トライアスロン

お台場海浜公園特設ポンツーン(舟橋)から飛び込み、1.5km。
カーブ多めで難易度高めな 40km。
商業施設が立ち並ぶ台場地区や海沿いを走り10km。ほかに新種目の男女ミックスリレーやパラリンピックトライアスロンも。

今回はオリンピックの新競技の取材だと伝えると、「もう20年も前から正式競技ですよ」と、日本トライアスロン連合専務理事の大塚眞一郎さんは笑った。おや失礼。競技自体の誕生は1970年代、日本には80年代に上陸した比較的新しいスポーツではある。しかし驚いたのは会場となるお台場との関係だ。我々素人は「暑い! 海の汚染は?」といらぬ心配をするが実はこの場所、1997年から毎年開催しているのだ。そもそも始まりは1997年にかの青島幸男知事が中止宣言した「世界都市博覧会」のサブイベントとして名乗りを上げたのが始まりだ。「最初の頃は8月開催。夏は海にプランクトンが大量発生するため、途中から10月開催に変更しました」と大塚さん。では今回も大変なことに? 「水中スクリーンなど対策が練られ効果が出ています」。

近年、お台場の海岸には伊豆諸島の神津島の砂が運び込まれ、砂浜を補充している。今年は3月までに神津島の漁港の工事で発生する1万㎥の砂を海底に撒く予定。

実際、お台場の海はどうなのか。日々東京湾を見つめる漁業者の意見として東京都漁連専務理事の塚本亨さんに聞くと、「下水道施設の発達などで、30 年前に比べるとずいぶん海はきれいになったと思います」。鍛え抜かれた選手たちはよほど体調が悪くない限り、大腸菌の影響はなさそうだ。もちろん事前海水検査も欠かさない。暑さ問題も「フルマラソンの約半分の消費カロリーだし、水中や風を切る自転車など、気温もフルマラソンより影響は少ない」。トライアスロンには2種類の楽しみ方がある。ひとつは1日がかりでフルマラソンまでする鉄人レースタイプ。そしてもうひとつスポーツサイエンスに基づいた約2時間にまとめたレースで、オリンピック競技は後者に当たる。また今回は男女混合リレーも新登場。「面白いですよ」と、大塚さんのお勧すすめだ。

ヘルメットなど各自の準備も日本人は几帳面とか。この切り替えも競技の面白さの一つ。2000年シドニー大会で正式競技に。

55人もの選手が一斉にお台場のビーチから街の中を駆け抜ける。マラソンの東京開催がなくなった今、チケットなしで道端から観戦できる貴重な機会でもある。「お台場は平坦なので、あえてカーブやコーナーを多くし、路面はタイルもあり、都道と国道も微妙に状況が違いますから、自転車の難易度が上がります」と大塚さん。屈強にして繊細。これは見応えたっぷりだ。

お台場
~いつもの街が、そのまま競技場の醍醐味~
江戸末期に黒船来航への危機感から築かれたお台場。今も残る2つのうち、第三台場に直結して1974年度に埋め立て地が完成。貯木場だった水域に人工砂浜や陸側の緑地などを整備して1975年に「13号地海浜公園」開設。13号地は1982年に港区、品川区、江東区の境界が決定した。商業地や住宅地の臨海副都心だ。

BMX

自転車でピョンピョン飛び跳ねる

コースは大会ごとにコースデザイナーが造る。今回は2カ月がかりで距離が450mと長めだ。

BMXレースも1970年代のアメリカ生まれだ。子供たちがオートバイのモトクロスを自転車で真似たのが始まりだとか。競技自体もコースが毎回違うのでタイムではなく、着位順で競うあたりもトライアスロンに似ている。そしてどちらも老若男女、世界中で親しまれている。

タイヤが20インチと自転車が小さいだけに、選手は全身を使って自在に取り回せる。

ところが日本でのBMXレース競技人口は愛好者を含めて数千人。その原因を全日本BMX連盟広報担当の猪俣健一さんは、「造成が大掛かりなのでコースが少ないため」と分析する。何しろ同連盟が大会を開催しているコースは全国に7カ所。それだけに有明アーバンスポーツパークへの意気込みは強い。

コース面は土とアスファルト。基礎部分は有明体操競技場建設で余った土を活用している。2008年北京大会で正式種目に採用された。
全日本BMX連盟広報担当の猪俣健一さん。元マウンテンバイク選手で、カメラマンとしても活躍中。

自転車競技自体はロードなどが古くからあるが、都心会場はBMX2競技だけだ。特にフリースタイル、パーク種目は今回新登場。「若い人に興味を持ってもらい、多くの方に魅力を伝えられたら」と猪俣さん。

高さ8mのスタート台から時速60kmで駆け下りる。観客は全コース見渡せるのが魅力だ。
有明アーバンスポーツパーク
~元気なスポーツ勢ぞろいの新天地~
明治時代以来、埋め立てが進んだ東京港の湾岸エリア。有明自体は昭和30年代にできたが、会場の一画は2006年完成までは海で貯木場だった。大会後は仮設スポーツ施設の移設やスポーツカフェ・ショップなどを設置、また近隣の大会関連施設などとの相乗効果で新たな魅力を創出する予定だ。

空手

50年目の念願の新競技は武道の聖地で

「組手」のほか「形」も見もの。複数の敵相手の護身術を組み込み、キレと迫力を兼ね備えた美しい演武だ。

ところで新競技はどのようにオリンピックに入れられるのだろう。意外なようだが、ようやく今大会から参戦する空手を眺めてみよう。

八角形の観客席から見晴らせる競技は臨場感みなぎる。空手は1面で全80名が闘う。

沖縄の格闘技「手(ティー)」だった空手は、1900年代に学校教育に取り入れられ、やがて本土で武道のひとつ空手道として発達した。
やがて世界に広まり199カ国、競技人口6000万人以上のスポーツとなった。「でもそれが災いしまして」というのは、世界空手連盟事務総長の奈藏(なぐら)稔久さん。流派が多すぎて統制が取れなくなったのだ。

世界空手連盟事務総長の奈藏稔久さん。アメリカや香港など空手普及に努めた。

やがてオリンピックを目指して働きかけが始まる。スポーツとしての安全性やルール見直し、バラバラの各流派も世界空手連盟がまとめた。それでも3回連続選考に漏れたが、今回開催国枠で5競技が追加されることになり、ロビー活動も功を奏して空手が選ばれたのだった。
会場は日本武道館。事務局長の三藤芳生さんが決定前から「世界の武道家が憧れる武道館では、前回東京大会で正式種目となった柔道と空手道」と名乗りを上げてくれたのだ。

皇居北の丸跡地1万㎡が国から無償貸与され約1年で大会開催35日前に完成。法隆寺夢殿に似た威厳に満ちた外観。
日本武道館事務局長の三藤芳生さん。正式種目決定前に空手は当館でと決心した。

奈藏さんは「不思議なご縁」としみじみ。「実は世界空手連盟が50年前に設立された時、最初に大会をしたのが日本武道館だったのです」。
現在、オリンピックに向けて武道館は改修中だ。バリアフリー化のほか、100人が一度にウォーミングアップできる中道場も新設した。
江戸城から海辺の埋め立て地まで、時空を超えてオリンピックの熱い風が吹き抜ける。数十年後にはまたこれらも「前回の会場」として振り返る日が来るのだろうか。

日本武道館
~オリンピック初の空手開催は、武道の聖地で~
日本に伝わる武道は終戦後GHQの「武道禁止令」の憂き目に。だから1964年に柔道がオリンピック正式種目に加えられて、武道の殿堂「日本武道館」建設には国の威信をかけた。敷地は徳川8代将軍吉宗が定めた御三卿の屋敷があった北の丸。隣接の田安門は江戸時代から唯一現存する建築物だ。

取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則