『たぬきや』に教えられた酒場の深淵

――と、この書き出しで何度原稿を書いてきたことだろう。そこにあったのは『たぬきや』という店。簡素な平屋建てで、ジャンルでいうと「川茶屋」ということになるんだろうか。近隣の人々がジョギングや散歩の途中に立ち寄る憩いの場。でありながら、実は酒もつまみも種類豊富で、安くてうまい。飲み屋としても相当なクオリティーを誇ることから、一部の酒飲みからは、名酒場としても人気があった。

僕がここを初めて訪れたのは、2012年の8月26日。前々から飲み友達の間で「『たぬきや』って店がすごいらしい」という噂はあって、それが積み重なり、いよいよ行ってみないとおさまらない! となったタイミングで、有給をとって昼間から友達と行ってみることにした。

ついに念願の訪問をはたした『たぬきや』の良さは、想像をはるかに超えていた。広々とした店内の窓はすべて開け放たれ、川からの心地よい風が店内を吹き抜ける。店をおひとりで切り盛りする女将さんが作る料理は、いわゆる「海の家のラーメン」的な良さではなくて、どれもしみじみうまい。煮込み、焼き鳥、カレー、焼きそば、おでん、気になるものを頼みまくっていちいち感動した。酒も、ビールとカップ酒くらいがある、みたいな感じじゃなくて、各種サワーに、ホッピーまである。健康に良さそうな(あくまで気分的に)トマトサワーが絶品で、何度もおかわりをした。残念ながら後に亡くなってしまった看板猫のミーちゃんは、初めての客が来ると必ず席まで挨拶に来てくれるのだそうで、僕たちのいた小上がりの座敷席にもやってきてくれた。

目の前を流れる多摩川と、その上の高い空を眺めながら生ビール。少し気分を変えたくなって、女将さんに断り、店の前のテラス席に移動する。近くの橋脚を通り過ぎる電車を、目の前を通りぎる人々を、落ちる夕日を、眺めながら飲んでいたら、あまりにも気持ちが良くて、日が暮れるまでずっと飲み続けた。いつしか、目の前の多摩川が「三途の川」に見えてくる。酔いも手伝って、こんなに素晴らしい場所で酒を飲んでいることが現実とは思えなくなってくる。僕は死んだのだろうか? そんな経験を通して、この世には「天国酒場」と呼ぶべきジャンルの酒場があると気づかせてくれた店でもある。

とにかく、やっと渋い大衆酒場の味わいに触れるようになり、いい気になって「老舗酒場が好きで」なんて言いはじめていた僕に、「酒場の深さはそんなもんじゃない」と、多大なる衝撃を与えてくれたのが『たぬきや』だった。

いつまでもあると思っていた天国

それから何度となく通った。今、自分の撮りためた写真を見返してみたら、『たぬきや』のものだけで1000枚以上ある。季節や天候と一体となって魅力を発揮する店だから、行くたびに感動がある。ここで飲んでいて、「いや~前に来た時さ、最初は晴れてたのに急に大雨が降ってきて……」なんて思い出話を語る飲み友達は、一様に心底楽しそうな顔をしていた。

かつて河原には、他にも何軒も同じような店が並んでいたそうだ。悲しいけれども時代の流れだろう。最後にぽつんと1軒残り、80年以上の歴史を重ねてきた『たぬきや』も、2018年の11月に閉店してしまった。理由のひとつには、近年の異常気象による台風や洪水被害の深刻化もあったそうだ。事実、翌2019年、『たぬきや』のあった場所は、超大型の台風19号の影響により増水した濁流のなかにあった。長年ここで商売を続けてきた女将さんだからこそ、自然の危機を肌で感じていたのかもしれない。

閉店間際の『たぬきや』は、別れを惜しむファンたちによって連日大混雑だった。よりいっそう余裕のなさそうな女将さんに申し訳ないと思いつつ、僕も11月に一度足を運んだ。「正真正銘、これが最後の『たぬきや』だ……」そう思いながら、店内のすみからすみまでを目に焼きつけた。

あらためて「ごちそうさまでした」

ところが、お酒の神様がくれたボーナスとしか思えない連絡をもらったのは数日後。今まさにこの原稿を書かせてもらっている、「散歩の達人」編集部からだった。編集部のみなさんと『たぬきや』の関係を、噂には聞いていた。長年定期的にここで飲み会をしたり、イベントを企画したりもして、女将さんとも仲がいいらしいと。そんな繋がりから、なんと閉店数日後の『たぬきや』で、女将さんも参加しての、お別れの会が開かれるらしい。なんとそこに、僕も声をかけていただいたというわけだ。これよりも優先される用事なんて、人生にあるだろうか?

そして迎えた当日。基本的に持ち込みの宴会で、各自が買ってきた酒やつまみをテラス席に広げ、ワイワイと飲む。ただ、女将さん特製のおでんだけは用意されていて、もう二度と味わえないと思っていたその味には本当に感動した。

閉店前に訪れた時、女将さんはあまりにも忙しそうで、帰り際に叫んだ「ごちそうさまでした。ありがとうございました!」の言葉が届いたかどうかもわからないくらいだった。ところがこの日は、久しぶりにゆっくりとお話をすることができた。厚顔無恥なことに、僕は数年前、頼まれもせずに趣味で描いた『たぬきや』の絵をお店に持っていったたことがあり、以来、それはずっと店の壁に飾られていた。そのことをきちんと覚えてくれていて、「ごめんね。あの絵ね、最後になんでも持っていっていいって言ったら、常連さんが持って帰っちゃったの」と、わざわざ伝えてくれた。もしも欲しいという人が持ち帰ってくれたならぜんぜんそれでいい。それよりうれしいのは、女将さんとまたそんな会話ができたこと。そして同様に、女将さんは僕にも「なんでも持ってってね」と言ってくれたものだから、図々しくも、いつ行っても入り口で出迎えてくれた「いらっしゃいませ」と筆文字が彫られた竹製の札を、ありがたく譲り受けてしまった。

その日は家族連れだから、あまり長居をするつもりはなかった。宴もたけなわだが、そろそろ帰ることにしよう。宴会はテラス席がメインで、店の中はがらんどう。本当の本当に、最後の最後に、その空気をしみじみと噛み締めながら、もう一杯だけビールを飲んだ。

写真・文=パリッコ

この店を知るまで、僕はあまり渋谷が好きではなかった。飲める年齢になってからずーっと酒好きで、居心地のいい飲み屋がある街こそが自分の居場所のように感じていた。だから、常に若者文化の最先端であるような、そしてそれを求めてアッパーなティーンたちが集まってくるようなイメージの渋谷という街に、自分の居場所はないと思いこんでいた。
大塚は僕の大好きな街のひとつだ。駅ビルは近年再開発されてとても立派なものになったけど、取り巻く周囲の町並みには、昔ながらの猥雑な空気感が色濃く残っている。JRの線路と交差するように路面電車が走り、チンチーン! というのどかな音を響かせる。どこか垢抜けない、だからこそたまらなく居心地がいい街。ちなみに界隈の酒飲みは、名店『串駒』『江戸一』『きたやま』『こなから』を称して、大塚の酒場四天王と呼ぶらしい。飲み屋の四天王が存在する街、僕が好きじゃない理由があるはずもない。
大衆酒場とは、我々庶民が懐具合をあまり気にせず、気楽に酒を飲んで楽しめる店のことをいう。しかしながら、長い歴史のある酒場文化。創業から時を重ねれば重ねるほど、店に威厳や風格が出てしまうことは必然のことだろう。いわゆる老舗、名酒場と呼ばれる店に敷居の高さを感じ、その戸を開けることを躊躇してしまう酒飲みの方は、意外と多いのではないだろうか?ただ、考えてみてほしい。酒場の歴史が長く続いているということは、単純に、それだけ客が途切れずに店の存在を守り続けてきたということ。つまり、「いい店」であるということだ。そこでこの連載では、各地の名店と呼ばれる酒場を訪問し、大将や女将さんに、その店を、酒場を、楽しむコツを聞いていきたい。