【1】台場横丁

東海道と御殿山下台場を結ぶ横丁。北品川の一帯には東海道から低地の海岸側へ下りる横丁がいくつも残る。

【2】御殿山下台場(砲台跡)

陸続きに造られた砲台場の跡地。今は品川区立台場小学校が立ち、校門には品川灯台のレプリカが。

【3】鯨塚

江戸時代後期、品川浦に迷い込んだ大鯨の供養碑が利田神社に。隣接する品川浦公園には鯨のオブジェや遊具も。

【4】東海道品川宿石積護岸

19世紀前半までに海岸線に築かれた石積みの護岸。伊豆石、房州石、大谷石が使われ、全長15mほど残っている。

【5】品川灯台

1969年、東品川公園の開園時に設置された品川灯台の6分の5模型。現物は愛知県の明治村に移築。

【6】浜川砲台

嘉永7年(1854)に土佐藩が築造。跡地の新浜川公園には、配備された大砲の一つ「六貫目ホーイッスル砲」の原寸大模型が展示。

【7】勝島運河

1949年完成の人工島・勝島の西側に整備された運河。河岸の一部は旧海岸線と重なり、海を感じる貴重な場所。

illust_2.svg

旧東海道に残る“波打ち際”の記憶

「え!? ほぼ海じゃん!」。幕末に描かれた絵図を見て驚いた。南北に走る東海道の下側(東側)はいくつもの横丁の土地を残すのみなのだ。

「旧東海道」と橋柱に記された八ツ山橋を渡り、左から迫り来る京急線、橋下を潜るJR線と交差する。ゆるやかに下る八ツ山通りのこの左側が海だったとは思えない。が、船溜まりのある北品川橋まで来ると様子は変わる。絵図にある台場横丁【1】とつながる多角形のでっぱり。これは、嘉永6年(1853)のペリー来航で江戸守備のために品川沖に築かれた砲台場の一つ「御殿山下台場」【2】。明治時代には周囲を埋め立てられたが台場の輪郭は道として残され、今は品川区立台場小学校の敷地が大半を占める住宅地だ。カクカクした道に沿って歩けば、その大きさを実感! 鯨塚【3】も、大鯨が迷い込むほど海辺だったことを証明する。

宇田川家所蔵・品川区立品川歴史館寄託『鶴岡八幡宮遠馬東海道往還沿道図』1855年ごろ製作 品川区指定文化財。
宇田川家所蔵・品川区立品川歴史館寄託『鶴岡八幡宮遠馬東海道往還沿道図』1855年ごろ製作 品川区指定文化財。

聖蹟公園交差点を越え、八ツ山通りの東の小道を進めば、「洌崎」「洲崎」の文字が。海岸線と重なるこの界隈は漁業で盛業した南品川猟師町。鎮守の寄木神社が静かにたたずむ。洲崎橋から目黒川を渡り、やや複雑な交差点を西へ。元なぎさ通りと東海道の間にある小道を進もう。ここが海岸線と重なるらしい。南馬場通りに当たったら、“海”へ寄り道。東品川公園で品川灯台【5】とご対面。江戸幕府は品川沖に台場を6つ完成させたが、これはそのうちの第2台場に建てられた灯台の模型で、明治3年(1870)から1957年まで長く活躍。御殿山下台場跡にも同灯台の模型があることからも、品川の身近な海のシンボルだったのだなあ。

南品川2丁目の住宅地ではなんと石積みの護岸! 色も質感も明らかに現代のものとは違う。人の背丈ほどの石垣が連なる光景は圧巻だ。

その先、海岸線は東海道に大接近。かつて海だった鮫洲運動公園、鮫洲入江広場を過ぎ、現れたのは勝島運河。昭和に整備された運河だが、海岸線が一部残り、ほんのり漂う潮の匂い。そばには大砲を8基も備えた浜川砲台も。警護についていたといわれる若き坂本龍馬も見たであろう海は、確かにここにあったのだ。

立会川駅そばに立つ、坂本龍馬のブロンズ像。「ざっと歩いて5.8kmのコースぜよ!」。
立会川駅そばに立つ、坂本龍馬のブロンズ像。「ざっと歩いて5.8kmのコースぜよ!」。

取材・文=下里康子 撮影=高野尚人
『散歩の達人』2026年5月号より