貿易港で結構大きな港なのだが、工業地帯というほどでもなく、かといって函館のように有名な朝市があるわけでもない。地元民が愛してやまない「土崎港まつり」という、重要無形民俗文化財の祭りはあるが、東北三大祭りのひとつ「秋田竿灯まつり」ほど知名度もない。
それでも、港まつりは本当に楽しいし、名物のハタハタなんかもおいしいのだが……そのために「絶対、来てみてくれ!」とまでは言い難いのが正直なところである。
そんな故郷に帰った、とある夜のこと。街のシンボルであるポートタワー「セリオン」のイルミネーションを背景に散歩をしていた。港まつりでは出店がにぎわう商店街にオレンジの街頭、遠くに聞こえる船の汽笛……なんだかんだ、やはり愛着のある雰囲気だ。
しばらくすると、突然パラパラと雨が降ってきた。思い出に浸るのはここまで。慌てて家に向かう途中、私の視界の中に「ギョッ!」とするような店構えが飛び込んできたのだ。
地元なのに全く気がつかなかった酒場
黄色のモルタル外壁、黄色から赤に塗り替えられたテント屋根。“居酒屋”とだけ書かれた赤ちょうちんと、海風に揺れる藍色の暖簾(のれん)には「さんとり」と大書されている。
酒場、だよな……? 思わず立ち止まり、テント屋根の中で雨宿りする。思い返せば、この商店街も何度となく行き来したはずだが、まったく記憶にない。ちらりと見える店内は、かなり渋い。入ってみるか……いや、ちょっと“レベル”が高すぎるのでは……? 店先で葛藤をすること数分。それを見越してか、雨が後押しするかのごとく雨脚を強めた。これは“入ってみなさい”という思し召しと捉えるべきか。思い切って、中へ入ることにした。
無人の店内は、中央にテーブル、奥に小上がり、厨房前に小さなカウンター。それを天井から民芸風の小さな明かりがゆらゆらと照らしている。あとは石油ストーブの「コーッ」という機械音と、ボリュームの控えめなラジオが鳴っている。
独特な雰囲気に立ち尽くしていたが、誰もいないようなのでそのまま店を出ようか……なんて思っていると──
「いらっしゃい」
わっ! びっくりした……奥の厨房からマスターが出てきた。
「あ、あの、ひとりですけど、いいですか……?」
「いですよ。どごでも、好きなどこ座っでください」
コッテリな秋田弁のマスターは、そう言って厨房へ戻っていった。勢いで入ってみたが、座ってみるとより店内の迫力を感じる。とりあえず、緊張してのどが渇いた。
「すいません、“生”ひとつください」
「あい、分がりました」
声が届くように厨房へ体を乗り出し、マスターへ酒を頼んだ。外の雨は、さらに強くなってきた。
マスターは目の前に「生ビール」を置くと、また厨房へ戻っていった。なにか仕込みをしているのか……? 生を半分まで飲む。しかしなんだな、この謎の緊張感の中でもコイツだけはいつだって旨い。
厨房を覆い隠すように貼り並べられた短冊メニュー。馬串焼、ヤツメ鍋などの聞き慣れない料理が目に付くが……まずはコイツからいただこう。
私のふるさとの味のひとつ「湯豆腐」だ。マスター自らカセットコンロをセットし、ちょうど煮えた湯豆腐の鍋をのせる。具は木綿豆腐と多めのネギのみ。これが、いいのだ。
そうそうそう、醤油に鰹節と生姜だけの“しょっぱいタレ”を外してはいけない。こいつに熱々の豆腐を潜らせ、ズルズルッと口に含む。
熱っち……熱ちちちちっ! ああ、おいしい。やっぱ湯豆腐といったらこの熱さだ。つるりとした豆腐に濃いめの醤油味。鰹節が旨味を加え、擦りたての生姜がツンと味を引き立てる。
続いてやってきたのは「イワシ刺身」だ。銀細工のような上品な輝きは、イワシから染み出す上等な脂の証。ここ土崎は、なんといっても港町。魚が新鮮であることは当たり前なのだ。
箸先に脂を感じつつ、ひと口──うんまい!! ハリのある身がプリプリと気持ちのいい食感と、やらしくない、コッテリした魚の脂が舌に溶け込む。魚の質がいいのももちろんだが、マスターの腕の良さもおいしさの要因だ。
「イワシの刺し身、すごくおいしいです!」
思わず、厨房にいるマスターに伝えると、ゆっくりと厨房から出てきてくれた。そのままカウンターに座ると、おもむろにタバコへ火を点けながら言った。
「こごら辺の人だすが?」
マスターの意外な問いかけに、ちょっとうれしくなった。なんて、渋い表情なのだろう。高倉健だって、なかなかこの表情は出せないんじゃないだろうか。
「帰郷してるんですよ。でも、こんなお店があるとは知りませんでした!」
マスターは煙を吐いて破顔、それからゆっくりと話をしてくれた。
料理上手で釣り好きのマスター
マスターは秋田県北西部の三種町出身。元々はここからすぐ近くで酒場を営んでいたが、そこを閉めて2014年頃から2代目としてここを受け継いだとのこと。はじめはちょっと怖そうだなと思っていたが全くの逆で、とても丁寧な口調なのが印象的だ。
もうひとつ頼んでいた「チーズポテト焼き」が焼きあがった。皮付きポテトとベーコンを、オーブン皿へ山盛りにのせ、そこに絡んだチーズの焼ける香りが漂う。この店構えでこんな洋風料理が?と物珍しく頼んだが、これが大正解だった。
箸でポテトを引き上げると、どこまでもチーズが伸びる。熱々のところに食らいつくと──う・ま・い!! ほくほくのポテトとカリカリのベーコン、それをとろとろチーズが渾然一体とさせる美味。それと、子供の頃に近所の喫茶店で食べたような、懐かしさまでもが込み上げてくる。
「釣りが好ぎでねぇ、今日もお店開ける前に行ってきだんです」
「そうなんですか!」
話題は釣りの話になり、マスターはチヌ(クロダイ)専門のアングラーだという。私も釣りに大ハマりしていたことがあったので意気投合。ここから近くにある“北防”に“五万トン”……懐かしい釣り場の名前がどんどん出てくる。マスターは少し前に60cmのマダイを釣り上げたらしく、その写真を2人で見ては「すんげ、すんげ!」と大いに盛り上がった。
外を見ると、いつの間にか雨は上がっていた。結局、私が帰るまで店は貸し切り状態。はじめはあんなに入りづらかったのに……なんだか、とても居心地のいい時間を過ごすことができた。
「今度は、家族を連れて来ますね!」
「ははは。その時まで続けてるか、分がらねけどね」
そうやって自虐的に言うマスターだが、きっとこの酒場は誰に気づかれようが気づかれまいが、これからもずっとこの場所に在り続ける気がしてならない。いや、そうじゃないと困るのだ。
「何が有名なところなの?」
「港まつりや釣りができるくらいだけど……いい酒場があるよ」
これからは、こう言って故郷を紹介しなくてはならないのでね。
取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)