「東京時層地図」では18の地図や空中写真を閲覧可能

「東京時層地図」ホームページより
「東京時層地図」ホームページより

「東京時層地図」は、明治から現代までの時間を軸に、東京の変遷を知ることができる地図アプリ。表示できるのは7つの時期(文明開化期、明治のおわり、関東地震直前、昭和戦前期、高度成長前夜、バブル期、現代)の古地図を中心に、以下の18種類の地図、地形、空中写真だ。

「東京時層地図」ホームページより
「東京時層地図」ホームページより

表示範囲は23区の概ね全域(一部は表示範囲外もあり)と、隣接する都道府県の一部。GPSで自分の位置を表示してくれるのも特徴で、街を歩きながら「この辺って昔はどんな感じだったんだろう?」と、即座にスマホで古地図を確認できる楽しいアプリなのだ。

価格はiPhone版が1960円、iPad版が2580円の買い切りで、Android版は1週間110円~の定額制(いずれも税込み)。お値段はそこそこだが、雑誌『散歩の達人』に登場する街歩きの有識者にも利用している人は多数。歴史散策好きは持っていて損のないアプリだ。

今回はこの「東京時層地図」の面白さを、筆者の自宅近所の新宿荒木町を歩きながら紹介しよう。

池があった明治の荒木町を、地図と照らし合わせて歩く

現在の荒木町は、ゆうに200を超える居酒屋、料亭、バーやスナック等が並ぶ飲食街。「大正~昭和中期に花街として栄えた歴史がある」「典型的なスリバチ地形(四方が囲まれた窪地)の街」「坂道や路地が多い」といったイメージを持っている人も多いだろう。

そんな荒木町には、かつて巨大な池があったのだが、その時代の地図も「東京時層地図」では一瞬で確認できる。以下の地図は、左が明治9~19(1876年~86)年の文明開化期のもの。右は同じく「東京時層地図」で表示した、昭和59~平成2年(1984~90年)のバブル期の地図だ。

一般財団法人日本地図センターが作成した「東京時層地図」を使用。
一般財団法人日本地図センターが作成した「東京時層地図」を使用。

左の文明開化期の地図を見ると、荒木町の中心部に長辺100mを超える大きな池があるのが分かる。なおこの池は、「東京時層地図」の明治の終わり(約110年前)の地図でもすでに消えていた(地図では分かりづらいが、現在も「策(むち)の池」という小池は荒木町にある)。

また文明開化期は道路も未発達。地図下を東西に貫く新宿通りと、右端を北北東に降る津の守坂は今も同じ場所にあるが、外苑東通りなどは未整備なのが分かる。一方で右のバブル期の地図は、都営新宿線曙橋駅の位置なども含め、現在の街の様子と大きいな違いはないように見える。

こうして2つの時代の地図をざっと見比べるだけでも面白いのだが、街の景色と一緒に「東京時層地図」を眺めると、その楽しさはさらに増す。下の2枚の写真は、荒木町のスリバチ地形の北側の入り口となる「仲坂」から撮影したもの。左の写真は、その場所で見た「東京時層地図」の文明開化期(約140年前)の地図をiPhoneで表示したものだ。

左の地図は見ている方角に合わせて南北を反転。坂の下の住宅地が、昔は池だったことが分かっておもしろい。以下、画像中のiPhoneに表示される地図は、すべて一般財団法人日本地図センターが作成した「東京時層地図」を使用したもの。
左の地図は見ている方角に合わせて南北を反転。坂の下の住宅地が、昔は池だったことが分かっておもしろい。以下、画像中のiPhoneに表示される地図は、すべて一般財団法人日本地図センターが作成した「東京時層地図」を使用したもの。

なお「東京時層地図」では、段彩陰影(5mメッシュ標高)の地形も表示できる。その地形も仲坂の下で確認してみた。

地形図を見ると四方が崖に囲まれていることが分かる荒木町。目の前の景色とあわせて見ると、「確かにここに池があってもおかしくないな」という実感が湧いてくる。
地形図を見ると四方が崖に囲まれていることが分かる荒木町。目の前の景色とあわせて見ると、「確かにここに池があってもおかしくないな」という実感が湧いてくる。
仲坂下の石碑を見ると、この石段の竣工は昭和7年(1932)8月だった。池が埋め立てられ、荒木町が花街として発展していく過程で整備されたのだろう。
仲坂下の石碑を見ると、この石段の竣工は昭和7年(1932)8月だった。池が埋め立てられ、荒木町が花街として発展していく過程で整備されたのだろう。

このように、自分の目の前の景色を、歴史・地形との関連で見ることができるのが「東京時層地図」のおもしろさだ。なお荒木町は、江戸時代には松平摂津守の上屋敷があり、滝のある庭園が「お江戸の箱根」と呼ばれた風光明媚な場所だった。その屋敷の場所は仲坂の近くなので、現在の様子を確認してみた。

「東京時層地図」の明治のおわり(110年前)の地図で屋敷のあった場所は……。
「東京時層地図」の明治のおわり(110年前)の地図で屋敷のあった場所は……。
現在はマンションが建設中だった。
現在はマンションが建設中だった。
ちなみに街中のとんかつ屋『とんかつ鈴新』の脇には、この屋敷で生まれた松平容保(陸奥国会津藩9代藩主)のオブジェが置かれていた。
ちなみに街中のとんかつ屋『とんかつ鈴新』の脇には、この屋敷で生まれた松平容保(陸奥国会津藩9代藩主)のオブジェが置かれていた。

なお、屋敷のあったところは今も高台といえる場所。周辺は区画の大きい家も目立つ。文明開化期(約140年前)の地図を見ると、すぐ隣には水田があったが、その水田の場所は標高がガクンと落ちている。「やはり高台には屋敷があって、低地には水田があるんだな……」なんて感慨に浸れるのも、古地図を眺めるおもしろさだ。

文明開化期(約140年前)の地図を表示中。青のポイントが現在地で、140年前はこの目の前に水田があった。
文明開化期(約140年前)の地図を表示中。青のポイントが現在地で、140年前はこの目の前に水田があった。
同じ角度で水田のあった場所を撮った写真。
同じ角度で水田のあった場所を撮った写真。

なお、この場所に水田があったのは、近くの谷筋(現在の靖国通り)に紅葉川が流れていた影響もあるだろう。「東京時層地図」では、その紅葉川の流路も確認することができる。地図を見て、現地を見て……の繰り返しの中で、疑問も興味も発見も次々と生まれるのが古地図片手の散歩の醍醐味だが、それをスマホで味わえるのが本当に楽しいのだ!

最初に文明開化期(約140年前)の地図を見たときは分からなかったが、荒木町南側から中心部へと続く車力門通りも当時からあった道だった。
最初に文明開化期(約140年前)の地図を見たときは分からなかったが、荒木町南側から中心部へと続く車力門通りも当時からあった道だった。
車力門通りの名前の由来は、松平摂津守の上屋敷があった頃、物資が荷車で運び込まれた道だったことから。入り口のゲートの上には車力のオブジェが。
車力門通りの名前の由来は、松平摂津守の上屋敷があった頃、物資が荷車で運び込まれた道だったことから。入り口のゲートの上には車力のオブジェが。

石畳の路地の整備時期も「東京時層地図」で分かる

そして現在の荒木町の路地には、大正から昭和中期にかけてにぎわった花街の形跡も残っている。そうした道がいつごろ整備されたのかも「東京時層地図」を見ると分かったりする。

花街の歴史を感じる石畳の路地。「明治のおわり」(約110年前)の地図でも、その存在が確認できた。
花街の歴史を感じる石畳の路地。「明治のおわり」(約110年前)の地図でも、その存在が確認できた。
この細い路地も明治期からあったもの。
この細い路地も明治期からあったもの。
荒木町の風情がよく表れた、旧料亭『千葉』の前の坂道。この道も明治期には存在していた。
荒木町の風情がよく表れた、旧料亭『千葉』の前の坂道。この道も明治期には存在していた。
外苑東通りへと抜けるこの道は、昭和戦前期(約90年前)の地図にもなく、写真の高度成長前夜(約65年前)の地図ではじめて登場。花街の風情を感じる石畳の道でも、整備時期はそれぞれ違ったりするのだ。
外苑東通りへと抜けるこの道は、昭和戦前期(約90年前)の地図にもなく、写真の高度成長前夜(約65年前)の地図ではじめて登場。花街の風情を感じる石畳の道でも、整備時期はそれぞれ違ったりするのだ。
新宿区立荒木公園の看板には歌川国輝「四ツ谷伝馬町新開遊覧写真図」がプリントされており、明治初期の「お江戸の箱根」と呼ばれた街の雰囲気が分かった。なおこの写真図は近隣の新宿歴史博物館が所蔵している。
新宿区立荒木公園の看板には歌川国輝「四ツ谷伝馬町新開遊覧写真図」がプリントされており、明治初期の「お江戸の箱根」と呼ばれた街の雰囲気が分かった。なおこの写真図は近隣の新宿歴史博物館が所蔵している。

ちなみに『もっともっと荒木町』(新・荒木町を発見する会)という冊子によると、もともと池だった地域の一部は、かつての池辺の住民からは「池の中」と呼ばれていたという。現在では、その呼称を使う人も知っている人も少数になったそうだ。そうやって地域でも忘れられつつある歴史に触れられるのも、「東京時層地図」を使った散歩のおもしろさだ。

荒木町の東側の通称「モンパルナスの坂」の下からの景色。自分が立つ場所が「池の中」だったと思うと面白くなってくる。
荒木町の東側の通称「モンパルナスの坂」の下からの景色。自分が立つ場所が「池の中」だったと思うと面白くなってくる。

このような「東京時層地図」を使った歴史散策は、23区内のほかの街でももちろん可能。自分の家や会社の周辺が、明治時代からどんな変遷を経て今の状態になったのかを調べるだけでも面白いはずだ。

取材・文・撮影=古澤誠一郎