東京湾は、江戸時代末期に外国からの防御のため台場が築かれました。外国船舶の往来が増した明治時代になると、海防の要として、浦賀水道を防御するように要塞が整備されました。
前号は元洲堡塁砲台を紹介しました。この砲台は除籍後の大正8年(1919)、陸軍技術本部に移管され、第一研究所富津試験場(注)として兵器の試験射場となりました。(注:昭和17年に陸軍兵器行政本部第一陸軍技術研究所富津試験場へと整理統合)研究所となった砲台跡は、近距離の兵器を試験する射場となります。扇状の砲台跡の周囲に射場の設備や、数カ所に監的所(警戒哨)や監視所のコンクリート建築物が設置されました。それらの設備は1940年代はじめに建設されたそうですが(続しらべる戦争遺跡の辞典 柏書房による)、富津試験場となった大正時代からポツポツと建設されていったかもしれません。

どうしても旧ザクに見えてしまうボウズと呼ばれる監的所

監的所の説明板だけがある。この奥が気になる……。
監的所の説明板だけがある。この奥が気になる……。

はて……。看板はあるのに実物がない。看板脇には怪しい獣道が。明らかに人間によって踏み固められた道は、経験から遺構へ通ずる道。導かれるままに松林へ分け入っていきます。

おや……!?
おや……!?

「なんと……」思わず嘆息してしまいました。松林の先、左手の奥の方にチラッと見えるのは、腐海に埋れた巨神兵の如く、旧ザク(ZAKU1)の頭部が埋まった姿です。もとい、監的所の上部分が埋まった姿です。

どうやら旧ザクが埋まっている様子……。
どうやら旧ザクが埋まっている様子……。

監的所は上部が丸く、監視の小窓が3カ所連続していますが、角度によっては2カ所に見えます。丸い形状といい小窓の配列といい、小道から見えた姿は『機動戦士ガンダム』に登場する旧ザクことMS-05 ZAKU 1に酷似していますね。あの小窓にモノアイが光ればいかにもそれらしい。私はそこまでガンダムにのめりこんでいないけれども、直感でそうだと感じました。

松林に埋まる旧ザク。近接攻撃を仕掛けようと偽装し松林に埋めた旧ザクが一年戦争後も放置されていたなどと勝手に連想したが、これは立派な戦争遺構。監的所である。
松林に埋まる旧ザク。近接攻撃を仕掛けようと偽装し松林に埋めた旧ザクが一年戦争後も放置されていたなどと勝手に連想したが、これは立派な戦争遺構。監的所である。

これもまた戦跡遺構と知らなければ、あの一年戦争後の何かを表現しているのかと思うだろうなぁ。あまりにも旧ザクに似過ぎていますが、地元の人々からは「ボウズ」と呼ばれており、確かに言われてみれば坊主頭の物体ですよね。これが林の中にある姿は、なんとも忘れられないシュールな光景です。

近づいてみる。いきなりモノアイが点灯したら怖い。先ほどの監視所よりも小ぶりだ。
近づいてみる。いきなりモノアイが点灯したら怖い。先ほどの監視所よりも小ぶりだ。
ぐるっと小窓側の面を回ってみると窓は三連で、こちらからだと旧ザクには見えない。むしろ大きな換気塔のようにも思える。
ぐるっと小窓側の面を回ってみると窓は三連で、こちらからだと旧ザクには見えない。むしろ大きな換気塔のようにも思える。

監的所は小窓側が地中に埋まっていますが、中は大人が立つために背が高く、裏側に回ると両脇が階段状となった遮蔽物があり、一人分の幅の入り口が空いています。中に入ることも可能で、円形の空間は直径が2メートルくらいかと思いますが、大人4人が入ると窮屈かもしれません。

裏側が入り口だ。土盛りで埋まっていたが入り口側は屈むと入れるほどの高さである。気を緩むと天井に頭をぶつけるので注意(痛かった)。
裏側が入り口だ。土盛りで埋まっていたが入り口側は屈むと入れるほどの高さである。気を緩むと天井に頭をぶつけるので注意(痛かった)。
こちら側から見れば監的所だなと分かる構造だ。
こちら側から見れば監的所だなと分かる構造だ。
周囲はそこそこ土が盛られている。監的所の壁面から草が生えてきているのは自然に還った遺構の定めであろう。
周囲はそこそこ土が盛られている。監的所の壁面から草が生えてきているのは自然に還った遺構の定めであろう。
入り口は遮蔽壁らしき壁で覆われているが階段状になっているのは視界確保だろうか。
入り口は遮蔽壁らしき壁で覆われているが階段状になっているのは視界確保だろうか。
内部は狭い。大人4人が立って窮屈と感じる。内部はがらんどう。
内部は狭い。大人4人が立って窮屈と感じる。内部はがらんどう。
内部は土が入り込んでいる。気をつけないとこういった構造物につまずく。これは遺構なのか不明であった。
内部は土が入り込んでいる。気をつけないとこういった構造物につまずく。これは遺構なのか不明であった。

しかし上部が丸い理由はイマイチ分かりませんでした。監的所は敵の上陸を見据えてというより、射弾観測や危険防止の監視をしていたので、弾が跳ね返りそうな半円形にしたのかと想像していました。

いま自分が持つ知識と資料では、この監的所の構造について判明しなかったのですが、この記事が世に出たらそのうち分かるのではないかなと、他力本願ながら淡い期待をしています(笑)。

旧ザクと間違えるほどの上部はお椀をひっくり返したほど立派な半円形であった。
旧ザクと間違えるほどの上部はお椀をひっくり返したほど立派な半円形であった。

ということで、遺構散策はまだ続きます。一カ所をじっくり観察すると時間がかかりますね(汗)。もう少しお付き合いください。次号は射撃設備ともう一カ所の監的所を紹介します。

取材・撮影・文=吉永陽一