分家の四男坊

名古屋市中川区、高畑駅から西に進んだ辺りに前田城と申す城がある。

前田城(前田速念寺)。
前田城(前田速念寺)。

この辺りは前田家が治めた地、ではあるのじゃが、前田城は前田本家の城である。

我らは分家の荒子前田家、前田城の東側、名の通り荒子の地に城を構えた一族じゃ。

荒子城。
荒子城。

いつぞや、戦国がたりにて儂の生まれの地を紹介しておるでな、まだ読んでおらぬ者は読んで参るがよかろう。

皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。早いものでいよいよ年の瀬、令和6年もこのさんたつにて様々な歴史の話を紹介して参った。本年最後となる此度の戦国がたりは折角だで“散歩の達人”らしく、名古屋の街へ繰り出してまいろうではないか!それでは早速、いざ出陣!

して、儂は荒子前田家の四男として生まれた。

無論、決して大きくはない勢力のさらに分家の四男坊、期待の無い人生であったことは言うまでもなかろう。

この頃の前田家は、信長様の筆頭家老であった林秀貞様に従っておったのじゃが、秀貞様が信長様から離れ、弟君・信勝様に近づくと、荒子前田家も信勝様に与することとなった。

じゃが! 前田家の中で、儂と弟の良之は信長様に預けられ、側近として取り立てていただいたのじゃ。

一族を二つの勢力に分け、どちらが勝っても家が残るようにする、生存戦略と申すものであろう。

因みに斯様な戦略を取る家は数多あってな、真田家は関ケ原の戦いの折に、西軍に昌幸殿と信繁(幸村)がつき、東軍には信幸殿がついたのじゃが、それが最も有名であろうか。

なんにせよこれが儂にとって大きな転機となったのじゃ!

稲生の戦い

萱津古戦場。
萱津古戦場。

して、儂の初陣は14の頃、信長様が清洲織田家と争った萱津(かやづ)の戦いである。

萱津は名古屋城と清洲の間にある地でな、現世のあま市に当たる場所じゃ!

萱津古戦場の石碑が残っておるぞ!!

荒子駅。
荒子駅。

我が荒子の地にある荒子駅には、この戦いに出陣する儂の像が立っておる。

そばで儂を見送るのは幼き頃のまつである。

初陣を勝ち戦で飾りて、これよりも信長様に従い数多の戦へ出陣致す。

その中でも名が知られておるのが、稲生(いのう)の戦いである!

稲生古戦場。
稲生古戦場。

稲生の戦いが起こったのは今の名古屋市西区、信長様を討つべく立ち上がった信勝様との戦であった。

この戦いは信長様方700に対して信勝様は1700。

しかも信勝様の軍を率いるはかつて信長様を支えた林秀貞様や、織田家屈指の武勇を誇る柴田勝家様。

信長様が布陣した白山神社。
信長様が布陣した白山神社。

信長様を支えるは信長様側近の儂や佐々成政が中心で、誠に絶体絶命の戦であった。

一時は、信長様の手勢が50人足らずの状況で敵軍に囲まれ、信長様の生涯で最大の窮地はこの時の戦ともいえよう。

じゃが、信長様の采配と森可成(よしなり)様を筆頭に家臣の奮戦もあって、この戦に奇跡的勝利。桶狭間の戦いに勝るとも劣らない、織田家の運命を大きく変えた重要な戦である。

儂はこの激戦の中、敵方が射った矢を受けながらも敵将を討ち取っておる!

『豊臣兄弟!』の儂には、この時受けた傷が残っておるわな。

作中で稲生の戦いは描かれんかったが、史実を拾いて細部まで丁寧に儂を表現しておるわけじゃ!

各地で槍働きに励む

その後も浮野(うきの)の戦いで武功をあげるなど信長様の近習として槍働きに励み、まつを妻に迎えて実に順調な人生を送っておった。

じゃが、ここからが問題である。

永禄2年(1559)、儂は織田家出仕停止となったのじゃ。

まつと祝言をあげ、一子である長女・幸が生まれたばかりの時期であった。

自らの口で解説は致したくないでな、興味があるものは前田利家、拾阿弥(じゅうあみ)と調べてみるがよかろう。

本年の大河ドラマは永禄2年(1559)から始まっておるわな、故にここまで登場が遅れたと言うわけじゃ……。

じゃが、我が主君は信長様ただ一人、織田家復帰を目指して武功を上げるべく、これよりも織田家の軍に参じ続けるのじゃ!

桶狭間古戦場。
桶狭間古戦場。

その最たる例が、かの桶狭間の戦い。

この戦で儂は敵の首を三つあげ、信長様のもとへ参じたのじゃ!

が、認めていただくことは叶わなかったわ。

と申すのも『豊臣兄弟!』の中でも描かれておったが、信長様は兵力差を覆すべく今川義元の首のみを狙い、首や武器を求めることがないようにと厳命されておった。

じゃが、出仕停止中の儂は少しでも多く武功をあげて認めていただかねばならんかったで、首を取らざるを得なかったんじゃな、

森部古戦場。
森部古戦場。

儂が織田家復帰を果たすのは永禄4年(1564)のこと、ちょうど大河ドラマに儂が初登場した五話の辺りじゃな!

この年に起こった美濃森部の戦いにて、敵方の猛将・足立六兵衛を討ち取った功で帰参が許されたのじゃ。

この戦いは斎藤龍興殿との間に起こった戦、

長良川にて起こったこの戦は古戦場が整備されておって、儂について記された碑も立っておる。岐阜羽島駅より歩いて参れる距離にあるぞ!!

終いに

此度の戦国がたりはいかがであったか!

大河ドラマでは描かれんかった儂の生い立ちについて記して参った。

儂はこれより秀吉と切磋琢磨し、豊臣政権においては一門衆に次ぐ重要な役割を担うこととなる。

今はまだ荒武者として描かれておる儂が、如何に変わっていくのか。

よくよく注目していくが良い。

これよりも戦国や大河に関わるさまざまな話をして参るでな、楽しみに待っておるが良いぞ。

それではまた会おう。

さらばじゃ!!

文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)

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皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。年の瀬となり、新しき年が近づいて参った。来年(2026年)の目玉はなんと言っても、久方振りの戦国大河ドラマ『豊臣兄弟!』であろう。此度は『豊臣兄弟!』の予習として、大河周辺の基礎知識を皆に伝えて参ろうではないか!いざ参らん!!