目を輝かせ仏像に命を宿した「玉眼」

玉眼が迫力を生む佐賀県「円通寺」の天部像。
玉眼が迫力を生む佐賀県「円通寺」の天部像。

「この顔、生きている人間みたいだ」と見入るような仏像に出合ったことはありますか?

もちろん、彫刻の技術のみでそこまで感じさせる仏像も多くあります。

しかし、さらに生命感を強くし、まるで生きている人間の目のようにさえ思わせる技法が「玉眼(ぎょくがん)」です。

作り方は仏像の目の部分をくり抜き、裏側から黒目を描いた水晶(ガラスが用いられる場合も)をはめて固定。

すると、キラリと輝く人間のような眼球になるのです。

さらに、見る位置を変えることによって、光の反射が変化して仏像の表情さえも違って見えてきます。

玉眼が生命感を宿す港区「増上寺」の羅漢像。
玉眼が生命感を宿す港区「増上寺」の羅漢像。

日本人にも人気の画家・フェルメールは、世界で初めて黒目の中に白い点を描いたと言われています。

それが作中の人物に命を吹き込んだと言われ、現代の日本の漫画などでも使われています。

同じように玉眼は、仏像の目に輝きを入れた画期的な技法でした。

しかも玉眼は、フェルメールよりおよそ400年も前に誕生。

鎌倉時代に完成した方法なので、玉眼の入っている仏像を前にしたら「鎌倉時代以降の作品だろうな」と予想しながら観ることもできて楽しくなります。

あっちこっちを向くヘンテコ(?)な目の秘密

天地眼を表す千葉県「圓福寺」の不動明王像。
天地眼を表す千葉県「圓福寺」の不動明王像。

仏像の作り方は時代によって技術の進歩だけでなく、流行も存在します。

超メジャーな仏である不動明王の目にも、一大ブームが訪れたことが。

右目が上を向き、左目はしかめるように半分つぶった状態で下を向く独特な表情。

不動明王が、世界の隅々まで見渡しているという表現で、「天地眼(てんちがん)」と呼ばれます。

実は筆者の同級生に仏師がおり、彼の彫った不動明王も天地眼がはっきりと表されています。

天地眼の不動明王(城崎侊和作)。
天地眼の不動明王(城崎侊和作)。

天地眼の場合、牙も右が上・左が下に飛び出している例がほとんどです。

「仏像はこう作りましょう」というマニュアルのような経典の「儀軌(ぎぎ)」に基づいています。

ただ、日本に儀軌が入ってきたのが平安時代中期であるため、それ以前の不動明王は、天地眼になっていません。

天地眼の不動明王は、いわば、本来の姿を取り戻したと言えるでしょう。

“へたうま”に見えるのはわざとだった?

ノミの跡が残る滋賀県「松尾寺」の十一面観音像の足。
ノミの跡が残る滋賀県「松尾寺」の十一面観音像の足。

国宝や重要文化財に指定されるような仏像の多くは、緻密な彫刻が見られます。

一方で、彫ったノミの跡が残っていて、一瞬「え?完成前じゃない?」「なんか下手?」と感じる仏像も。

そうした仏像の一部は「鉈彫り(なたぼり)」といって、“あえて”ノミの跡を残したままにしているのです。

一体、鉈彫りによって何を伝えたいのでしょう?

松尾寺の十一面観音像。
松尾寺の十一面観音像。

神社にそびえる大きな木が「神木」として祀られていたり、ジブリ作品などでも大木(たいぼく)は特別な存在として描かれています。

そこからもわかる通り、日本人は古くから木に神聖さを感じるものです。

鉈彫りは、ノミの跡を残して木目もわかりやすいようにして、そんな木の神聖なパワーをそのまま伝えようとしているのです。

決して、未完成でも下手でもないんですよ!

作者の名前がはっきりしない名品たち

佐賀県東妙寺の釈迦如来像は伝・運慶作。
佐賀県東妙寺の釈迦如来像は伝・運慶作。

東大寺の仁王像は運慶・快慶、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像は定朝など、どの仏師が作った仏像か明示されているものも多くあります。

しかし、仏像の中には「伝運慶作」などと説明されているものも。

これは、「証明する文献や署名は残っていないけど、運慶が作ったと伝わっているもの」という意味です。

福岡県浮嶽神社の伝薬師如来像。
福岡県浮嶽神社の伝薬師如来像。

こちらは、そもそも製作者が誰かがわかっていない仏像です。

さらに、伝薬師如来とある通り、薬師如来であることもはっきりしていません。

薬壷を持っていれば薬師如来なのですが、長年での欠損によってその部分が失われているため「お寺では薬師如来と伝わっています」という表現にとどめられているのです。

仏像は芸術品であると同時に信仰の対象であるため、仏師がエゴむき出して「俺の作品だ!」とアピールするのとをよしとしない美徳もあります。

そのため作者がはっきりしていない作品も多く、「これは運慶が作ったんだよ」などと口伝されているものも多いのです。

運慶・快慶などが活躍したのが1200年代で、古すぎるということも記録が残っていない理由の一つですね。

西洋の芸術と比べると、フェルメールやレンブラントが活躍したのが1600年代、ルネサンスが起こってダヴィンチやミケランジェロが活躍したのが1400年代なので、その古さがおわかりいただけるでしょう。

 

博物館やお寺などでの仏像の説明が難しいと感じる場面も、今回の記事で、少しは解決するはず!

芸術の秋も深まってきたので、ぜひお出かけしてみてくださいね!

写真・文=Mr.tsubaking