渋谷を見守り続けた「金王八幡宮」

六本木通りから一本入ると大きな鳥居が。
六本木通りから一本入ると大きな鳥居が。

再開発によって、日進月歩でその姿を変える渋谷。流行を発信する街として若者が集い24時間365日賑わいを見せています。

そんな、渋谷の喧騒からやや離れた場所に鎮座する「金王八幡宮」という神社。

八幡宮の名から分かる通り、御祭神は応神天皇。元は武運の神様で勝利祈願にご利益があるとされてきました。

さらに、こちらの神社では、交通安全・子授け・出世のご利益もあるとのこと。

金王八幡宮がこの地に創建されたのは1092年(寛治6年)なので、渋谷がまだ農地と草っぱらだったような時代から900年以上にわたってこの地を見守っているのです。

歴史深い社殿と現代的なビルのコントラストが渋谷らしい。
歴史深い社殿と現代的なビルのコントラストが渋谷らしい。

境内の見所はまず社殿。徳川二代将軍の時代、ドラマ『大奥』でも描かれた春日局らによって造営されたもの。権現造という江戸初期の建築様式を今に伝え、都内でも貴重な建物のひとつに数えられます。

春には、渋谷区の天然記念物にも指定される金王桜も見逃せません。

一つの枝に八重の花と一重の花が一緒に咲くという珍しい桜です。

宝物館に展示される神輿が必見

入場無料の宝物館で見学可能。
入場無料の宝物館で見学可能。

そんな境内の一角にある宝物館。そこに所蔵されているのが、今回のお目当「都内最古のお神輿」です。

縦横がそれぞれ約1.2m、高さが2mほどで、それほど大きくはないサイズ。しかし重さは100貫で約375キロもある重厚なお神輿です。

お神輿には、屋根の下部の中央がくり抜かれたように湾曲する「唐破風型(からはふがた)」と、下部が直線的な「延屋根型(のべやねがた)」があります。

こちらは延屋根タイプで、すっきりとしたフォルムが江戸っ子の粋を表現します。

また、頂部には伝説の鳥である鳳凰を配しており気品もたっぷり!

鳳凰は、「おめでたいことの前兆として現れる鳥」と考えられており、お神輿が活躍するお祭りには最適です。

鳥居下の台座にも巴紋が見える。
鳥居下の台座にも巴紋が見える。

さらに四辺には鳥居が配され、四隅には細やかな彫刻で獅子があしらわれるなど、高い技術で作られたことが伝わってきます。

屋根や台座には、大分県にある宇佐神宮(=八幡宮の総本宮)の御紋である渦巻きの「左三つ巴紋」が。

しかしこれが、金王八幡神社の巴紋ではないことを物語る、面白いエピソードが残っているのです。

前代未聞!?「担ぎ逃げ」されたお神輿

細部まで技術の高い意匠で飾られている。
細部まで技術の高い意匠で飾られている。

時は江戸時代のはじめごろ、金王八幡宮の氏子たちが鎌倉の八幡宮(おそらく鶴岡八幡宮と思われる)の祭りにお参りに行きました。そこで、参道を賑やかに進む神輿を見かけました。その神輿の、美しいこと、そしてカッコいいこと!

威勢のいい男たちの掛け声とともに、担がれていく神輿の勇ましさと煌びやかさに、氏子たちは興奮し一緒になって担ぎはじめました。

そしてなんと、祭りのドサクサにまぎれ鎌倉から渋谷まで担ぎ逃げた(そんな言葉あるのか!?)のです!

つまり、この東京サイコお神輿は「鎌倉からパクってきたもの」だったのです。

もちろん追っ手もいたようですが、神輿を担いだ氏子たちは、鎌倉から渋谷まで途方も無い距離を担ぎ逃げました。
やがて目黒のあたりで日没が訪れ、暗闇に紛れて追っ手を振り切り渋谷まで戻ってきたのです。

説明書きに驚きのエピソード。
説明書きに驚きのエピソード。

現在、中目黒駅の北側に「目切坂」という名前の坂があります。

これは、鎌倉の追っ手がたちが神輿を見失った場所だったから、このような名前がついたとも言われています。

都内で一番古いだけでなく、数奇な運命を辿ってきたお神輿、その歴史に思いを馳せながら眺めてみると、ひと味違った深みと味わいがきっと得られることでしょう。

渋谷には、この他にも「たらこバスタ」の最古(発祥)であるレストラン『壁の穴』などもあって最古も楽しめますし、美しい観音菩薩像が祀られる『東江寺』など古い寺社もあります。

最新を発信し続ける渋谷という街で、最古や寺社仏閣を巡ってみるのも一興ではないでしょうか。

写真・文=Mr.tsubaking