爪切男 つめ・きりお
1979年、香川県生まれ。文筆家。2018年に私小説『死にたい夜にかぎって』(扶桑社)でデビュー。母の愛を知らずに育ち、学校のマドンナには「君の笑った顔、虫の裏側に似てるよね」と言われて、うまく笑えなくなった子供時代。人生初めてできた彼女はカルト宗教の信者、そして六年間共に暮らした最愛の恋人アスカとの日々……。その人生を綴った同作はTVドラマ化もされた。2021年は2月24日に『もはや僕は人間じゃない』(中央公論新社)、3月に『働きアリに花束を』(扶桑社)、4月に『クラスメイトの女子、全員好きでした』(集英社)と3か月連続で新著を発売予定。
このビルの4カ所で借金してました
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いや、出会い系で知り合った若い女の子と2年前に一度来ました。「多少は勝手を知ってる相模大野と町田ならこんな俺でも戦えるぞ」と思って(笑)。
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住んでた頃のお店はかなり潰れてましたね。僕がいた頃は北口に『ボーノ相模大野』(タワーマンション併設の大型商業施設)はまだなかったですから。ただ、毎月の借金返済で通ってたこのビルは残ってますね。
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『アコム』『プロミス』『アイフル』『ノーローン』と、当時このビルに入っていた消費者金融の4社から借金をしてたんです。清掃業者がムチャクチャな消毒をしてるのか、ビル全体がとにかく洗剤臭くって、その匂いがイヤだったんですよ。返済日には多重債務者の同士たちが集まってきて、中が異様に混雑するときもあったなぁ。
爪 : 当時は実家の借金に加えて、アスカのマルイの借金も自分が背負ってたから、金額はすごいことになってましたね。返済日はこのビルの階段を何度も昇り降りしながら「たぶん完済は無理だな」と思ってました。
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でも、「何であんなに楽しかったんだろう」って記憶ばかりなんですよ。借金はあっても、好きな服は古着屋で、CDや本はブックオフで安く買うって感じで、金がないならないなりに工夫するのが楽しかったです。あと何よりハートが強くなりましたね(笑)。
相模大野に住むのは「上京」?
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親父に勘当されて地元を出たので、東京に来たときは貯金が全然ない状態でした。なんとか住めそうな場所を探したら、不動産屋に「相模大野はいいですよ。最低限の施設が全部ある街だし、小田急1本で新宿にも出られるし」と勧められたんです。それでどんな場所かも知らずに住みはじめました。相模大野は神奈川県なので、「上京」じゃないですね。
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東京で路上スカウトを取り締まる条例が施行された時期、町田にいたガラの悪いスカウトが一斉に相模大野に移ってきたことがありました。東京の条例は神奈川では無効なので(笑)。あと、夜の9時以降はあたりが真っ暗になる香川のド田舎で生まれ育った自分は、朝まで遊べる場所が多い相模大野に感動しました。
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カラオケ屋さんとか『アドアーズ』というゲーセンによく行ってました。よくゲーセンに「大量にメダルを持っているヤバいカップル」っているじゃないですか。俺とアスカはアレだったんです(笑)。ゲーセンの会員になって、大量のメダルを店にストックしてましたね。深夜に2人して『TSUTAYA』で3時間くらいダラダラ過ごして、何も借りずに帰ったりするのも楽しかったです。昼間は駅ビルの中にある楽器屋のピアノを弾きまくって、2人とも出禁になったりしてました。
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俺、相模大野にいた頃は1文字も文章を書いてないですからね(笑)。あとアスカは、普通の女の子と面白さの感性が違ってて、一緒に遊んでいて楽しかった。さっきのゲーセンでの話ですけど、コナミが『バトルクライマックス』っていうアーケードで遊ぶプロレスカードゲームを出してたんです。そこで育成して強くするレスラーを選ぶとき、俺がライガー(獣神サンダー・ライガー)を選ぼうとしたら、アスカが「それじゃ普通過ぎてつまんない。飯塚(飯塚 高史)でやって」ってリクエストしてきたから、飯塚をメチャクチャ強くしたなあ。
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ヤフチャ(Yahoo!チャット)ですね。当時の大喜利のチャットルームには、AV監督のジーニアス膝とか今も付き合いのある人も多いです。それと並行して遊んでたネット大喜利の世界には、僕の単行本の表紙を描いてくれたポテチ(光秀)君とか、「レンタルなんもしない人」とか、こだまもいました。
昔、当時参加していたヤフー大喜利チャットのオフ会に生まれて初めて参加したんですが、そのオフ会の翌日に2ちゃんねるのあるスレに「tsumekiriman:顔面偏差値42」って書かれてあるのを見てネットのすごさを知りました。
— 爪 切男 (@tsumekiriman) March 10, 2012
最近のこだまは、まず一言目でこちらを腐してからじゃないとまともに喋ってくれない。 https://t.co/J5lTBPXR0x
— 爪 切男 (@tsumekiriman) November 26, 2020
上で名前の挙がった方々はウェブメディアや書籍での活躍で今やおなじみ。『夫のちんぽが入らない』が反響を呼んだこだまさんとは、同人誌も一緒に出していた。
ヤンキー文化で覚えたBOØWYを歌う
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商店街の先にあった「伊勢丹」がなくなって、寂しくなりましたね。スタバが1階と2階に入ってるビルには、僕が住んでた頃はタワレコが入ってて、向かいには中古CD屋さんもありました。特にタワレコの視聴コーナーは入り浸ってましたね。中古CD屋さんは、CDの他にゴスロリファッションのアイテムも売っていて面白かったです。レアなビジュアル系のCDがたくさん置いてて重宝しました。あ、そこも今はそば屋になってますね。
爪 : 町田にもヴァージン・レコードがあって、音楽関係の店はすごく充実してたんですよ。その他の買い物も相模大野と町田でほぼ揃うので、当時はあまり都心にも出なかったです。遊びに行くなら新宿よりも下北沢でした。よく行っていたカラオケは今もありますね。
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この店はあまり変わってないですね……。当時は仕事が不規則で、普段の生活リズムがメチャクチャでした。だから24時間いつでも開いているここで、深夜から朝まで歌ってましたね。
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アスカも僕もビジュアル系が好きだったので、BUCK-TICKとかSOFT BALLETとかですね。あとはGUNIW TOOLS、Sleep My Dearとか幻覚アレルギーとか(笑)。アスカはLUNA SEAのファンクラブ「SLAVE」にも入っていましたから。
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えー、分かりました(笑)。なら、いま話題※のBOØWYでも歌いましょうか。俺の経験から言えば、BOØWYは間違いなくヤンキー文化ですよ。俺がBOØWYの曲をだいたい歌えるのは、学校の怖い先輩にCDを無理やり渡されて「お前、明日までに全部ソラで歌えるようにしてこいよ!」って命令されたからですから。
※この取材の行われた頃、TwitterでBOØWYとヤンキー文化の関連性が話題になっていた。ちなみにこの先は、BOØWYが好きなカメラマン・鈴木さんとBOØWY談義も。
昨日のBOØWYとヤンキー文化の話、メンションなどを入れると本当はもっと膨大にありましたが、取り敢えず「BOØWY」で検索して拾えたつぶやきだけまとめてみました。面白い!
— 石井公二(『片手袋研究入門』実業之日本社より発売) (@rakuda2010) October 21, 2020
「BOØWY=ヤンキー文化」?あらゆる世代、地域の方々によるBOØWY体験談 - Togetter https://t.co/JbrAaDtFQr @togetter_jpより
カメラマン鈴木 : BOØWY聞けるなんて超嬉しい!私、たしか中2か中3の遠足のバスの中でBOØWYの解散のニュースを聞いて、みんなが「ギャー!!!」って絶叫したの覚えてますもん。みんなBOØWYの曲は歌えたし。
――そんなに衝撃だったんですね。
鈴木 : 衝撃でした。だからみんな歌える(笑)。その後にCOMPLEXが出てきて……。
爪 : じゃあCOMPLEXにしましょう。COMPLEXもだいたい歌えますから。
鈴木 : 私もだいたい歌えます! 1曲聞けば、アルバムの次の曲が何かもすぐ分かりますから。聞きすぎて(笑)。
――じゃあぜひお願いします!
――お上手ですね!
鈴木 : 誌面で歌を伝えられないのが残念~!
爪 : 先輩とカラオケに行くときは、それなりに上手く歌わないと殴られたんですよ。音楽の授業の歌のテストでも、クラスのヤンキーたちから命令が来るんです。「氷室歌え」って。
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今着ているTシャツのとおり、僕のちょっと上は『ビー・バップ・ハイスクール』の世代でホントに怖かったんです。学校でシンナー吸っていた人とか、学校を退学になった先輩が校庭をバイクで走りに来たりしましたから。あとカラオケの思い出だと、先輩が歌ってる途中はトイレも行けないし、先輩と同じ曲は絶対に歌えないし、気を遣い過ぎて全然楽しくなかったですね。ホントに大変でした。
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歌いますね。父子家庭に育ったのもあって、僕の面倒を看てくれた、じいちゃん、ばあちゃんとテレビを一緒に見る機会が多くて、NHKの『歌謡コンサート』みたいな歌番組で尾崎紀世彦とかペドロ&カプリシャスとかの歌を覚えました。あと親父は地域の納涼のど自慢大会によく出てました。加山雄三やジュリーの歌が抜群にうまかったですね。
失恋で1人泣いた『ベローチェ』も消滅
カラオケを出た後は、また相模大野駅の北口側を歩いた。
爪 : やっぱり潰れてる店が多いですね。向こうに見える建物に『サイゼリヤ』があった気がします。あとアスカが「あの店で働いている」と言っていたけど、何か怪しいなと思って跡をつけて行った漫画喫茶は残ってますね。今は別の店名です。『死にたい夜にかぎって』にも書いたけど、結局ここをすぐ辞めて、全然働いてなかったんですよね。
爪 : 深夜にガッツリ食べたいときによく入っていた『揚州商人』はまだありますね。ここは朝5時まで開いていたんで、よくレタスチャーハンを2人で食べました。俺とアスカってどの飲食店でも気に入ったメニューができたら、もうそれしか頼まないんですよ。だから、飯の好みでケンカになることはなかったです。
爪 : 『揚州商人』の近くで無くなったお店だと『ベローチェ』にもよく行っていました。『ベローチェ』とか『サイゼリヤ』はとにかく安いので、学生、フリーターに俺らとか、金のない奴らがカチ合う場所でしたね(笑)。いま『ボーノ相模大野』がある場所には商店街があったんですけど、それもほぼ面影がないですね。
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その商店街にはピンサロも普通にありました。あとベローチェが入ってたビルの地下にはエロDVD屋もありました。隣は『松屋』なんですけど、深夜に『松屋』で飯食ってからエロDVD屋に寄ると、さっき松屋で食べてた人がそこにいて(笑)。『考えることは同じかよ』って! 食欲と性欲が交わる深夜のオアシスでしたね。住んでいたのは駅の反対側なので、そっちも歩いてみましょうか。
好きだったダイドーの自動販売機
爪 : 駅前の小さな広場では、当時いきものがかりの水野さんが路上ライブをしてました。相模女子大の子たちに大人気だった記憶があります。ここまで売れるとは思いませんでした。
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少し離れるとほぼ家しかないですからね。あ、この街に引っ越してくるアスカと待ち合わせをしたファミマはまだやってますね。僕たちが一番使ってたコンビニの『ポプラ』は、閉店してセブンイレブンになってる。ここを経営してた老夫婦はどうなったのかな。
爪 : 僕が住んでた家はここから徒歩5分くらいです。南口には遊ぶ場所が少ないので、アスカとケンカをして家を飛び出したら、時間を潰せる場所が多い北口まで行ってましたね。
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四畳半のワンルームに2年半一緒に、ですね。でも、あの頃がいちばん仲が良かったんですよ。2人とも全然人生が上手く行かなくて、ブタ箱みたいな汚い部屋で生活して、ホントにしんどかったはずなんですけど、今思うと悪くなかったなって。劣悪な住環境に負けず、お互いを思いやって生きていたし、恋人というより戦友に近かったですね。部屋が2つある豪華な場所に住んでたら、住む場所へのストレスは少なくなっても、お互いの心はもっと離れてたかもな……とも思います。
爪 : うん、何度振り返ってみても楽しかった思い出しかないですね。ただ、アスカのほうは違う気持ちを持っているかもしれないし、「すべてをいい思い出にしちゃうのはよくない」って本人から注意されましたね。あ、住んでたアパートはあそこですね。
――きれいな建物じゃないですか。
爪 : 中は4畳半で、布団を小さく折りたたまないと日干しできないほどベランダも狭くて。あのベランダで押しくら饅頭をしながら2人で並んでタバコを吸ってました。いやー、懐かしいな。近くにあった、アスカの好きなダイドーの自販機もまだ残ってますね。
――またマイナーな好みですね(笑)
爪 : あの子、当たり付の自販機が好きだったんですよ。ダイドーって数字のルーレット式くじが付いてるから。本当にあの子って、街を歩いてても知らない人に平気で話しかけるし、入りづらい外観の店にもどんどん入っちゃうタイプでした。そのおかげで街の面白スポットはたくさん開拓できましたけどね。二人で通い詰めていた喫茶店の『アンジー』も最初に見つけたのはアスカです。
――ここですよね。入りましょう!
『アメリ』とかしゃらくせえ!と思う時期
爪 : この喫茶『アンジー』が今も相模大野に残っているのが一番嬉しいですね。店主の方も手書きのメニューも、店内の映画のポスターもぜんぜん変わってないです。
――ここにはよく来ていたんですか?
爪 : 2人で週3,4日は来てましたね。いつまでもダラダラ座っていられるソファー席がお気に入りでした。アスカは無職になってからは昼も夜も時間を潰すならここで。「アンジーで待ってるね」と言われて、俺が仕事帰りにここに寄る感じです。
――この店は喫煙もOKですよね。お2人ともタバコを吸うんですか?
爪 : 吸いますね。アスカの方が吸うんです。俺は「俺はタバコは心を許している君の前でしか吸わないんだ」って格好つけて、アスカと一緒にいるときしかタバコを吸いませんでした。
――何の誠意なのか分からないですけど(笑)
――音楽も90年代で時が止まってる感じがたまらないですよね。今はユーミンの『REINCARNATION』が流れてますけど、前に僕が来たときはOASISやWeezerが流れていました。
爪 : 住んでた頃はRadioheadの『creep』もよくここで聞きました。あと前に来たときはA-haの『Take On Me』も流れてましたね。
――今や一周回って格好いい曲ですよね。
爪 : 「『Take On Me』はすごい!」って思ってるのに、スタンダード的なものを素直にいいと口に出せないイタい時期があって。アンジーも同じで、本当は店の雰囲気が大好きなのに、一緒に来てる彼女には「『アメリ』とか『バグダッド・カフェ』とかしゃらくせえ!」という態度を取っちゃう(笑)。上京して何年か経って東京に慣れてきた田舎者が、一時期ヴィレヴァンを苦手になるのと一緒ですよ。今は『Take On Me』もヴィレヴァンも普通に大好きだと言えるんですけどね。
――そういう時期、ありますよね(笑)
爪 : 昔は、味もよく分からないのにペリエを頼んでましたし、僕みたいなイタい田舎者が少しずつ成長していくには最高の場所でしたね。そして今はまた、この店のテイストを素直にカッコいいと思えるようになった。この店がある限り相模大野には来たいって思います。
――久々に相模大野の街を歩いてどうでしたか?
爪 : こうやって店の中を見たり、街の景色を見たりして、いろんな記憶が蘇りましたね。あの頃は本当に生きるのに精一杯でしたけど、もう少しゆっくりと、愛する恋人といっしょにこの街を楽しめばよかったという後悔もあります。でも皮肉な話で、文章を書く仕事をできるようになった今は、この『アンジー』みたいなお店が家の近所にないんですよね。自分が何もしていなかったあの頃にはすぐ近くにあったのに。いくらでも通えた店だったのに。寂しいです。
――執筆場所として通ったらいいんじゃないですか?
爪 : 無理ですね。僕は喫茶店にいると、店員さんもお客さんも、店内の人を全員好きになっちゃうから、仕事に集中できない人間なんですよ(笑)。
取材・文=古澤誠一郎 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年12月号より加筆・再構成