小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「丈夫」は客観、「大丈夫」は主観

小野先生 : 「丈夫(じょうふ)」は中国のことばで、元々は「立派な男子」という意味。平安時代には日本でも、同じ意味で使われるようになりました。鎌倉時代には「大」がついて「大丈夫」に。元の意味を強調して、「きわめて立派な男子」という意味で使われていました。
その後、日本独自に意味が変化していきます。室町時代には「とてもしっかりしている」、江戸時代には「間違いがない、問題がない」となりました。
江戸後期の滑稽本『浮世床』に「あの息子もよくかせいで利口者だから身上(財産)は大丈夫だ」の例があります。
時を同じくして「丈夫」の意味も変わっています。室町時代には「壮健な様子」、江戸時代には「壊れにくい様子」を指すようになります。「丈夫で長持ちする」といった具合です。

筆者 : 「丈夫」を強調する「大丈夫」という関係が微妙に変わっているような……。

小野先生 : 微妙な使い分けが行われています。「あの人の財産は丈夫」とも、「あの家は大丈夫で長持ち」とも言いませんよね。
「丈夫」が対象の状況を客観的に示しているのに対し、「大丈夫」には人の主観的な気持ちが入っています。

筆者 : 確かに! どうしてそのように使い分けられるのでしょうか?

小野先生 : 物事の大小を判断するのは人の主観。「大丈夫」と言った時点で、客観的なことばではなくなり、少しずつ意味が分岐していったのでしょう。

角が立たない断り方!?

筆者 : 長年外国に住む日本人の知人が、日本のコンビニに来たときに次のようなやりとりを聞いて、不思議に思ったそうです。

店員「お箸はお付けしますか?」
客「大丈夫です」

このときの「大丈夫」は「箸を付けなくてよい」という意味ですよね。長く日本を離れていた彼には、そのニュアンスが理解できなかったようなんです。

小野先生 : 確かに、はじめて聞くと戸惑います。おそらく、ここ20~30年で浸透してきた用法ですね。「いらない」「必要ない」と言うと、やや直接的な言い方になるので、角の立たない断り方として「大丈夫」が便利に使われているのでしょう。

筆者 : 考えてみれば、店員さんは「箸を付けるか、付けないか」というごく具体的なことを聞いているのに、お客は「問題がない」と主観的に返答するというのは、一見コミュニケーションがズレています。
でも、そこには深い暗黙の了解があるのだと思います。箸を「付けなくても」「私の事情は」問題ないので「心配しないで」と、色々なことばや気持ちが省略されています。

小野先生 : おもしろい解釈です。行動や出来事の確認ではなく、気持ちと気持ちのコミュニケーションというわけですね。店員さんの気遣いに対して、「大丈夫」と応えることには、さらに踏み込めば感謝の意すら読み取れます。

筆者 : こうした一見すると非論理的な日本語の表現には、否定的な見方もあるように思います。けれど、短いコミュニケーションで深い心の交流ができているとすれば、素晴らしいこと。「大丈夫」のひとことを大切にしたいと思います。

まとめ

中国語の「丈夫」から派生して、鎌倉時代にできた「大丈夫」ということば。はじめは「きわめて立派な男子」を指したが、江戸時代ごろから「間違いない、問題ない」といったニュアンスに。現代では角の立たない便利な断り方として使われる。わかりづらさはあるが、裏には心の交流もみてとれる、あたたかい言葉だ。

取材・文=小越建典(ソルバ!)