小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「倭」→「大和」→「日本」へ

小野先生 : 「日本」という国号は奈良時代の少し前頃に、成立したと言われています。
それ以前、3世紀の魏志倭人伝以来、中国の歴史書では「倭」(わ)と記されてきました。中国側が一方的に名付けたわけでなく、日本から来た使節団に国の名を聞いたら「ワ」と答えたのだとか。
「倭」を当てたのは中国人ですが、「へつらう」などの意味があり、実はあまりよい字とも言えません。中華思想では、周辺国は野蛮な従属国で、日本もそのひとつだったわけです。

筆者 : それは、日本側としては本意ではありませんね。

小野先生 : そこで新しい国の名を考えます。
まず「倭」を同じ読みの「和」とします。さらに自国を称える「大」をつけて「大和」とし、「やまと」と読ませました。「やまと」は現在の近畿地方の一部を指しますが、当時の政権があったため、日本全体を指すことばとして用いたわけです。

筆者 : 「大和魂」など、現代のことばにも続いていますね。

小野先生 : さらに、6世紀ごろ、聖徳太子(厩戸王)の時代に我が国の存在感を増すエピソードがうまれます。聖徳太子が中国(随)の皇帝に送った、「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」の国書です。

筆者 : 中国を日が没する国としていて、ちょっとネガティブなイメージだし、そもそも日本の天皇と中国の皇帝を「天子」と同列に扱ったところが相手の怒りを買った、という話ですね。
中国の従属国のような存在と考えられてきた日本にとっては、独立性を示すポジティブなエピソードかと。

小野先生 : はい。「日出ずる処」→「日のもと」と結びつき、8世紀の初めごろに「日本」の国号が誕生したと考えられています。

「ニッポン」「ニホン」どっちが正しい??

小野先生 : ただ、初期の「日本」をどう読んでいたか、確実な史料はありません。
おそらく、はじめは「日本→ヤマト」と読んでいたと考えられています。
有名な『日本書紀』は、いまでは「ニホンショキ」と読みますが、「日本」のところに「ヤマト」と読みをつけた本もあり、本当は「ニッポン」なのか、それとも「ニホン」なのかもわかりません。
「日」は音読みで「ジツ」「ニチ」と読みますが、中国では「日本」→「ジッポン」に近い読み方もあったという説も。これが、マルコ・ポーロの東方見聞録にある「黄金の国ジパング」や、現在の「ジャパン(Japan)」につながったものと考えられます。

筆者 : 今でも「ニホン」「ニッポン」、どちらでも読みますね。本当はどちらが正しいのでしょうか?

小野先生 : 歴史的には、「ニッポン」→「ニッフォン」→「ニホン」に変化したと考えられます。ただ、現代では法律でどちらかに決まっているわけではありませんし、言語学者でもあいまい。というより、私も含めその場に応じて両方使っています。

「日本酒」→「ニホンシュ」

「日本銀行」→「ニッポンギンコウ」

「日本語」→「ニホンゴ」「ニッポンゴ」

応援→「ニッポン チャ チャ チャ」

国の呼び名の部分がことばごとに変わるなんて、すごく珍しいことです。

筆者 : 自分たちのアイデンティティに関わることばですから、そう言われると不思議です。そもそも、「ニホン」も「ニッポン」も日本流の訓読みではなく、中国から来た音読みです。いわば、「和製英語」ならぬ「和製漢語」が国の名前になっています。
でも、昔はわざわざ「ヤマト」の漢字に、半ば無理やり「大和」の漢字を当てていたわけですよね。国号に対する、こだわりがなくなったのでしょうか?

小野先生 : というより、漢字、漢語の文化にある種のステータスが存在しているからだと思います。漢字を使って、しかも音読みすると「ちょっとかっこよくなる」といった意識です。

筆者 : わかるような気がします。
茶道の茶名、華道、文筆家、画家、書家などの雅号も、大体漢字の音読みですね。たしかに、ちょっと格が上がったように感じます。
「日本」も、古くからの「ヤマト」や「ヒノモト」ではなく、「ニッポン」「ニホン」と中国風に読むことが重要だった。そのほうが国際的でもあるし、中国の文化水準に合わせることにもなると……。

小野先生 : 「日本」という呼び名は、いっぽうでは大国である中国と対等な存在であるというプライドを示しつつ、漢字と読みは中国流を採用しています。
わが国固有の文化を尊重すると同時に、漢字に代表される中国文化をリスペクトする、私たちの感覚がよく反映されたことばです。その精神は、1400年前の聖徳太子の時代から、現代まで受け継がれていると言っていいかもしれませんね。
聖徳太子が皇帝を怒らせるような国書で中国と対等であることを示し、同時に遣隋使を送り中国から学ぼうとしたところも、そういった、微妙な気持の現れかもしれないのです。

まとめ

奈良時代に「日本」の国号が定まるまで、我が国は「倭」と呼ばれてきた。しかし、「倭」には「へつらう」という意味があり、先人は「和」と改め、「日本」の元は、聖徳太子が中国の皇帝に送った「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」という国書のエピソード。「日出る」→「日のもと」→「日本」となった。

現在、「ニッポン」「ニホン」と国号の読み方が混在し、あいまいな状態になっているのは珍しい。また、どちらも中国流の音読みで、「和製漢語」のような構造となっている。

その理由を小野先生は、「漢字、漢語文化が持つステータス」と解説。固有の文化と同時に、中国文化をリスペクトする感覚が反映されている。

取材・文=小越建典(ソルバ!)