バリバリのクラストがクセになる
『ケノヒノパン』がある南台商店街は、人通りこそあるがシャッターを閉じた店も多く、正直、にぎわっているとは言い難い。しかし店のオープン時間である朝の10時30分になると、どこからともなく人がやってきて、店外に待ちの列ができる。2022年にオープンしてから3年。すでに商店街の目玉になっているのだ。
売られているパンは“商店街のパン屋”にあまり似つかわしくなく、ハード系がメイン。しかもけっこう個性的なのだ。たとえばロデブはクラム(パンの内側)こそ高加水で口どけいいが、クラスト(外側)はバリバリ。リベイクすると、もはやせんべいのような歯ごたえと香ばしさ。ここまで焼くロデブはなかなかないが、このバリバリがなんともクセになるおいしさなのだ。ちなみに別の日にいただいたバゲットも、クラストはしっかりバリバリだった。
のんびりした商店街にあって、かなり個性的な『ケノヒノパン』。いろいろと気になって店主の鈴木崇志さんに話を聞いたところ、これまたかなり個性的な経歴の持ち主だった。
ジャズギタリスト志望からフランスでパン修業
崇志さんはもともとジャズギタリスト志望で、大学のジャズ研に入ってその腕を磨いていた。崇志さんが学生だった頃はちょうど就職氷河期で、卒業後も就職するつもりはなく、プロのギタリストを目指していた。
大学を卒業後、とりあえず海外で腕を磨きたいと、ワーキングホリデー制度のあるカナダ・トロントへの渡航を決意。資金を新聞配達で貯めたところ、SARS(重症急性呼吸器症候群)の世界的な流行で、半年間の足止めをくらってしまった。ただ待っていても仕方ないからと、新聞配達と同じく朝が早く、夜に演奏時間が作れるベーカリーでアルバイトを始めた。そこでは製造もやらせてもらい、パン作りの面白さを知ることになる。
SARSの流行も明け、いざトロントへ。演奏してライブを見てのジャズ修業に明け暮れるも「プロの演奏家ではやっていけない」厳しい現実に突き当たってしまう。ならば少し覚えのあるパンで勝負しようと、一気に本場のフランスへ向かった。
日本に戻ろうとは考えなかったのだろうか? その理由を崇志さんは「当時、私は26、7歳。パンを目指す人は高卒で専門学校に行って20歳ぐらいで社会に出てきます。基礎のない自分がどうやれば彼らに勝てるか考えたときに、とりあえず違うことをする、まずは本場を見てみよう思ったんです」と語る。
カナダにいてフランス語はできたとはいえ、かなり思い切った行動。しかもそこで飛び込んだのが有名店である『メゾンカイザー』なのだ。友達の友達の友達のつてで面接を受けさせてもらえたのだが、これまたなんとも大胆。崇志さんはそこでパン作りに打ち込み、『メゾンカイザー』以外のベーカリーでシェフを任されるほどに。さらに最初に働いた『メゾンカイザー』から、ニューヨークの店に行ってくれないかという打診まで受ける。
日本でもパン屋はできる
申し分のないパン職人にのぼりつめた崇志さん。しかもフランスは労働環境が整っていて、仕事終わりには好きなギターも弾ける。しかしここで疑問が浮かんでしまった。「自分のやっていることは日本でもできるんじゃないかって。だったら自分がフランスにいる意味ってないなって、考えるようになったんです」。
そんなとき、すでに知り合いだったパン職人の美影さんのことが思い浮かぶ。美影さんのセンスと力量にに惚れ込んでいた崇志さんは、ビジネス、そしてプライベートでもパートナーになってほしいと美影さんに申し出、日本での『ケノヒノパン』開業に向けて動き出す。
実はこれら以外にもいろいろなエピソードを聞いたのだが、きりがないのでこのへんで……。物件はいろいろ探したすえに、南台の現店舗に落ち着いた。なにより賃料が安かったのが決め手だったという。2人は長く続けることを目標にしており、大きく展開しなくても商売を維持できる現店舗がちょうどよかったのだ。
パンのラインアップは近くにオーソドックスなパンをそろえるベーカリー『パン工房プクムク』があるため、かぶらないようにハード系を中心に。それもあるのだが、ずっとフランスにいた崇志さんが日本のパンを作れなかったというのも大きい(美影さんは作れる)。
ちなみに生地がバリバリなのは、シンプルに崇志さんの好み。「信条を曲げてパンを作ると、だんだんほころびが出てきてしまうので」と崇志さん。このへんは妥協しないのだ。
とはいえ食パンは、ちゃんと作る。それまで作ったことはなかったが、オープン前にいろいろな小麦粉や作り方を試し、たくさんの人に試食をしてもらったすえにたどりついた味わいは絶品。しっかり焼いて香ばしい耳はいかにも『ケノヒノパン』らしいが、素晴らしいのは生地。もっちり柔らかいのだが、咀嚼してもすぐ溶けることなく、しっかり歯ごたえが残る。噛むたびにおいしさが広がっていく生地で、オープンしてすぐに人気商品になったという。
その一方で、イタリアの伝統的な菓子パンであるパネットーネも作る。美影さんはもともと作っていたが、『ケノヒノパン』であらためて種から作り始めた、本格的なもの。フワフワの生地と官能的な香りで、こちらも人気商品となっている。
いろいろと情報量の多い『ケノヒノパン』だが、おいしいことは間違いない。そしてそのおいしさには、しっかりとした主張がある。だからこそ、多くの人を引きつけるのだ。
最後に崇志さんに今後の目標を聞くと、「ジャズギタリスト界で世界一有名なパン屋さん」という答えが返ってきた。予想外の答えにこちらが笑っていると、崇志さんはあらためて、「麹を用いたパンを作りたい」と言った。だいぶ形になってきたが、まだ改良の余地があるらしい。商品名は「カモス(醸す)」に決めているようなのだが、いったいどんなパンになるのか? 『ケノヒノパン』の新たな挑戦に期待したい。
取材・撮影・文=本橋隆司