村田あやこ
路上園芸鑑賞家/ライター。街なかで威勢よくはみだす誰かの園芸や植物を愛でる。著書に『たのしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』『緑をみる人』(ともに雷鳥社)。本連載「COLLECTOR’S COLLECTION」の構成を担当。
都市のほころびが新天地に
土の地面が人工物の舗装に置き換わり、でこぼこした面が整えられ、川に蓋をされる、都市という空間。しかしどれほど頑丈な人工物であっても、経年劣化によって当初は想定していなかった隙間が生まれる。
凹んだ部分に泥やホコリが溜まり、水が集まる。さまざまな偶然が重なり条件が合えば、そこは植物の新天地となる。
衣類の破れたところにはぎれを重ね、刺し子を施せば、捨てるしかないように見えた服が、装いを新たにして蘇る。欠けた部分を補修しているかのような植物たちもまた、都市のひび割れに新たな表情を吹き込むようだ。
人と同じように都市も調整中である。以前、本連載に登場いただいた石井公二さんの言葉を思い出す。
自然を制御したように見える都市であっても、常に変化し続け、ほころびが生まれる。そうした想定外のノイズやバグ、余白こそが、都市と自分との間をつなぐ接点となるのではないか。
世界のスキマを見つめ続ける
こんなふうに、日々街を歩いては隙間やはじっこばかりをじーっと眺め、あれこれと思いを巡らすことをライフワークにしている。「路上園芸鑑賞家」という謎めいた肩書まで名乗っている。
名実ともに、重箱の隅ばかりをつつき続けている人生だ。
子供の頃、何で生計を立てているのか分からない親戚を「あの人は一体、何者なんだ」と、得体のしれぬ存在のように感じていたが、今やすっかり自分がその立場にあることを痛感している。
しかし面白いもので、こうした活動を懲りずに続けていると、別角度から都市の隙間やはじっこを見つめ続けている愉快な仲間たちとの出会いに恵まれる。
路上のさまざまな対象物を愛でる方をゲストにお話を伺う本連載「COLLECTOR’S COLLECTION」は、今回でなんと50回目を迎えることとなった。
道端の落とし物や、壁の水抜き穴、公衆トイレ、ポスターを剥がした跡、ビルの屋上に生えた植物、顔出し看板の裏側、ぽっかり空いた残余地や空き地、高低差を解消するための無名の職人芸。
登場いただいた皆さま(筆者も含め)が日々愛でている対象物は、雑誌の特集を華々しく飾ることもなければ、観光ガイドに載るものでもない。一般的には鑑賞対象とはされていないものばかりだ。
しかし、そうしたものにこそ、自分なりの価値基準で味わい深さや美しさを見出すことで、見慣れた街の風景はガラリと違って見えてくる。
「世界には、まだ私の知らない一面がある」。
取材のたびに、見えていなかったものが見えてくるという、シンプルなうれしさに包まれていく。
目線をずらすことで見えてくる
花の状態ではなく、つぼみに着目することで、植物のダイナミックな変化をより一層感じ取れるし、観察の時期も広がる。
ポスターが貼られた状態ではなく、剥がされた跡にこそ、無意識の手癖が潜んでいる。
現在の地名ではなく、旧町名の遺構から、今はなき街の風景がほんの少し蘇る。
ビルの屋上に生えた植物「ビル毛」を鑑賞する小堺丸子さんが、「目線をずらす」ことを大切にしていると言っていたことを思い出す。
SNSが普及し、離れた場所の情報も簡単に得られるようになった今の時代。しかし路上空間は、SNSでは得られない情報や物語の宝庫だ。
隙間から生えたコキアが、実は数軒隣のご近所さんの鉢植えから逃げ出してきたものだった――そんな不意打ちの情報によって、新たな街の表情が立ち上がっていくのが楽しいのだ。
これからも親族の中での得体のしれない珍人物として、日々地べたを見つめていきたい。
文・写真=村田あやこ
『散歩の達人』2026年2月号より









