地帯など豊かな自然と魚に恵まれ、サケやチョウザメなどの漁業が盛んでした。
1950年代、この当時のウズベキスタンはウズベク・ソビエト社会主義共和国であり、ソビエト連邦による乾燥地帯の農地改革が開始されました。乾燥地帯を農地へと変えるため大規模な灌漑事業を敢行し、アムダリア川の水を用水路として使用。乾燥地帯に水路を引いて巨大な綿花事業を展開しました。
しかし、その巨大干拓事業の代償は大きく、水源を失ったアラル海はみるみるうちに干上がってしまったのです。農地改革が実施される前の湖面積は約6万8000平方キロメートル。その大きさはピンときませんが、日本の東北地方がすっぽりと入るほどの面積でした。
現在の面積は約3300平方キロメートルで鳥取県と似た面積となり、半世紀で東北地方から鳥取県へと縮小していきました。今の姿は衛星地図などで確認でき、わずかに湖面が残っていて、おおかたは荒涼とした砂漠が占めていることに驚かされます。
アラル海は縮小するたび、塩分濃度が2倍以上に高まって生息できる魚も減少し、漁業は衰退していきます。湿地帯に集った渡り鳥は飛来せず、豊かな植物は淘汰され、荒涼とした砂漠の平原となりました。アラル海は「20世紀最大の環境破壊」という不名誉な称号を与えられてしまったのです。
船の墓場まで行く手段を考える
アラル海には漁業で栄えたモイナク(ムイナク)という町があります。いまは砂漠と化した乾燥地帯にある一つの町です。町の北側は大海原のように連綿とした湖面が存在感を見せていましたが、現在は荒涼とした砂漠となってしまっています。湖面だった場所には、干上がって動けなくなった漁船群が赤錆た状態となって10数隻遺棄されているのです。
その姿をこの目で見たい。でもどうやって行くのか。調べると、首都タシュケントからキジルクム砂漠を隔てた都市、ヌクスをベースにして訪れることになります。ヌクスは1932年にカラカルパク・ソビエト社会主義自治区が誕生して以来の都市となり、ウズベキスタン国内でも独立した存在の「カラカルパクスタン共和国」という自治共和国の中心です。自治共和国といってもパスポートチェックや通貨が変わることはなく、タシュケントから飛行機で約1時間半、砂漠を突っ切る夜行列車は約16時間で到着します。
ヌクスからモイナクへの交通手段は、1)乗合バスとタクシーを乗り継ぐ、2)相乗りタクシー、3)タクシーチャーターとなります。海外へ旅慣れた方ならば「まぁ、現地でなんとかなるさ」程度の問題ですが、旅慣れていなければ旅行会社ツアーで行かれるのが良いでしょう。
私は結局なんとかしちゃうタイプなので、まず前泊してヌクスの様子を肌で感じつつ、英語の話せるホステルのご主人に翌日のタクシーチャーターをお願いしました。
「1人で行くの? 高くつくよ。4人集めれば安くなるのに」
ご主人は提案してくれましたが、私は元々足が悪いのと、じっくりと遺構に触れたいため、同行者がいると気を遣ってしまいます。一日チャーターは60ドルと高額ですが、日本でタクシーチャーターするのよりは断然安いです。
翌日の朝、タクシーが迎えにきて出発。ヌクスからモイナクまで約3時間かかります。さっさと街を出て……というところ、運転手さんは「銀行寄らせて」、「実家に届ける荷物も積ませて」などなど、ついでにやることが多くて、しょうがないなぁという気分になりつつも、どこか憎めません。
私が海外でチャーターするタクシーは、こういうケースによく当たるので、ウズベキスタンのドライバーが皆そうかとは断言できません。いっぽう、こちらも併走する列車を撮影するなど寄り道をしたので、なかなかモイナクへ到着しません(笑)。
珍道中のように3時間走り、昼頃になってモイナクの町へと到着しました。複葉機のAn-2が道端に置かれていて、そういえばここにも空港があったなと思い出します。
目的の「船の墓場」は町中を北上し、メイン通りを右折してしばらく。白っぽい乾燥した大地と低木が点在する砂漠を目の当たりにし、この荒涼たる光景が海だったのか?とにわかに信じがたい気分になります。ちょっとうすら寒い怖さというか、人の手で海(湖)を干上がらせてしまった事の大きさに、これから遺構と対面する前に気持ちが硬直してきます。
展望台から見える光景に言葉を失う
タクシーは見晴台の駐車場へ停車。やっとのことで到着しました。肌へ突き刺すような強い日差しにクラっときながらも、暑さ対策を万全にして運転手さんと一旦別れます。こちらは自由に散策したいので、ずっと待ってもらうよりは時間を決めて再集合のほうが都合よい。
すぐにでも散策したい気持ちを抑え、まずはアラル海の歴史博物館へ訪れて、現在のようになった経緯を簡単におさらいします。背景を知って遺構と対面したほうが、より深く知れるような気がしたのです。トイレもここにあるのみなので、炎天下を散策する前に準備万端で挑みます。
館内の展示と映像資料によって、半世紀前までは大海原であったアラル海を知り、外へ出て展望台へ近づくと、映像とのギャップに絶句してしまうことでしょう。目の前に広がるのは海……ではなく砂漠です。低木が点在し、白い砂の台地を晒しているのです。
そして、赤錆びた鉄の塊が砂漠にズラッと並んでいる。そう、船の墓場です。テレビなどでこの存在を知ったときは、港に係留されていたまま遺棄されたのかなと思っていましたが、どうやら展望台の下に無造作に並べられていて、人為的に移動させられたのだなと分かりました。
博物館の映像資料には、一晩で水が干上がってしまって船が動けなくなったと報じていましたが、展望台から見るかぎりそのような状況だったのか確証は得られませんでした。徐々に湖面が後退してしまって船が動けなくなり、メモリアルとして一カ所に集めたのだと思います。
展望台と船の置かれている“湖底”であった地面まで、目測で30~50m。上から見ているので、赤錆びた船はずいぶんと小さく見えますが、ふと、この高低差が水深だったのかと思った途端、目を丸くしてしまいます。あらためて、こんなにも水が干上がってしまったのか。
次回、後編はいよいよ船へと近づきます。
取材・文・撮影=吉永陽一








