怪無池と青龍神社
葛飾区高砂6丁目。昔このあたりが干ばつに襲われた時、もともとあった池のほとりに小さな神社を建て、雨乞いの神事を行なったのが、怪無池の始まりでした。
雨乞いが行われた池は「怪無池」と書いて「けなしいけ」と読み、そのほとりにある青龍神社では、群馬県の神社・榛名神社から分霊した水神を祀っています。
1981(昭和56)年には青龍神社が全焼する火事が発生。しかしその際、桐の箱に入った蛇(青龍という説も)の掛け軸だけは無傷で残っていました。
ほかにも「怪無池には神の使いである白蛇が棲んでいる」という話があったり、「池の一部を埋め立てる工事をしようとしたら雨が降り続き、お祓いをしたらぴたりと雨が止んだ」という話があったりと、不思議な伝説や言い伝えが時代を超えて現代まで語り継がれています。
フィールドワーク①怪無池を訪ねて
京成電鉄京成高砂駅から怪無池までは歩いて約10分ほど。
京成高砂駅の北口をスタート地点として、さっそく怪無池に向かってみましょう。
線路沿いを青砥駅方面に歩いて行きます。
雨乞いについてぼんやりとしたイメージしかないのですが、雨乞いとは具体的に何をするのでしょうか。
道中で調べたところ、雨乞いはだいたい5種類ほどの形態に分類されるそう。
①山の頂で火を焚く
②踊りを奉納し雨乞いとする
③禁忌をあえて犯し、神を怒らせることで雨を降らせる
④参籠(一定の期間神社に籠って祈りを捧げること)して雨を乞う
⑤神聖な場所にある神水をもらって田畑に撒く
ひと口に雨乞いと言っても様々な形があるということを初めて知って、少し驚きました。
10分ほど歩いたら、怪無池に到着です!
取材時の11月は水草が水面をほとんど覆っており、この池に住むとされる「神の使いの白蛇」を探すことは叶わず……。
周辺には都内であることを忘れるような静けさが漂っていました。
怪無池はもともと、近くの中川が決壊した時にできた池だと言われています。
名前の由来は、怪我をする人がいないことを表す「怪我無し池」が縮んだという説や、この地域に住んでいた少女が陰毛が生えてこないことに悩んで身投げしたことから「毛無し池」と呼ばれ怪無池になったという、なんだかめちゃくちゃな説など、いくつかあるようです。
現在も続いているかは不明ですが、怪無池では毎年必ず群馬県の榛名神社から神水を運び、池に注いでいたそう。
池を汚したり、釣りをしたり、埋め立てようとすると悪いことが起こるらしく、看板にも釣りをしないようにと注意する文言がありました。
最初にご紹介した怪無池の「池の一部を埋め立てる工事をしようとしたら雨が降り続き、お祓いをしたらぴたりと雨が止んだ」という不思議な話は、1926(大正15)年に池の端に水道管を通すための埋め立て工事の最中に起こった出来事だったようです。
フィールドワーク②水神を祀る青龍神社
怪無池のほとりに佇むのが、榛名神社から分霊された水神を祀っている青龍神社です。
創建年代は不明とされ、1981(昭和56)年の火事で社が全焼したため、建物の古さから年代を想定することもできません。
青龍神社の本山にあたる群馬県高崎市の榛名神社は、上毛三山のひとつである榛名山そのものを御神体とする神社です。
用明天皇元(586)年に創建されたと伝えられ、複数の国指定重要文化財を持つ、歴史の長い神社として知られています。
榛名神社では火の神・カグツチと土の神・ハニヤスを主祭神としていますが、相殿神として複数の水神も祀られているようです。その中には、水神であり、蛇神でもあり、雷神としても知られている大物主神(おおものぬしのかみ)という神の名前も見られます。
お供えのお菓子や飲み物がたくさんありました。
綺麗に手入れされている様子から、青龍神社への地元の人の厚い信仰を感じます。
調査を終えて
青龍神社が全焼した火事の際、無傷で残ったといわれる掛け軸の行方を調べてみたところ、同じ葛飾区内にある日枝神社に保管されているらしいという情報がありました。
その掛け軸には墨絵で蛇(あるいは青龍)が描かれていて、毎晩鳴き声が聞こえてくると言い伝えられています。
青龍神社の掛け軸の所在も、鳴き声の噂も、真偽の程は定かではありません。
でも、どうしてそれに宿った何かが泣いているのか、その理由が何なのか。
寂しいのか、悲しいのか、あるいは怒りか。
青龍神社から怪無池を眺め、何者かの鳴き声の理由に想いを馳せる。
不思議と心が穏やかになる、そんなひとときを過ごしました。
参考:葛飾区区史 https://www.city.katsushika.lg.jp/history/child/3-5-142.html
取材・文・撮影=望月柚花