越前にいながら、考えていたのは都のこと

『紫式部集』という、彼女が詠んだ歌だけを収録した歌集があるのだが、そこには越前で過ごした日々や夫と思われる人との歌――つまり『源氏物語』を書く前の紫式部の言葉――が収録されている。

越前は、紫式部にとって、とにかく「雪の降る寒い土地」だったらしい。『紫式部集』には、越前の雪が二首も詠まれている。

 

〈原文〉

ここにかく日野の杉むら埋む雪小塩の松に今日やまがへる

〈現代語訳〉

ここ(越前)では、日野山の杉たちを埋めつくすくらい雪が降っている。都でも雪は降っているでしょうか、小塩(おしお)山の松にちらちら降る雪。

(『紫式部集』)

 

〈原文〉

ふるさとにかへるの山のそれならば心やゆくとゆきも見てまし

〈現代語訳〉

故郷の都へ帰ることができそうな「鹿蒜(かひる)山」という山の雪なら、気晴らしにもなるし見に行ってもいいけれど、そうじゃないならな~

(『紫式部集』)

 

……そう、越前にいながら紫式部が考えるのは、常に、都のこと! どちらも『紫式部集』に収録された歌ではあるが、どちらの歌からも、「あーこんな越前じゃなくて都に帰りたい」と思う紫式部の嘆きが聞こえてきそうである。

実際、越前へ赴任になった父の世話のために同行した紫式部であるが、結局父と離れて1年過ぎたところで都へ帰ってくることになる。そして夫との結婚生活を都で送ることになるので、実際にどのような順序で帰京と結婚が決まったのかは定かではないが、紫式部の歌を読む限り「ほんと京へ帰りたい!」と思っていたことはなんとなく伝わってくるのである……。やっぱり越前は寒かったのか、それとも見知った友人がいなかったのがつらかったのか。紫式部が越前の景観をほとんど歌に詠んでいないところから私たちは察するしかない。

藤原宣孝に贈ったツンデレかますような和歌

さてそんな紫式部の結婚相手は、ご存じ、藤原宣孝。『紫式部集』には、宣孝であろうと思われている男性との歌が収録されている。宣孝の手紙に対し、紫式部はこんな歌を返している。

 

〈原文〉

近江の守の女懸想すと聞く人の、「ふた心なし」と、つねにいひわたりければ、うるさがりて

  みづうみに友よぶ千鳥ことならば八十の湊に声絶えなせそ

〈現代語訳〉

近江の守の娘にちょっかいをかけていると噂の男性から、「あなただけを愛しているよ」といつも言われても、うるせえってなもんで、

   近江の湖で友人を探している千鳥さん、どうせならあなたはいろんな海辺で鳴き続けたらいいんじゃない? あちこちで女性に声をかけてくださいな

(『紫式部集』)

 

実際、宣孝は紫式部と結婚する前からさまざまな女性と関係を持っていたらしい。「千鳥」と揶揄されているが、紫式部はそんな宣孝にツンデレをかますような和歌を贈りつつ、それでも彼と結婚したのである。

それはもしかすると、越前の土地の厳しさがそうさせたのか、あるいは宣孝との和歌のやりとりが楽しかったのか……。千年後の読者は想像するしかできないが、それでも紫式部の和歌を読むと、「宣孝のこと、けっこう面白い男だと思ってそうだなあ」なんて感じるのだった。

紫式部ゆかりの越前へ

ちなみに現在、福井県越前市では、大河ドラマ館が開館している。近くには紫式部像や、寝殿造りを模した庭園があり、『源氏物語』や『光る君へ』が好きな方にとっては充実した観光スポットになっている。

筆者もはじめて行ったが、とても楽しかったです……! せっかく北陸新幹線も延伸開業したタイミングなので、この夏の旅行先に、越前を加えてみてはいかがだろうか?

文=三宅香帆 写真=PhotoAC、三宅香帆

京都を歩いていると、ふと、物語の世界に入り込んだような心地になる。というのも、『源氏物語』に出てくる場面の舞台が、あるいは『紫式部日記』に登場する場所が、そこら中に存在しているからだ。京都の魅力は、歴史と現在を分け隔てないところにある。千年前の物語に描かれていた場所が、現代の散歩コースになっていたりするのだ。物語を通して眺める京都は、なんて魅力的なんだろう、とたまに惚れ惚れする。
紫式部と並び、平安時代の優れた書き手として知られるのが、清少納言。言わずと知れた『枕草子』の作者である。『枕草子』といえば、「春はあけぼの」といったような、季節に関する描写を思い出す人もいるだろう。が、実は清少納言が自分の人間関係や宮中でのエピソードを綴っている部分もたくさんあるのだ。そのなかのひとつに、大河ドラマ『光る君へ』にも登場する藤原公任(きんとう)とのエピソードがある。今回はそれを紹介したい。
大河ドラマ『光る君へ』で、その存在感で視聴者にとって大きな印象を残しているのが、毎熊克哉さん演じる謎の男・直秀である。史実には残っていない、散楽一座のひとりである彼は、藤原家に盗賊に入るなど、謎の多い男になっている。それでいて主人公まひろのサポートをしてくれる彼は、『光る君へ』の物語に欠かせない存在となりつつある。そんな彼が、第八話「招かれざる者」で語ったのが、「都の外でも暮らしたことがある」経験。いまは京で散楽を演じている彼は、「丹後や播磨、筑紫」で暮らしていた、というのだ。まひろは自分が見たことのない海を、彼が見たことがあると聞いて、自分も見てみたい、と語る。
大河ドラマ『光る君へ』において、藤原定子の入内の場面が描かれた(第13回「進むべき道」)。藤原道隆の長女である定子は、一条天皇に入内。当時、数え年で定子は14歳、一条天皇は11歳だった。いとこ同士だったふたりは、漢詩の教養などを通じて仲の良い夫婦になったという。平安時代において「女性のほうが3歳年上の夫婦」というのはなんだか先進的に感じられるかもしれない。しかし実は平安時代、男女の年の差は現代ほど問題にならなかった。というのも『源氏物語』においても、年の差の恋愛はしばしば描かれるからである。今回は中宮定子と一条天皇にちなんで、『源氏物語』における年の差恋愛について見てみよう。