静かな郊外にたたずむ渋い酒場を目指して
再開発計画を潜り抜けた都会の老舗の渋い酒場もいいのだが、静かな郊外にたたずむ渋くて小さな酒場が私は大好きなのだ。都会にはない、その土地ならでは「会話」や「匂い」に触れ、そこの名物をいただく。その場の登場人物は誰一人として飾らず、自然体のままで酒を飲むのだ。
先日、初めて青梅に行ってきたのだが、都心から約1時間で大自然を堪能できる、非常にいいところだった。
独特な街の静けさと空気が流れていて、道端のベンチなんかに座れば、いつまでもボーっとできてしまう。今までに何度も言われてきただろう、空気がきれいで「ここが本当に東京都だと思えない」と、あえて何度も叫んだ。
さて、私がここへ来た目的はもちろん酒場である。大好きな郊外にあり、以前から目を付け本当に行きたいと思っていた酒場のひとつだ。
駅から出て、商店街や路地を歩くこと5分。
息を飲むほど渋い外観
はい出た、その名も『銀嶺(ぎんれい)』である。なんですか……この「渋い」が過ぎる外観! 錆と煤で“仕上がった”看板、何緑色ともいえないテント屋根。そこにしか設置できなかったであろう、店先の巨大室外機、くすんだ青のペンキの扉はどこにつながっているのだろうか……?(あとで知ったが、店の奥の座敷に行くための通路だった)。
そして、青梅の空気を存分に染み込ませた藍色暖簾(のれん)と真っ赤な提灯がユラユラと……最高峰と言っていいビジュアル。中へ入るのがもったいないくらいだ。とは言いつつ、なかなかどうして、これは入るのに度胸がいりますよ。けれども、中が見たい葛藤、中で酒を飲んでみたいという欲望があふれ、いざ……!
ガタッ、ガラガラガラ(乾いた木製の引き戸が開く音)。
「あのぅ、席空いてますでしょうか……ハッ!」
絶句、である。数坪の小さな空間にL字カウンター、その隅にはおでん槽。奥には小上がりもある。壁という壁には額縁やカレンダー、調理機器や棚などでミッチリと埋まり、それがある意味極彩色の美しさを成している。非の打ちどころがない、控えめに言って過去最高の内観だ。
「いらっしゃいませ。そちらにどうぞ」
なんとも品のいい白割烹着の女将さんが迎えてくれる。よく見ると、酒造メーカーの前掛けで作られたであろうズボンを履いているではないか。白割烹着とのギャップ……何とすばらしい。
座ると目の前は、煤にまみれた焼き場と使い込まれたおでん槽があるという砂被り席。こんな「渋い」の上級者向け酒場で、私のような若造が太刀打ちできるだろうか……まずは落ち着いて、酒をお願いしよう。
家庭用冷蔵庫から取り出した大瓶。何だろう、見慣れたキリンラガーのラベルなのに、この渋カウンターに乗せるだけで麒麟の顔がいつもより神々しく見える。
ごぐっ……ごぐっ……ごぐっ……、カ──、旨いっ! 早くもこの雰囲気にドップリと心酔してしまいそう。
「おでんね。どちらにします?」
「このふっくらしたガンモと……」
「ガンモね」
「あとは……よく染みたこの大根ね」
「はぁい」
先客の諸先輩らの会話にあった「ふっくらした」って表現、いいですねぇ。おでん槽を指さしながら、女将さんにタネを伝えている感じ……完全に駄菓子屋だ。60代くらいの先輩らが、まるで子供のように見える。よし、「孫」の私もお願いしよう。
女将さんが菜箸でゆっくりと引っこ抜いてくれたおでんが渡された。ウインナー巻き、生揚げ、玉子、人参、大根……主要メンバー全員が出席している。
煮物は大根を見れば分かる、これはもう間違いない。形を残しつつ、ジュクジュクと旨汁をたっぷりと含んだ大根。それとあの硬い人参も、元々の硬さが想像できないくらいに柔らかく煮込まれている。
生揚げはタプダプと震える食感がよく、ウインナー巻きの中身は赤ウインナーで、これがおでんのダシと相性バチン。ちょっと欠けちゃった玉子も、逆に黄身とダシがマリアージュしていい。
「牛筋ちょうだい」
「お、牛筋なんてあるのか。こっちにもちょうだい」
ここのおでんは、客が客の真似をして注文が次々と伝播される仕組みのようだ。このサイズの酒場だから気軽にできるのであって、大きな店だとちょっとできないシステムだ。
続いて自家製ポテトサラダがやってきた。ガラス器のポテサラが、なんとも家庭的だ。そもそも、この女将さんが作るポテサラがおいしくないわけがない。
ざっくりと潰したポテトときゅうりと人参が、控えめなマヨネーズとあっさりと絡み合う。ちょうどいい、この手作り感がたまらない。たまに私が作る、ベッタリとしたポテサラとは大違いだ。こいつに軽くコショウを振って、思わず拍手である。
「ん? なぁに?」
「あのねぇ……」
かわいらしいしゃべり方なのに、どことなく気品を感じる女将さん。家庭的でもあり割烹的でもある、なんとも不思議な魅力を醸し出す女将さんだ。
超至近距離! 極上アジの香りがたまらない……
そんな女将さんが、目の前の網で「極上アジ」を焼き始める。エッヘン、私が頼んだものだ。網にのせられた特大アジからは、間もなくチリチリと煙が上がる。食事って香りも大事、小さな店を芳ばしい香りが包み込む。
女将さんは「よっ」と言って、アジをひっくり返す。半面をしばらくして焼いてついに完成。「このアジ、おいしいわよ」と言われながら受け取る。
よだれが、出そうである。熟成された香りがたまらず、そのまま割り箸をブツリと刺して食らいついた。
旨いなぁ! ふわりとした食感から凝縮された魚の旨味、嚙むたびにその旨味が鼻から多摩川まで突き抜けるようだ。ふぅ……間違いない、今までで一番おいしい焼きアジだと断定した。
青梅への愛が止まらない
「ハイキングでいらっしゃったの?」
「いや、お酒を飲みに初めて青梅に来たんですよ」
仕事がひと段落した女将さんが、声をかけてくれた。生粋の青梅っ子の女将さんは、この街のいろいろな話を教えてくれた。昨今、青梅に移住する人が増えているらしく、そんな人たちを「新しい人」と呼ぶところが長く住んでいる証しだ。最近は駅までの交通の便が良くなったが、昔は奥さんが車で旦那さんの送り迎えをする光景が日常だったらしい。駅前にも高層マンションがたくさん立ち並び、この街もだいぶ変わったとのこと。
「いやぁ、青梅っていいですね。住んでみたいです」
「河辺(かべ)に一軒家を建てる人は多いけど、落差の激しい土地だから家を建てるには青梅のほうがいいわよ」
ちょっとした隣町の皮肉を言うところも、長く住んでいることと、この街を愛している証しなのだ。
「ぬか漬けちょうだい」
「はぁい」
隣の先輩が、ぬか漬けを頼んでいた。女将さんが渡すと、先輩はそこへ味の素をババッ、醤油をぐるりとひと回し。実家の父親の食べ方と同じで、思わず口を押さえて笑いを堪えた。
都心から約1時間、小さな酒場にて。
すべての物が手に届くほど小さく、古く、品数もそんなに多くない。店主と、あるいは客同士で、ちょっとしたコミュニケーションが必要な大衆酒場は苦手な人もいるだろう。広くてきれいで大きなチェーン店の個室で飲めば、そういう心配はいらないかもしれない。電子パッドなら会話せず便利に注文ができるし、魚もオーブンであっという間に焼いてもらえる。ポテトサラダも安くて安定した味だ。
それも悪くはない。それでも、私は断然こんな小さな駅にある小さな大衆酒場を選ぶだろう。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)