ぎょうだいさま
越谷市の郷土歴史研究会による「越谷七不思議」のひとつにも選ばれ、日光街道沿いに佇んでいるのが「ぎょうだいさま」です。
この地域の住民の間では、交通安全のご利益がある神様として言い伝えられています。
ぎょうだいさまがこの地に祀られたのは江戸時代の1757(宝暦7)年のこと。
日光街道の大きな修理の際、完成を記念してこの地域の人々が建てたとされています。
ぎょうだいさまには日光街道を行く旅人の道中安全を願い、わらじを供えて祈るのが慣習となっているそうです。
フィールドワーク①蒲生駅からかつての日光街道へ
ぎょうだいさまを探して、まずは東武鉄道伊勢崎線・蒲生駅の東口からスタートします。
駅前の商店街を抜け、蒲生駅入り口の交差点を草加駅方面へ向かいましょう。
蒲生本町の信号のところで旧日光街道、現在の蒲生茶屋通りに入ります。
かつてこの街道沿いには茶屋が軒を連ね、多くの旅人でにぎわっていました。
江戸時代には草加松原の松並木北端から蒲生までの街道が茶屋通りと呼ばれ、草加側を「出茶屋」、蒲生側を「下茶屋」と呼び分けていたそうです。
フィールドワーク②ぎょうだいさまについて
旧日光街道に入りました。
この道を進むとぎょうだいさまが見えてきます。
ぼんやり歩いていたら思ったよりも早くぎょうだいさまが見えました。
解説のパネルも何もなくひっそりとした佇まいなので、知らないと通り過ぎてしまいそう……。
背後にある建物はテレビ番組や舞台の小道具を作る会社の倉庫だそうです。
ぎょうだいさまは交通の神様、特に足の神として知られ、旅の途中で足を痛めないようにわらじを供えたといいます。
そして以前は祠に入っていなかったようで、直接全体を拝むことができたそう。実際に全体像を見たかったので残念です。
ぎょうだいさまの下部には「砂利道供養」という字が刻まれているようですが、これは日光街道大修理の際に砂利が敷かれたことからきています。
ぎょうだいさまの、鳥のような河童のような、この姿は一体何なのか。
それについては諸説ありますが、今回はそのうちのひとつをご紹介します。
ぎょうだいさまは漢字で書くと「行台様」で、これは行者や山伏などの修験道・山岳修行をする人のことを指します。
宝暦7年の豪雨で川が決壊した際、日光街道は大きな被害を受けました。
冒頭のぎょうだいさまの説明で少し触れた日光街道の大きな修理は、この水害が原因となっていたのです。
街道の修復の際に指揮を取った者が行者であったことから、修復完了時に建てたぎょうだいさまに「行台様」と名付けた、というのが由来のひとつとされています。
調査を終えて
ここからは個人的な考察を少しだけ。
行者や山伏の修験道とは、山岳信仰に仏教や道教が混ざりながら成立した日本独自の宗教・信仰とされています。
この修験道と切っても切り離せないのが、山の神とされている天狗の存在です。
鋭い眼、くちばしのような鼻、そして「行台様」という名前。
そういった複数の特徴から考えると、ぎょうだいさまはもしかしたら「鴉天狗」をモチーフとして創られたものなのではないかと思うのです。
しかしこの仮説に確証はなく、さまざまな資料をあたってみましたが、推測の域を出ることはできませんでした。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかり。
真実はぎょうだいさま以外に知るよしもないのでした。
取材・文・撮影=望月柚花