そんなわけで今日は、夕方の目黒だ。

「今日は行人坂とサツマイモだね」
「え、目黒といえばサンマって感じだけど、サツマイモって関係あるの?」
「あるんだよ〜」
「へ〜。目黒とサツマイモって意外!」

そんな話をしながら行人坂(ぎょうにんざか)を下っていく。雅叙園に行く急な坂道だ。

平均勾配が約15.6%の急峻な行人坂。
平均勾配が約15.6%の急峻な行人坂。

「行人坂っていう名前は湯殿山の行者が大日如来堂を建てて修行を始めたら、だんだんたくさんの行者が集まって住むようになったからつけられたんだって」

「そうなんだね!行人坂って言えば江戸三大大火の話もあるよね」

江戸時代の難所でもありました。
江戸時代の難所でもありました。

過密都市のアキレス腱と目黒の大火

今回の目黒界隈も、江戸の昔からの古い町です。

ちなみに「江戸城ってどこにあった?」と聞くと「あれ?どこだっけ?」みたいな人もたまにいます。

ざっくりいうと、今の皇居が、かつての江⼾城です。

江戸時代は、慶⻑8年(1603)、天下を統⼀した徳川家康が幕府を開いてから、慶応3年(1867)の⼤政奉還まで、実に260年あまりにわたります。開府から35 年間ほどと、幕末動乱期の10 数年を別にすれば、だいたいのところ平和な時代だったようで、戦乱の絶えたいまの東京23区とおなじく過密都市だったようです。

そんな過密都市・江戸の最大のアキレス腱は、何度も繰り返される⼤⽕。過密都市の宿命ですね。

ざっとですが、記録に残っている⼤⽕だけでも200 件以上。

あのね皆さん、ボヤじゃないんですよ。⼤⽕です、⼤⽕。260年で200件もの⼤⽕。

過密都市の江⼾は、路地裏までびっしりと⻑屋が建て詰まっていたわけで。いうなれば「⽊」と「紙」だけだから、ひとたび“⽕”が出ればひとたまりもない。江⼾の⼤⽕は1000⼾単位で延焼していくケースが多かったそうです。

なかでも江⼾の“三⼤⼤⽕”として知られる⽕災は次のとおり。

《明暦の⼤⽕》 別名:振り袖⽕事
⽇時:明暦3年(1657)正⽉18⽇
状況:本郷丸⼭本妙寺から出⽕。翌19⽇には⼩⽯川伝通院前と麹町からも出⽕。死者10万余⼈ともいわれ、江⼾の町の⼤半が焦⼟と化す⼤惨事。江⼾城も大部分が焼き尽くされ、天守閣もこの時の消失以来、再建されていません。

《明和の⼤⽕》 別名:⾏⼈坂大火
⽇時:明和9年(1772)2⽉29⽇
状況:⽬⿊⾏⼈坂⼤円寺から出⽕し、南⻄⾵の⾵にあおられて、⿇布、芝から⽇本橋、京橋、神⽥、本郷、下⾕、浅草と下町⼀円を焼失し、死者は数千⼈にも及んだといわれる。
ちょうどいま我々が立っているあたりですかね。

《⽂化の⼤⽕》 別名:芝⾞⽕事、あるいは丙寅⽕事
⽇時:⽂化3年(1806)3⽉4⽇
状況:芝⾞町から出⽕し、⽇本橋、京橋、神⽥、浅草に延焼した。武家邸、寺社を焼き尽くし500余町が焦⼟となり、死者は1200余⼈といわれる。

ここ「行人坂」の名前がついている「⾏⼈坂大火」なんですけど、上述のとおり行人坂の途中にある⼤円寺からの出火ということです。お寺にしてみれば、まぁありがたくもないネーミングになんですけど、その出火原因がね、放火なんです。「坊主くずれの無頼漢が、大円寺の和尚に破門されたことを根にもって、庫裡(くり)に火を付けた」という説だそう。

絶え間なく起きていた“江⼾”の⽕事なんだけど、その出⽕原因の多くは、放⽕だったらしい。

江戸時代から変わらないテーマ「都市の防火を徹底する」

ちなみに最近の出火件数と原因を消防庁のホームページで調べてみたところ、以下のとおり。

■令和5年(1~12月)における火災の概要
・総出火件数は 3万8659件
・1 日あたり約106 件、約 14 分ごとに1件

■総出火件数の 3万8659件の出火原因
1.「たばこ」3493 件(9.0%)
2.「たき火」3472 件(9.0%)
3.「こんろ」2837 件(7.3%)
4.「放火」2487 件(6.4%)
5.「電気機器」2202 件(5.7%)

なお「放火」及び「放火の疑い」を合わせると 4106 件(10.6%)で、隠れ1位となっちゃいまして、いまも昔も変わらない感じです。

ちなみに、「放火」および「放火の疑い」が多い都道府県は、件数の多い順に、

1.東京都 642件(14.7%)
2.神奈川県 303 件(14.8%)
3.埼玉県 275 件(13.8%)
4.愛知県 273 件(13.4%)
5.千葉県 249 件(11.8%)

ということで、江戸時代とおなじく現代も、いかに都市ともなればいろんなアクシデントがあって火災も起こるから、以下にして「防火」を徹底するかが、都市を建設していく上での最重要課題となる。

そのため、現⾏の都市計画法には「防⽕地域」と「準防⽕地域」という制度があります。

防火地域・準防火地域は「市街地における火災の危険を防除するため定める地域」で、防火地域・準防火地域内の建築物は、一定基準以上の耐火性を有する建築物でなければなりません。

人が多く集まれば、いろんな意味で「それなり」のことが起こるのが世の常であるがゆえ、それを見越して、都市計画的にも、防火地域・準防火地域の指定は広範囲に行われています。

たとえば、ここ目黒区での防火地域・準防火地域の指定状況はどうなっているかというと、容積率400%以上となっている地域は防火地域、300%以下は準防火地域となっていて、つまり、林試の森公園などのごく一部を除いて、目黒区は防火地域か準防火地域のどちらかになっていますので、それなりに火災に強い建築物の建築が要求されます。

これは他の都心区でも同じで千代田区や港区、新宿区、渋谷区なども防火地域か準防火地域のどちらかになっています。

「行人坂を下りきったとこに雅叙園があるね」
「あれ、井戸?」
「ここも“火事の記憶”みたいだね」
「八百屋お七の話だから、行人坂の火事とはまた別の話ね」

「お七の井戸」。放⽕は⼤罪であって、放⽕犯に対する処刑は死罪すなわち「⽕刑」だった。
「お七の井戸」。放⽕は⼤罪であって、放⽕犯に対する処刑は死罪すなわち「⽕刑」だった。

絶え間なく起きていた“江⼾”の⽕事なんだけど、その出⽕原因の多くは放火。ゆえに、放⽕は⼤罪であって、放⽕犯に対する処刑は死罪、すなわち⽕刑だった。

ときは天和2年(1682)12⽉、江⼾駒込の寺から出火した大火で界隈の寺に避難した「お七」は、そこで、寺の若い小姓と出会った。家に戻っても彼と会いたくてたまらないお七は「また火事になれば彼に会えるかも」と。……お七の付けた火は瞬く間に江戸を焼きつくした。

翌年の春、鈴ヶ森の処刑場で火刑に処されたお七だが、このとき15歳という説もあれば17歳とも。

井戸の隣の碑によれば、お七の死刑後、僧侶となったかつての寺の小姓が「目黒不動と浅草観音の間、往復十里の道を念仏を唱えつつ隔夜一万日の行を成し遂げた」とのこと。目黒と所縁がないお七の井戸がなぜここにあるかというと、彼がお七供養の行を行う際に、この井戸の水で身を清めたとされたゆえのことなんですね。

さて、ここまで来たから目黒不動まで行ってみようか。

食を守る農地法

たどりついたみどりの散歩道「不動コース」。
たどりついたみどりの散歩道「不動コース」。

ここから15~20分で甘藷先生の墓に着く。

甘藷=サツマイモを日本全国に広めた青木昆陽は蘭学者で、幕府の書物奉行でもあった。享保の大飢饉のときに、飢えに苦しむ人々を救う道はないものかと探し、出合ったのが甘藷。中国では飢饉のときの非常食として育てていた甘藷の栽培方法などを書物にまとめたんだ。

そこからいろんなことを経て、荒れてやせた土地でも栽培しやすい作物としてサツマイモは広がった。

いつの時代も同じだけど、食料生産につながる土地は大事にしたい。そんな趣旨で、現在も農地法という法律があります。

農地法にはどんなルールがあるかというと「農地を売買するには第3条第1項に基づく農業委員会の許可を受けなければならない」「農地を宅地化するには農業委員会を経て都道府県知事から許可を受けなければならない」「許可を受けないと懲役刑という場合もある」といった感じで、食料自給につながる農地をなんとか保護しようとしているわけです。

お目当ての「サツマイモ」の話が書いてある。
お目当ての「サツマイモ」の話が書いてある。

ほら、甘藷先生の登場だぜ。秋には祭りもあるみたい。だから最初に「サツマイモの街」といったんだよね。

ニッポンもいくたびかの飢饉に襲われているわけだが、そんな窮地を救ってくれたのがサツマイモだ。近年だと、終戦直後でしょうか。

日本の食料自給率は37%くらいだから、なんらかの理由で外国からの食料輸入が途絶えるとかなりたいへんなことになるわけで、もちろんそのあたりの危機を取り上げた書籍も多数出版されています。

ちなみに政府も、もしものときは「サツマイモ」として、このような献立を発表しています。
https://www.cao.go.jp/bunken-suishin/doc/nouchibukai05shiryou01-2-1_6.pdf

「単純にいうと、あと3倍くらい日本に農地がないといけないわけよね」
「そうだね。あと農業をやってくれる人たちもだけど」
「あたし、ちょっと見に行ってきたいな」
「なにを?」
「外国の様子。農業とか。食べ物をどうしてるのかとか」

エルボーはオレを見る。

「あたし、食べ物が好きだから、カフェで働いていたのよ」

カフェ。そうか。エルボーとの出会いを思い出す。

「日本の食べ物がなくなっちゃうと困るし、だからちょっと勉強がてら外国に行ってみようかな」

よしエルボー。

もしものときの食料不足を乗り切るため、ともに旅に出よう。2人ならどこでもやっていけるさ!

「まずはどこに行こうか!」
「じゃあ、またね!」

……振り向けばただ川が流れているだけだった。

取材・文・撮影=宅建ダイナマイト執筆人