はじまりは高円寺の小さな靴店。郊外戦略で大躍進を遂げた
幹線道路沿いにそびえ立つ城壁のごとき白い屋根に、でかでかと描かれたライオンのキャラクター。足を踏み入れれば、ガラスケースに鎮座する超絶クオリティーの模型や壁画のようなジグソーパズル、所狭しと並ぶ玩具のパッケージに心奪われ、時間が経つのも忘れて店内を見て回った。当時小学生だった僕は「大人になったら、この棚のガンプラを全部買ってやるんだ」なんて夢を抱いてたっけ。
週の何回かは足を運んで店内を物色していた。すると、似たようなことをしている同年代のヤツの顔を覚えるようになる。もっとも、僕と彼はお気に入りの棚が違うから、接触はしない。「それぞれの領域は侵さない」という暗黙のルールを守っていたのだ。今思えば、ただ単に人見知りしてただけなんだけどさ。
成人する頃には「ハローマック」の姿を見ることはなくなり、そのタイミングで「ハローマック」は『東京靴流通センター』のチヨダが運営していたのだと知った。「言われてみれば、屋根の形がそっくりだ」と目を丸くしたものだ。
「『ハローマック』があった頃、採用面接に来た就活生もそんな感じでしたよ。みんなウチを靴じゃなくて、玩具の会社だと思っていた」と笑うのは、チヨダEC事業室長・冨髙尚登さん。まさに全盛期、販促部として数多の店舗を担当してきた歴史の証人だ。なんと、「ハローマック」2代目テーマソング『パジャマトリッパー』の制作にも関わっていたという。当時、店内やテレビCMなどで耳にしたあの曲か……! 胸の高まりを抑えきれない!
チヨダは昭和11年(1936)に創業者・舟橋義雄が、高円寺の商店街で「チヨダ靴店」を開いたのが始まりだ。その後、1948年の法人化を経て、中野や吉祥寺といったJR中央線沿線に「靴卸売チヨダ」のチェーン展開を進めていく。
1969年、当時の代表取締役社長・舟橋政男(2024年現在は名誉会長)がアメリカで目にしたロードサイド店舗に着想を得て、郊外へ進出。これを契機に店舗数を一気に増やし、1979年には全国で200店舗以上を展開する一大チェーンとなった!
「国内の靴店のロードサイド展開は、ウチが初だと思います」と、冨髙さん。この頃は人々の生活拠点が都心から郊外へ移り始め、モータリゼーションの足音が聞こえる、過渡期だった。時勢を見極め、一歩先の展開へと踏み出した舟橋氏の慧眼と胆力たるや!
不採算店舗のリニューアルで伝説の玩具店が誕生。最盛期は472店舗に
「とはいえ、展開を広げれば不採算店舗も出てくるわけです」と、冨髙さん。しかし、そこでもまた舟橋氏の商才が光った。当時は空前のファミコンブーム。人気タイトルの発売日となれば、開店前から玩具店に行列ができる。そんな時代だったのだ。
1985年、春日部に「おもちゃのハローマック」1号店をオープン。その後も靴の不採算店舗のリニューアルを中心に数を増やし、最盛期は全国各地に472店舗を展開するチヨダの中核事業となった。
しかし、勘違いしないでほしい。「ハローマック」はただブームに乗って躍進したのではないことを!
「一番大切にしていたのは、『体験型のおもちゃ屋』にすることでした。見て、触って、遊んで、お気に入りを見つけてもらう。そんな店作りをするために、スタッフはいつも本気で取り組んでいました」
当時のスタッフは、「子供たちの話についていけるように」と、特撮ドラマや子供向け番組を観てから出社。ヨーヨーなどの技術が必要な玩具は、メーカー直伝の講習を受け、無我夢中に猛練習。売り場も研究を重ね、凝りに凝ったものを作っていた。
「中には、博物館のような大作売り場を作ってしまう店舗もありました。すると、それに触発された別の店舗がもっとすごいのを作ってくる。何度『やりすぎじゃない?』と突っ込んだことか(笑)」と、冨髙さん。まさに、全身全霊で子供たちに向き合っていたのである。本気度、半端ねえ……。
思い起こせば、やたらとハイパーヨーヨーが上手いお兄さんがいたり、店内で開催されるさまざまなイベントを盛り上げるお姉さんがいたり、子供心に「楽しそうだな」と感じさせるスタッフが多かった。そうだ、同じ目線で遊んでくれるから、居心地が良かったんだ!
「毎日遊びに来る子もいて、スタッフは『おかえり』と声をかける。玩具店というより、近隣の子供たちの遊び場になっていました」
なんともおおらかで人情味のある話だ。子供にとって、そんな場所って貴重だよなあ。
だが、万物は流転する。ネット通販の発達や他業種の玩具業界への参入、自動車社会の衰退といった市場の変化に伴い「体験型の玩具店」である「ハローマック」の人気は陰りを見せていく。閉店や業態変更の末、2008年に全店閉店。チヨダの「ハローマック」事業は幕を降ろした。
店がなくなっても途切れることのないファンの声
しかし、「ハローマック」はファンの心に在り続けていた! 事業終了から幾年を経ても寄せられるたくさんの問い合わせに、冨髙さんをはじめとした関係者は大いに驚かされることとなる。
「私たちは『事業をやり切った』という気持ちだったので、整理はついていたんです。けれど、みなさんの声を聞いて、改めて『ハローマック』は愛されていたんだな、と実感しました」
ファンからの声に応えるべく、2019年には「東京おもちゃショー」に「ハローマック」の名を冠し、出展。ブースに集うほぼ全てが、40代から50代前半の“ハローマック世代”。会場に設置したマスコットキャラ・マックライオンのフォトスポットには、多くのメッセージが寄せ書きされた。「これにはグッときましたね」と、冨髙さんは目を細める。
そして、2024年11月にはトイズキャビンからカプセルトイ「あこがれのハローマック(全4種)」が、トミーテックから模型「ロードサイドショップ(おもちゃのハローマック)」が発売される!
「グッズ化の企画、結構来るんですよ」と、冨髙さん。もしや、そういう企画を持ってくるのって……。
「たいてい、“ハローマック世代”の人ですね(笑)」
それもう、グッズ作ってる人たちの壮大な推し活じゃないっすか!
「ハローマック」聖地巡礼も後押し!? 飽くなき顧客ファーストの精神は永遠に
そんな「ハローマック」だが、残念ながら再始動の予定はないという。しかし、客と地域に本気で向き合う精神は、今もしっかり引き継がれている。
「今、当社では手を使わずに履くことができる『スパットシューズ』という商品に力を入れていますが、売り場に全サイズのサンプルを置いて、お客さまに試していただいています。やはり、体験してもらって、お客さまの声を直接聞くこと。そして、それをカタチにすること。これは、今も昔もチヨダがずっと変わらず大切にしてきていることなんです」
売り場に関しても「ハローマック」と同様、地域に合わせた品揃えで作っている。近隣の学校の上履きは全て揃え、地域の行事もつぶさにチェックし、時期折々の演出で売り場を盛り上げる。
「チヨダの店舗は全国展開のチェーンですが、ひとつとして同じ品揃えの店はありません。その街で暮らす方々に、どうやって喜んでもらおうか、いつも考えて、店作りをしています」
今後は長らく積み重ねた「地域密着の体験型店舗」の知見と、ネット通販の利便性を融合させていく考えだ。チヨダの挑戦は止まらない。
さて、さまざまな店舗を展開しているチヨダだが、ひときわ存在感を放つのはやはり『東京靴流通センター』であろう。
幹線道路沿いにそびえ立つ城壁のごとき赤い屋根に、でかでかと描かれた「靴」の文字。
察しの良い「ハローマック」ファンならば、ピンと来ているはず。そう、現在の『東京靴流通センター』は、「ハローマック」の建物を流用している店舗がたくさんあるのだ!
チヨダの公式ページをご覧あれ。なんと、「店舗検索ページ」には「元ハローマックの店舗」のリンクテキストが。さらに飛んだ先の「なつかしのハローマックの店舗」ページには、全国の店舗写真がズラリ!
これ、絶対ファンサービスですやん。公式からの供給が過ぎる……こんなものお出しされたら、もはや聖地巡礼するしかないよ!
暇さえあれば通い詰めていた。目に映る全てが輝いて見えた。夢とか希望とか、全て詰まっているような気がしていた。
そんな、幼き日の遊び場は、いつしか姿を消していた。
けれど、その名残と面影は、今も確かに息づいている。
その息吹きを感じれば、色褪せぬ思い出が昨日のことのように蘇る。
そう、「ハローマック」はいつもそこにある。
そして、これからもきっと、思い出に彩りを加えてくれるに違いない!
取材・文・撮影=どてらい堂