立石様

立石様は東京都葛飾区立石・立石児童遊園の敷地内にある祠の中心に鎮座している石で、2014年(平成26)年3月25日に東京都指定史跡に指定された史跡として知られています。

冒頭で挙げた「江戸名所図会」に描かれるよりも前からこの地に佇み、この地の住民の信仰の対象だった立石様は、かつては60㎝以上の高さがあったと言われています。

しかし現在、全体のほとんどは地中に埋まっており、埋没している部分も含めた正確な大きさなどはわかっていません。

「立石様に触れると祟られる」といった噂や「立石様を掘り起こそうとすると祟られる」という噂から、1811(文化8)年に「立石稲荷大明神」として正式に祀られるようになり、1815(文化12)年には鳥居が建てられています。

フィールドワーク①立石様と葛飾区立石

京成本線 青砥駅から立石様のある立石児童遊園まで歩いて行ってみることにします。

京成押上線の通る高架上の線路をたどり、京成立石駅方面へ。葛飾区立石6丁目あたりで中川方面に方向転換し、葛飾区税務署のある方へと向かいましょう。

ここで立石様にまつわる伝説や噂をいくつか。

立石様は江戸時代には名所として様々な本に登場していますが、前述の「触ると祟られる」といった噂や、「石の根を掘ったことで災いが起きた」という祟り系の伝説も生まれています。

また、事前の情報によると「立石様の根は青砥駅まである」といったものや「中川が蛇行しているのは立石様を避けているため」などという、かなり規模の大きな噂も見られました。

他には「立石様は寒さに弱く、冬になると小さく縮み、暖かくなると元の大きさに戻る」という、なんだか生き物じみた伝説もあるそうようです。

葛飾税務署入口の交差点まで来たら横の道に逸れ、中川のすぐ近くにある立石児童遊園へ向かいます。

フィールドワーク②立石稲荷大明神

立石様のあるこの立石8丁目あたりにはかつて古墳があったとされ、石質の調査により、立石様は周辺にあった古墳の石と同じ千葉・鋸南付近から切り出され、人為的に持ち込まれ房州石(凝灰岩)であることが判明しています。

古墳の石材として存在した後、立石様は奈良・平安時代に道標として転用されていたとも考えられていますが、古墳の石材の一部だった頃からどのように信仰の対象になっていったのか、その歴史と確かな用途は未だ解っていません。

少し歩くと公園らしきものが見えてきました。

こちらが立石様のある立石児童遊園です。

鳥居の奥の囲いの中が「立石様」。
鳥居の奥の囲いの中が「立石様」。

立石大明神の鳥居があるのを確認。

実際に見た立石様はほんの少し地表に出ている程度でしたが、まるで生き物のような妙な気配を持って力強くそこにありました。

立石様の欠片が病気に効くという噂や、戦時中に弾避けのお守りとして持ち去る人が現れ、さらに地震で地盤沈下などが起こったことで、現在の立石様はこのくらいの高さしかないそうです。

事前に色々な祟りの噂を調べすぎていたことが影響しているのは間違いないのですが、実際に立石様を前にしたらその不思議な気配と迫力にやや怯んでしまい、間近で写真を撮ることはできませんでした。

調査を終えて

立石様は明治時代以降にも何度か全体を発掘しようとする話が持ち上がったようですが、祟りを恐れる周辺住民の反対があり、現在もなお完全な発掘には至っていません。

この令和の時代に非科学的な祟りを恐れる気持ちを理解できずにいたのですが、実際に訪れるとなんとなくわかるような気持ちがしました。

立石様のこの不思議な空気感、実際に訪れていただけるときっとわかると思います。

【参考文献】

「葛飾区史跡散歩(東京史跡ガイド22)」入本英太郎 / 橋本直子

「葛飾区史-The History of Katsushika City」葛飾区総務部総務課

 

取材・文・撮影=望月柚花