宇野常寛『ラーメンと瞑想』(集英社)
瞑想と食事の狭間で高まる世界の解像度
「食べることは好きですか?」と聞かれて、よほどの事情がない限り「嫌い」と答える人はあまりいないと思う。でも、「食に興味がない」という人は案外多い。私は毎朝、昼と夜に何を食べようか悩みながら通勤するような人間なのだが、だからこそ、著者が冒頭で宣言する、一回一回の食事への執着には共感しかない。さらに、社会関係の「効率」のために食べることの「快楽」を犠牲にしたくないと“みんなで食べるとおいしい”論を、ばっさり切り捨てるところも痛快だ。
しかしながら、この本は単に美食を紹介していくものではない。物語は、著者が盟友Tと習慣にしている水曜朝のランニング&瞑想後に立ち寄る店で繰り広げられる。したがって、ラーメンや定食、回転寿司など、チェーン店も含む大衆的な味だ。瞑想という行為が神への接続とするならば、食事はその対局にある獣の世界。クリアになった頭で、目の前の食べ物を一心不乱に貪る。食材や味わいを分析したり、店内の雰囲気を自己陶酔的に語ったりすることに重きは置かれない。
見どころは、神と獣の世界を往復する中で湧き上がる、何らかの真理を得ようとする二人のユーモラスな対話にこそある。この雰囲気は、2010年前後に流行していた気がする、主人公の一人称視点で語りつつ、怒涛の会話劇で話が進んでいくライトノベルやアニメの類を思い起こさせ、個人的には懐かしい。著者が著者だけに、終始哲学的な思考回路で、社会批判も見え隠れするがひるむ必要はない。「おかしな中年二人の禅問答」としても、読み応え十分のユニークな一冊だ。(高橋)
フィリップ・アーニール『Tokyo Jazz Joints 消えゆく文化遺産 ジャズ喫茶を巡る』(青幻舎)
写真家である著者が、全国各地のジャズ喫茶に赴き、その「空間」を捉えることに挑戦した一冊。暖色に包まれた店内から店先の看板に至るまで、著者のジャズ喫茶に対する愛着を感じます。「まるで音楽が聴こえてくるようだ」なんてものではありません、写真をひと目見た瞬間、我々はもうその場所に「居る」のです。(守利)
アニタ・イサルスカ著、高崎拓哉訳『葬祭ジャーニー 世界の「死」をめぐる、びっくりするような風習と儀式』(日経ナショナル ジオグラフィック)
日本ではいまいましいものとして扱われる「死」。海外ではどのように死を受け入れ、どのように死者を弔うのかをまとめた一冊。ガーナの葬儀を見れば、死者を送り出す、ということの前向きさに気づかされる。そうか、死ぬということは「現世ではないどこかへ旅経つ」ということで、完全な「無」になるわけではないんだろうな。(中島)
松本英子『旅する温泉漫画 かけ湯くん ありがとう温泉編』(河出文庫)
『かけ湯くん』は、2009年に月刊誌『旅の手帖』で始まった連載。旅好き、温泉好きの猫が全国各地の温泉をめぐる。「ありがとう温泉編」は文庫本の第3弾。巻末の解説はいとうせいこう氏で、検討中の「あさ虫温泉フェス」に「かけ湯くん、もしくはあがり湯くん、その際は是非遊びに来てください」と。かけ湯くん、行っちゃう?(平岩)
『散歩の達人』2025年10月号より







