愛月ひかる(あいづきひかる)
千葉県市川市出身。2007年、宝塚歌劇団に93期生として入団。宙組、専科を経て、2019年、二番手スターとして星組へ異動。2020年、市川市観光大使に就任。2021年12月、「柳生忍法帖/モアー・ダンディズム!」で退団。ミュージカル、朗読劇など、多彩な活動を続けている。
幼少期の思い出の場所
—— 幼少期から宝塚音楽学校に入学するまで市川にお住まいだったそうですね。
愛月 中山法華経寺(ほけきょうじ)の近くに若宮という地名があるんですけど、そこにあった祖母の家で幼いころは暮らしていました。その後、通っていた学校があった菅野(すがの)に引っ越したんです。
—— 思い出の場所はありますか。
愛月 ニッケコルトンプラザには、よく行きましたね。中にあるスポーツクラブの一角にあったバレエ教室に通ってました。習い事もそうですし、友達とも遊びましたし、当時いちばん利用していた施設だと思います。映画館もあって、食べるものはいろいろある。行けばなんでも揃ったんです。
—— バレエ教室は、何歳くらいから通っていたんですか。
愛月 4歳です。最初はプールに通っていたんですけど、レオタードを着た子たちが教室から出てきて、それがかわいくて、わたしもやりたいって言い出したらしいです。小学5年生くらいまで習っていました。
—— そのころから宝塚歌劇に興味が?
愛月 興味があったというか、母も祖母もすごく宝塚が好きだったので、一緒に劇場に連れていかれてたんですね。おとなしく観ていたみたいで、連れていきやすかったと母には言われてます。母は私にいずれは宝塚に入ってほしかったので、そのときのためにクラシックバレエを習わせようとは思ってたみたいです。私的には、そうした母の思惑は知らずに、かわいいレオタードが着たくてバレエをやりたかったんですが。
地元の良さを広めるために市川市観光大使に就任
—— 市川市観光大使になったきっかけはなんだったのでしょうか。
愛月 市川市の方からお話をいただいて、幼少期を過ごしたとても思い入れがある街なので、自分が就任することで何か宣伝できたらいいなと思って、お受けしました。2020年なので、まだ在団中のときです。
—— 改めて、市川の良さを感じるところはどこですか。
愛月 20年ぶりくらいに中山のあたりを歩いたとき、当時のことをぶわって思い出せたんです。道や風景など、開発されて変わったところはあるはずなんですが、いつ帰ってきても昔の気持ちに戻れる、懐かしさみたいなものがあります。良い意味でタイムスリップしたような気分になる街だなと。最近、法華経寺に行ったんですけど、イチョウが色づいてすてきでした。参道とか、あの厳かな雰囲気はやっぱり好きですね。
—— YouTubeで市川市動植物園で一日園長を務めているのを拝見しました。幼いころ、よく行かれたのでしょうか。
愛月 行ってました。観光大使になって、幼少期の写真を掘り返してみたんですが、祖父に連れられていとこと一緒に行ったものがたくさんあって。なかよし広場という、動物たちとふれあうコーナーがあるんですよ。そこでヒヨコやウサギとふれあってる写真がいっぱいありました。すべり台などの遊具もあって、遊んだ記憶があります。
—— 大使として再訪してみて、記憶と変わっていましたか。
愛月 当時は、自分の身長が小さいから、すごく大きく見えていたものが、今は楽に手が届くんですよね。変わっていないところもたくさんあって、園内をミニ鉄道が走ってるんですが、あれもよく乗っていたので懐かしかったです。
—— 今後、やってみたいことは?
愛月 花火大会や地域のお祭りに来てほしいと言っていただいているんですが、なかなかタイミングが合わずにいるので、参加したいと思ってます。YouTubeでは、食レポや街歩きのレポなどで毎回同じことしか言えなくて、いつも反省しているんです。
—— 舞台に立つのとは違うんですね。
愛月 違いますね。アドリブが慣れなくて……。台本があれば完璧にやれるんですけど。
市川での思い出は友人と行ったサイゼリヤ
—— 市川に住んでいたころのご友人とは、今でも連絡をとっていますか。
愛月 とっています。菅野にある日出学園に幼稚園から通っていたんですが、今でも連絡をとっているのは、そのころからずっと一緒だった子が多いです。親同士もいまだに交流があるんです。宝塚を退団してから、より一層会うようになりましたね。現役のときは忙しいだろうって気を遣ってくれてたみたいで、あまり会えていなかったんですけど、退団してからは定期的に会ってます。インスタをフォローしてくれてて、DMで連絡をくれて20年ぶりに会ったりもしました。一緒にバレエを習っていた子とも、会ったんですよ。
—— 会っていなかった期間があっても、長いお付き合いですね。
愛月 いまでも市川近辺に住んでる子もいるんです。そういうご縁なんだなと思いますね。幼稚園からの同級生のお姉さんは、東京に住んでるのにいまだにニッケコルトンプラザでバイトしてるって聞きました。
サイゼは学生の憩いの場でした
—— 当時、よく行った店はありますか。
愛月 菅野と本八幡の間にあるサイゼリヤには、よく行きました。学校がある菅野の駅前には何もなくて、みんな本八幡に出るんですよ。電車に乗らずに歩くので、途中にあるサイゼリヤは学校帰りによくたむろしてました。私の家は菅野にあったので、店から帰るときは学校のほうへ戻るんですけどね。徒歩通学だったので、電車通学に憧れがありました。店は国道14号沿いにあって、1階が駐車場で2階が店だからけっこう広いんです。天井も高くて居心地がすごくよかった。
—— お気に入りのメニューがあったり?
愛月 小エビのサラダ、大好きでした。でも生野菜がそんなに好きじゃないから、上にのってる小エビだけでいいのにとずっと思っていたら、いまあるんです。小エビのカクテルっていう、エビだけのメニューが。ドレッシングもおいしいんですよね。
—— ほかには?
愛月 ミラノ風ドリア、若鶏のディアボラ風、あとシナモンフォッカチオですね。エスカルゴのオーブン焼きも好きです。
—— すごいすらすらと出てきますね。いまでもよく行かれるんですか。
愛月 行きます。都内の店ですけど、ふらっと行ったりしてます。夜、友達とごはんを食べて、もうちょっとお茶したいねっていうときに、サイゼリヤのドリンクバーを利用したり。あのころの記憶が刷り込まれているんでしょうね。話していたら、行きたくなってきました。
取材・文=屋敷直子 撮影=千倉志野
『散歩の達人』2026年1月号より








