初代から二代目へ創業の魂を守りつつ進化する味
赤羽といえば有名なせんべろの聖地。『まるます家』を始め、朝から呑める老舗居酒屋がひしめくOK横丁や一番街は赤羽駅東口。『手打ら~めん 満月』も1973年(昭和49年)、飲み屋街のある東口のすずらん通りで創業した。初代店主の萩谷和邦さんが築き上げた店はわずか3坪から始まり、今では西口に移転して25席と大勢のお客様を迎える。
3坪のお店で開業して3年ほど経った頃、よく食べに来てくれていた大家さんから「大きな店でやらないか」と誘われ移転。3坪が一気に20坪になった。
「両親は正直すごく不安だったそうです。そうしたら友達(元々はお客さん)が、従業員として手伝ってあげるから一緒にがんばろうって言ってくれたそうなんですよ。みんなに助けられてスタートしたんです」と当時を振り返って語ってくれたのは初代店主の長男で二代目店主の尚紀さん。
その後、建物の老朽化に加え、隣に建設された建物の影響で店前に「満月いくのは命がけ」と言われるほどの強風が吹くようになったこともあり、2019年、現在の店に移転することを決めた。移転は初代から本格的に店を任せてもらういいきっかけになったという。
小学生の頃、文集に「将来はラーメン屋さんになる」と書いていた尚紀さん。しかし、高校卒業直前に父から言われたのは「高校卒業してそのままラーメン屋になれると思うなよ」。
「正直それは自分でも思ってましたね」。高校卒業後、尚紀さんは和食の道で6年ほど修業して、食の基本を覚えた。そして、その和食の経験は、『満月』のラーメンに変化をもたらす。
「それまでの初代のラーメンに和食のテイストを合わせ、少しずつ味を変えていきました」。例えば、基本は豚ガラ、鶏ガラなど動物系スープだったのが、鰹節をプラスして和食寄りの穏やかな味に。「親父の味を極端に変えてしまわないよう、相談というかケンカしながら(笑)」。
独自のルーツで継承された満月自慢の青竹手打ち麺
では、基本のら~めんをいただきます。まずはスープから。動物系の出汁の旨みがカツオ出汁で上品にまとめられた、甘みのあるスープ。これは絶品! レンゲが止まらない。危うく麺を食べないままスープを飲み干してしまうところだった。
麺は『満月』名物の青竹手打ち麺。柔らかな食感にほどよい縮れで跳ねつつ魚介香る和風スープを吸い上げる、極上の麺だ。見た目も工程からも佐野で修業したような満月の麺だが、実は別のルーツで生まれたものだそう。
「親父の話では、親父は茨城県ひたちなか市で『暖宝』というラーメン屋をやっている弟から青竹手打ち麺の技術を教えてもらったそうなんです。その弟の師匠である叔父は、横浜の中華街で青竹手打ちの技術を習得して、佐野の隣町で青竹手打ちのラーメン店を営んでいたんです」
そして、スープで8時間茹で、3時間タレで煮込んだチャーシュー。これも初代と二代目、親子でぶつかりながら仕上げた味だそう。
ぶ厚く切られたチャーシューは、口に入れるとトロトロに。スープに浸しておくと油が溶け出し、スープの味の変化も楽しめる。あっという間に完食! もちろん、スープは一滴残らず飲み干しました!
みんなのアイデアから生まれる豊富なメニュー
青竹で打つ極上の麺を活かすために生まれたメニューがざるラーメン。今でこそ、ざるラーメンは一般的だが、『満月』には開店当初からあったそう。
「もともと親父は蕎麦が大好きなんですよ。お袋が『それだけざるそばが好きなんだから、うちの麺でざるそば作ってみなさいよ』と言ったのがきっかけで、親父が試行錯誤しながら作ったメニューです」。
豊富なメニューは賄いから生まれた『野菜炒めざるらーめん』など初代が考案したメニューのほか、和食の経験を活かした季節のメニューなど二代目が考案したものも多い。お客さんやお店のスタッフの何気ないひと言で生まれるメニューもある。アイデアを出せば二代目が形にしてくれるのだ。
地元の人が「ただいまー!」と帰ってくる、赤羽になくてはならない店
開業当初から赤羽の人々に助けられ、そして愛されてきた『満月』。子供や孫、ひ孫と5世代にわたって通う常連客も多い。前にお店で働いてくれていたスタッフが親になり、その子供がバイトに入ってくれることも。いつしかみんなが「ただいま」といって帰ってくる店になった。
「満月さんでならバイトしていいよ」と子供に話す親もいるそうで、小さい頃から通っていた子が「高校生になったからバイトで使って」と言ってくることも。だから、バイトを募集したことはないんだとか。「妻の友達とか、息子の友達のお母さんとか、どこか繋がりがある人たちばかりが働いてるんで。ほんとみんな家族ですよね」
これからも「できる限り手間を惜しまず、自分でできることをやって、美味しいものを作っていきたい」と話す二代目。『満月』の店名は、お客様が常に満ちてくれるようにと、初代がつけた。「親父がよく『ラーメンを作るのは、豚ガラ、鶏ガラ、人柄だ』って言ってました。お客様を思う心がなかったら商売はできない、お客様のこと考えなきゃダメだってよく怒られましたよ。それは忘れないようにやっていきます」
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=大熊美智代