そんな四つの書店も、歳月とともに閉店が相次ぎ、二〇十八年には「青山ブックセンター 六本木店」、二〇十九年には「TSUTAYA BOOK STORE 東京ミッドタウン店」が閉店。「あおい書店 六本木店」の跡地に「ブックファースト 六本木店」が開業するも、二〇二一年に閉店した。街の書店が減っているニュースを見かけ、即座に浮かんだ街は六本木だった。現実の出来事として起こっているのだと胸が痛んだ。

社会人になり、すっかり疎遠になった六本木へ再びつないでくれたのは、やはり書店だった。会社員生活が思うようにいかず、次は好きなことを仕事にしようと転職先を探していた矢先、新しくオープンする書店スタッフの募集を偶然見かけた。詳細を見ると、以前何度も訪問していた営業先の書店の跡地だった。こんなこと、あるんだろうか。転職先が決まらないまま、在籍している会社を辞めることになる二週間前のことだった。運営会社のオフィスで面接をしてもらった翌日、採用の連絡が届いた。元営業先だった書店の場所が、新しい職場になった。

ちょっと特殊な形態の書店だったので、おそらく一般的な書店よりも時給は高かったが、それでも東京で生活していくにはぎりぎりだった。それでもみじめな気持ちにならず、そこそこゆかいに働けていたのは、近くに手頃な飲食チェーン店と、おいしいパン屋さんがあったおかげだと思う。『ラトリエ・デュ・パン』は、何度行ったか数えきれない。どれもむちむちしていて弾力のあるハード系のパンで、あんバターや明太バゲットが特に好きだった。お金に余裕があるときは、翌朝食べる食パンもいっしょに買うことが多かった。食パンもむちむちもちもち。パン屋さんのなかで、食パンをもっとも買っているのはこの店かもしれない。

東京にくるまではもっとも無縁だと思っていた六本木は、営業の担当エリアになり、職場のある街になり、駅周辺なら地図を見なくても歩ける街になった。かつて住んだことのあるエリアを除いたら、ここまで土地勘のある街はきっとほかにない。

アルバイト時代、どうして六本木を担当にしてくれたのか、上司のIさんに尋ねたことがある。「東京から来てまもないだろうから、東京らしいエリアにしようと思って」。ほんとうは、営業しやすいエリアを選んでくれていたのかな、と今になって思う。他の担当エリアでは、書店員さんから厳しい声をかけられて泣いて帰った日もあった。Iさんは、わたしが六本木の書店で働くより少し前に、急逝してしまった。今のわたしなら、Iさんよりも六本木に詳しいかもしれない。

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久しぶりに六本木へ降り立つと、相変わらず朝は人がまばらだ。細い裏道に入れば店はすべて閉まっている。この朝の静かな光景も、働いていた頃は好きだった。『六本木 蔦屋書店』までをのんびり歩く。テレビ朝日と中学校の間にある緩やかなカーブを下っていけば、目的地がある。雑誌の平台。ジャンルごとの棚。雑貨が並ぶスペース。本屋さんはいつ来ても、たのしい。どんな街でも、本屋さんがあると、自分の居場所があるようで安心できる。

一冊の文庫を手に取り、セルフレジへと持っていく。会計をしていると、向かい側に立っていた店員さんに「ヒルズカードはお持ちですか?」と声をかけられる。持ってないです、と言い終えたとき、店員さんの顔を見てはっとする。この女性、もしかして、以前別の六本木の店舗にいたスタッフの方ではないか。ある六本木の書店で担当してくれた書店員さんに、両耳にピアスがばちばちに開いていて、明るい髪色のショートヘアの女性がいた。最初はこわそうな人かと構えていたらとても優しく接してくれる方で、自分のスタイルを持っているかっこいい女性として密かに憧れてもいた。

もう一度、顔を盗み見る。人違いだろうか。もう十年以上前のことだ。書店スタッフを経験したわたしは、書店員さんが日々たくさんの出版社の営業に対応していることを知っている。喉まで出かかった言葉を飲み込み、レジの前を離れる。駅までの道を調べるより先に、体が勝手に歩き出す。

文=ひらいめぐみ

茨城県出身。作家、ライター。主な著書に『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)、『おいしいが聞こえる』(ハルキ文庫)など。最新刊『世界味見本帖』(角川春樹事務所)が好評発売中。

まちまち通信

ひらいめぐみさん・中前結花さんが同じ街をテーマに、毎月交互につづっていくリレーエッセイ。

『散歩の達人』2026年9月号より

服好きの友人と、リバーシブルの服の話で盛り上がったことがある。彼は突然、なにかを思い出したかのように「リバーシブルの服って、リバーシブルで着なくないですか?」と尋ねた。そして、「実際、両方を表として着てる人ってあんまりいないんじゃないですかね」と続けて言った。たしかにそうだ。両方着られることがその服の魅力でありながら、リバーシブルの服を両面とも同じ頻度で着る経験はほとんどない。「わかる。なんだかんだ、表側しか着ないよね」わたしは深く同意しながら、頭の中では昔住んでいた街のことを思い浮かべていた。
上京して、はじめて迎えた年末のことだった。東京の12月は街も社内も活気があって、たいそう特別な心地がした。そして、ついに「仕事納め」というものを迎える。
少し前、Switch 2を買う友人から旧型のSwitchを譲ってもらった。幼い頃はどちらかというとゲームをしている兄や弟の後ろで画面を眺めていることが多く、自分で触れる機会はあまりなかったが、興味のあるゲームはいくつかあった。ダウンロードできるソフトの一覧を見てみると、昔やりたかったゲームの最新ソフトが出ていた。
「夕方」というのが怖かった。それはたとえば、長い影を背負って帰っていく子供たちを見るとき。午後5時の時報。アスファルトを変な色に染め直していくマンゴーの皮みたいな夕焼け。そんな夕暮れ時が、あの頃のわたしには怖くて怖くて仕方なかった。