お女郎地蔵・火の玉不動

さいたま新都心駅からほど近く、旧中山道沿いにぽつんとあるのが「お女郎地蔵・火の玉不動」です。

このお女郎地蔵には、大宮宿の千鳥と都鳥という女郎姉妹の悲恋物語が伝わっています。

互い以外に身寄りのなかった千鳥と都鳥の姉妹は、とても美しいと大宮宿では評判の女郎でした。

姉の千鳥は宿の材木屋の若旦那と恋仲となり、二人はいつか夫婦になろうと約束します。

しかしそこに割って入った男がいました。神道徳次郎という盗賊です。

神道徳次郎は何が何でも千鳥を身請けすると言い張り、千鳥がそれを拒むと宿に火をつけると脅します。

そんなやりとりが続いたある日、疲弊した千鳥はついに耐えかね、高台橋から身を投げてしまいました。

以来、そのあたりには人魂が飛ぶようになったため、彼女の魂を慰めるためにお女郎地蔵が建てられました。

 

もうひとつの石塔「火の玉不動」は、近くにあったとされる下原処刑場の無縁仏の供養塔と言われています。

火の玉不動の名前の由来は、このあたりに飛ぶ人魂の正体を突き詰めようとしたある男が人魂を切りつけたところ、うっかり不動明王を切ってしまったことから名付けられたと言われています。

フィールドワーク①言い伝えの舞台となる高台橋へ

JRさいたま新都心駅に到着したら、高台橋を探しに行きましょう。

現在の高台橋は全体のほとんどをコンクリートで覆われているため、全貌を見渡せる唯一の場所はJRさいたま新都心駅の1番線のホームのみとなっています。

改札を出る前に高台橋の全貌を見るために1番線のホームに行ってみることにしました。

 

木々に阻まれてわかりづらいですが、よく見ると煉瓦造りの橋のようなものがあります。こちらが高台橋です。

橋の下を流れるのは灌漑農業用水として利用されている高沼用水で、現在は暗渠になっています。

高台橋の建設年は不明ですが、埼玉県議会の建設予算に記録が見られることから、1889(明治22)年ごろに建設されたという一説もあるそう。

旧中山道から見た高台橋はすっかり普通の道となっていて、橋の面影すら感じることができません。

ちなみに埼玉県に現存する煉瓦造りのアーチ橋は2基のみとされ、ひとつがこの高台橋、もうひとつが埼玉県大里郡岡部町にある通称・岡の煉瓦橋(正式名称不明)だそう。どちらも旧中山道に架けられています。

フィールドワーク②お女郎地蔵と火の玉不動を訪れる

次はお女郎地蔵と火の玉不動へ行ってみましょう。

道のりは簡単で、JRさいたま新都心駅の東口からエスカレーターで1階に降り、旧中山道を北浦和方面に歩いて行くとすぐにその姿が見えてきます。

お女郎地蔵と火の玉不動は、事前に調べていた通り旧中山道の傍にぽつんと佇んでいました。

駅前を通る旧中山道は車通りの多い立派な道路で、道沿いにはコンビニや大きな商業施設があります。

そんな「今」の風景の中に、この場所だけが昔の空気をまとっている。なんだか不思議な感じがしました。

お女郎地蔵と火の玉不動の裏側には、高沼用水と高台橋についての解説パネルが掲げてあります。

表には、お女郎地蔵と火の玉不動の説明と伝承についてが記されていました。左が火の玉不動、右がお女郎地蔵だそう。

木製の説明パネルには、火の玉不動が1800(寛政12)年12月、お女郎地蔵が1835(天保6)年3月と、建立した時期までしっかりと書かれています。

なんとなくお女郎地蔵のほうが先に建てられたと思い込んでいたため、火の玉不動のほうが先に建立されていたことは意外でした。

 

調査を終えて

高台橋付近でよく見られたと言われる人魂。

人魂は亡くなった人の霊魂であるとされていますが、その正体については様々な意見があります。

日本の昔の埋葬形式は土葬だったため、遺体に含まれるリン(空気中だと50度で発火する)が気化して空気中でリン光を発するという説や、蛍などの光る昆虫を人魂と見間違えただけという説もあるようです。

JRさいたま新都心駅の東側一帯に処刑場があったことから、個人的には「人魂は遺体に含まれるリンが発火したもの」というのが最も有力な説であると思えますが、どうでしょうか。

でも、人魂の正体なんていつまでもわからないままでもいいなあとも思います。

正体不明のミステリアスなものというのは大変魅力的で、どうしようもなく心惹かれるからです。

高台橋の下を流れていた高沼用水の上に作られた「高沼遊歩道」を歩きながら、とりとめもなくそんなことを考えたのでした。

取材・文・撮影=望月柚花