⼩⾕ 忠典 Tadasuke Kotani
1977年⽣まれ、⼤阪市出⾝。ビジュアルアーツ専⾨学校・⼤阪に⼊学し、映画製作を学ぶ。『いいこ。』が第28回ぴあフィルムフェスティバルにて上映。マルセイユ、トリノ、ドバイ、プサン、ブエノスアイレスなど、これまで20カ国以上の国際映画祭に作品が選出。主な作品に『ドキュメンタリー映画 100万回⽣きたねこ』、『フリーダ・カーロの遺品 ⽯内都、織るように』などがある。
『たまらん坂』あらすじ
⼩⾬降る秋の⽇、⼥⼦⼤⽣ひな⼦(渡邊雛⼦)が寺の境内を歩いている。毎年、⺟の命⽇には⽗の圭⼀(古舘寛治)と墓参りに訪れていたのだが今年はひな⼦⼀⼈であった。ふと⺟の墓前に⼀輪のコスモスの花が供えられているのが⽬にとまる。⺟が亡くなってから17 年、祖⽗⺟も⻤籍に⼊っており他⼈の影を感じることはなかったひな⼦は不審に思う。携帯電話が鳴る。受話器の向こう側では⾶⾏機が⽋航になり墓参りには来られないことを告げた上で、「たまらん」と漏らす圭⼀の声が聞こえる…。
単なる“小説の映像化”ではない作品
たまらん坂。この名を聞いてピンと来た方も多いかもしれないが、たまらん坂とは国立に実在する坂の名前だ。⿊井千次さんの同名の小説のモチーフとなった坂であり、RCサクセションの楽曲「多摩蘭坂」で歌われている坂でもある。
映画制作のきっかけは、武蔵野大学の客員教授でもある小谷監督が、映像の実習授業で小説『たまらん坂』の映像化をやってみないかと文学部教授で本作プロデューサーの土屋忍さんから提案されたことだった。
「昭和のサラリーマン小説という内容なので、21世紀の大学生がそれをどう読み、どう見るのか、というところに興味が湧いて、オファーを引き受けました」
最初から映画にする予定だったわけではない。あくまで、1年間の実習授業のプロジェクトとして始まった。
「人物をまったく写さず、武蔵野の風景に原作の朗読を重ねるというのが最初のコンセプト。学生たちと話し合うなかでこういった形にしようとなったのですが、それだけだと味気ないので、誰かの読書体験として映像を見せられないかと考えたんです」
作品を観るとわかるが、実はこの映画、単なる“小説の映像化”ではない。原作を出発点として、それを読む主人公・ひな子の読書体験が描かれ、さらにひな子自身のストーリーも展開されるという、立体的・多層的な構成をしているのだ。その要因は、制作過程にある。
「この映画は大きく分けて3つのプロセスを経て完成しています。1つめは人物不在の風景パート。2つめが、主人公・ひな子が小説『たまらん坂』を読んでいる朗読パート。そして3つめが、ひな子自身の物語パートです。実習授業の1年で撮ったのは1つめだけで、そのあとはプロの俳優や技術スタッフも加わって、映画化に向かっていきました」
主人公・ひな子を演じた渡邊雛子さんは、この実習授業を受けていた学生のひとり。本作で映画初出演にして初主演を果たした。
「実習授業には15人くらいの学生がいたんですけど、みんな2年生以上で友達と一緒に参加しているなかで、彼女だけがひとり新1年生で参加していたんです。なんでこの授業を受けたのか気になって聞いてみたら、『黒井先生に会えると思って』って。シラバスか何かを読み間違えて入って来ていたんです(笑)」
誰かの読書体験として原作を見せるという試みのなかで、黒井先生に会いたいがために実習に加わった1年生の渡邊さん。そんな彼女が“読み手”としてひな子を演じることになり、やがて、ひな子自身のストーリーも膨らんでいった。
「当初ナビゲーターでしかなかったひな子という登場人物が、撮影を続けていくうちに彼女自身の物語が浮かんできたので、それを取り入れようと思ったんです。これは渡邊さんの魅力のおかげですね」
生きていくためには“物語”が不可欠
フランスのマルセイユ国際映画祭への出品をはじめ、イギリスのセント・アンドルーズ映画祭では最優秀撮影賞を受賞するなど各国の映画祭で高く評価されている本作だが、その評価も最初は驚きだった。
「海外の人が見てもわけがわからないだろうなと思っていたので、びっくりしました。“多摩蘭”と“たまらん”と“堪らん”を切々と語っている映画なので、まさか通用しないだろうなと思って」
しかし、映画祭の劇場では誰もが食い入るように観ており、メモを取っている観客も。「小説を読み終わったような読了感がある映画だった」という感想も多いという。海外で評価された理由を、「小説が持つ世界共通の役割」と小谷監督は推察する。
「読書を通して誰かの物語が自分の物語になっているという体験って、誰もがしたことあるんじゃないかと思うんです。他人が書いた小説なんですけど、読んでいるうちに感情移入を超えて、いつしか自分の物語になっている。人って生きていくためには“物語”が不可欠な生き物だと思っているんですけど、時に小説というのは、自分の物語を作ることを手助けしてくれる側面があるんです。そういったところは世界共通で、日本だけでなく世界でも共感してもらえたのかなと思います」
小説に漂う“土のにおい”の正体と、谷保という土地
小説『たまらん坂』では、多摩蘭坂の上に住む主人公・要助が坂の名の由来を、そして“たまらん”ということばの意味そのものを探し求める。そのストーリーの地盤には、実在する武蔵野の街の存在があると感じたという。
「小説では、知的でシニカルな登場人物が出てきて洗練された物語が展開されるんですけど、そのインテリジェンスに富んだ文学空間からどこか土のにおいがするんです。最初に学生たちと小説を読んでいるとき、この土のにおいの正体ってなんだろうと議論になったんですけど、考察していくなかで“小説に描かれている駅や街が実際に存在しているということ”が理由なのではないかと気づきました。黒井先生によって追及された東京郊外の実存性をはらんだ土のにおいが、行き先さだまらずあわや現実から身を切り離されそうになっている主人公・要助をつなぎとめている……そんな感じがしたんです」
小説を読んだ映画の主人公・ひな子もまた、それを追体験しながら、自分自身の過去やふるさとを追い求めるようになる。舞台は国立だが、映画ではそのほかに国立市の南に位置する谷保が重要な場所として登場する。
「小説の主人公・要助は最終的に、猥褻と純情をはらんだひらがなの“たまらん坂”にたどりついて、ある種のカタルシスを得るわけです。でも、かたや映画の主人公・ひな子にとってはどういうカタルシスを用意できるのか。そう考えたとき、谷保という存在に行きついたんです。これは小説には一切出てこない土地ですが、自然豊かな谷保をロケハンしているとき、この地域がひな子にとっては着地点になるのではないかと直感しました」
たまらん坂ということばを映画でどう引き受けるべきか、映像としてどう表現したらよいか悩んでいたときも、答えをくれたのは谷保の田園を縫うように流れる小川だった。
「小説で夏目漱石の『草枕』の一説が引用されているのですが、その『草枕』は漱石がイギリス留学時代に鑑賞したミレーの絵画『オフィーリア』が元となって執筆されたそうなんです。そこからヒントを得て、小川にひな子を浮かべて撮っているとき、たまらん、たまらんと聞こえたような気がして。ああ、やっと“たまらん”という感情を映像としてとらえることができた、発見したという感じでした」
ふるさとを想起させる「武蔵野」という響き
武蔵野を舞台に、ふるさと探し、そして母探しがテーマになっている本作。小谷監督は、「生まれてくる場所は選ぶことができないけれど、精神的な意味でのふるさとは選べるし、つくりだすことさえもできると思っています」と話す。
「日本人にとっては武蔵野っていう響きそのものがふるさとを想起させるところがあって、どこか懐かしいようなイメージがあると思うんです。映画では、所在なさを紛らわせるように読書空間をあちこち歩きまわってたひな子が、ラストでふるさとを見出す物語になっているので、この作品を観た方がそのあたりをどう感じ取るのか、とても楽しみです」
取材・文=中村こより(編集部)