非日常感が心地いい、スタイリッシュなラーメン&バー
昼夜を問わず多くの人々が行き交う川崎駅周辺。飲食店が軒を連ねる仲見世通りをはじめとした商店街や複合施設などが充実しており、暮らしに必要なあれこれは、ほぼ駅の近くで事足りる。
JR川崎駅の中央東口から川崎駅前大通りに沿って10分ほど進むと、商店街のにぎわいは鳴りを潜め、脇道に入った途端ディープな街の香りが……と同時に見えてきたのが、ラーメン&バー『まがり鶏』だ。
昔ながらのラーメン屋とは一線を画す外観は、おしゃれなカフェそのもの。看板に描かれたラーメンのイラストだけが、ここがラーメン屋であることを主張している。恐る恐る白い扉を開けてみると、店内もまたラーメンのラの字もないスタイリッシュな空間。
入り口から見て手前にはゆったりとしたテーブル席が、奥には小さめのテーブル席とカウンター席がある。テーブルも椅子も装飾も、いわゆるラーメン屋のイメージと結び付かない。
「ラーメン屋っぽくないものをつくりたかったんですよね」と語るのは、店長の前田裕さん。2020年11月にオープンした『まがり鶏』の物件は、以前はスナックだったのだそう。言われてみれば、スナックの面影が見え隠れしているようにも思えてくる。
「非日常的な感じを意識して、奥さんと2人で組み立てました。ラーメン屋だと思って来た人にはびっくりされちゃうかもしれないですけど、女性のお客さんが1人で来てくれることも多いんですよ」。
日々の積み重ねによって磨き上げられた珠玉の一杯を
『まがり鶏』では、鶏ベースのスープと和風スープを合わせた淡麗ラーメンが味わえる。今回は、同店イチオシの特製醬油そば1250円を注文。醬油そば1000円に味玉と鶏&豚チャーシューを追加したメニューだ。
オーダーが入ると、スープづくりに取り掛かる前田さん。ブランド鶏・京紅地鶏のスープと、アサリ、シジミ、煮干し、昆布などの和風のスープを別々で炊き、提供する直前に合わせる。
「日本人だから出汁感を大切にしたくて、出汁にはこだわって作っています。鶏やアサリなどの素材は、同じ量を使っていても、気温や湿度、個体差によって味が変わっちゃう。なので、毎日ちょっとずつバランスを変えているんです。いちばんのこだわりは、このバランスですね」。
スープと並行して、麺、トッピング、かえしを用意。国産鶏肉と那須高原豚のチャーシューは、両面をバーナーで炙っていく。かえしは大量の乾物を使った醬油ダレ。こちらも器に注いでからバーナーで炙る。温めておくことで、スープになじみやすくなるという。また味玉をお湯ではなくスープに入れて炊くのも見逃せない。
前田さんが注文を受けてからラーメンをつくり始めるのは「アツアツで食べてほしい」から。そして、たとえ提供するまでに時間がかかったとしても「手を抜かず、丁寧につくりたい」からだ。
「ラーメン=クイックっていうイメージはあると思うんですけど、ぼくのラーメンはクイックじゃないです。たとえばチャーシューだって、焼かないで乗せればいいのかもしれない。でもそれだと冷たいし、スープの温度も下がっちゃいますからね」。
スープ、麺、具材が合流して完成した特製醬油そばには、前田さんの料理人としての誇りが宿っている。これは何としてでもアツアツの状態で食べたい!
まずはスープを口へ運ぶと、京紅地鶏、貝、煮干し、昆布などの旨味や醤油ダレの香ばしさが見事に調和した上品な味わい。あっさりとした淡麗系らしい口当たりとともに、鶏スープと和風スープ、かえしが織り成す奥行きがしっかり感じられる。
このスープが、三河屋製麵の全粒粉入りストレート細麺にほどよく絡む。小麦の豊かな風味と歯切れの良さが印象的だ。赤タマネギ、九条ネギ、水菜のそれぞれ異なるシャキシャキ感も、いいアクセントになっている。
トッピングのチャーシューは、鶏胸肉と豚ロース、豚肩ロースの3種類。いずれも甲乙つけがたい一品だが、とくに鶏チャーシューのしっとり食感と香ばしい風味には驚かされた。前田さんによると「鶏肉をマリネしてから低温調理することによって、パサつかず、香ばしさや旨味も出る」のだとか。半熟の味玉はトロトロ&濃厚で、スープとの一体感がたまらない。
特製醬油そばに夢中になりすぎて、思わずスープまで飲み干しそうになる。が、和え玉300円を注文したのなら、スープは温存しておきたいところ。この和え玉は、麺に京紅地鶏の鶏油(チーユ)と、かえし、粉末の煮干しを和えたもの。油そばとしてそのまま食べるのもありだが、残しておいたスープに投入すると、鶏と煮干しの風味がより華やかに!
「もともとスープのベースに煮干しを結構使っているから合うんでしょうね。できれば和え玉まで辿り着いてもらって、スープに入れてもらって、味の変化を楽しんでもらう。その一連の流れをイメージしてつくりました」。
ちなみに、もしお腹に余裕があれば、鶏飯350円も注文してみてほしい。鶏チャーシューと赤タマネギ、九条ネギをタイ米(ジャスミンライス)に盛り付けたご飯物だ。岩塩やニンニク、ショウガを加えた鶏スープで炊いたタイ米は、チャーシューとの相性抜群。さらにナンプラーやニンニク、唐辛子などを使用した、鶏飯専用のタレが食欲を刺激する。
「最初は白米でやっていたんですけど、面白くなくて。だったらもう、ほかとはまったく違うご飯をつくっちゃえばいいかな、と。そもそもラーメン屋でタイ米を出しているところ、なかなかないですよね」。そう語る前田さんは、してやったりの表情だ。
焼き鳥歴20年以上、ラーメン歴ゼロからのスタート
前田さんが『まがり鶏』をオープンして3年。すでに多くのラーメン通から高く評価されているが、実は前田さん、同店を始めるまでラーメン屋の経験はなかったというから驚きだ。自身が納得できるラーメンに仕上がったのは、つい最近のことなのだとか。
「もちろん常にベストを尽くしているんですけど、日々味を変えて、修正することに躍起になっていたというか。いまは、その修正が追いついたところですかね。お客さんが求めている味に近しいもの、自分の出したいものが、やっとできたかなと思います」。
ラーメン歴がゼロだったとはいえ、前田さんにはたゆまぬ探究心と、そして20年以上にわたって鶏料理を扱ってきた経験値がある。
「18歳のときから川崎の焼き鳥屋で修業していました。焼き鳥屋の修業しながらアルバイトでバーに入り、そのあとに焼き鳥バーを立ち上げたのが25歳のとき。39歳ぐらいで、焼き鳥に関しては正直やり切ったかなっていうところがあって。次は鶏を使ったラーメンをやろうと決めました」。
焼き鳥とバーとラーメン。考えてみれば、焼き鳥もラーメンもお酒との親和性が高い。だからここはラーメン&バーなのか。
昼と夜の食事どきを過ぎると『まがり鶏』は飲んでしゃべって、ラーメンで締める吞兵衛たちが集う不思議な空間になるという。ラーメン&焼き鳥&バーが誕生する日は、そう遠くないかもしれない。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=上原純