「遠くまでずっとバラック街よ」
この店の入る駅ビル、『東急プラザ蒲田』屋上には、戦後昭和期に蒲田に暮らした人々の、思い出の象徴といえるモノがある。いまや、都内唯一となった屋上観覧車である。
戦中、昭和20年(1945)4月の空襲で蒲田の街は大きく焼かれてしまい、また延焼を防ぐために建物を間引く建物疎開が行われていたこともあり、戦後まもなくは、駅前は荒れ地のようになっており、ここにおびただしい露店が生まれ、駅前を席巻した。当時を知る古老に私は話を聞いたことがあるが、西口あたりは「遠くまでずっとバラック街よ」と、猥雑ににぎわう駅前風景を端的に表現していたことが思い出される。
猥雑さを残しながら発展していった街、愛されたランドマーク
昭和30年代に入って区画整理が進んで、商店街が生まれたが、細かな店が並ぶ駅前は、やはりどこか猥雑さを残しながら発展していった。蒲田を含む大田区は、よく知られているように町工場が多数たちならび、京浜工業地帯の一翼を担い、間違いなくこの国の高度成長に貢献した街。そこで働く人々、街で暮らす人々は、戦争の時代を越えて、ようやく少しの余裕を持つに至った。家族みんなで買い物をしたり、食事をしたり。
行く先のひとつが、デパートであった。
家族連れに喜んでもらおうと、各地のデパートでは、「屋上遊園地」を設けるところが多かった。蒲田では、この『東急プラザ蒲田』がまさにそう。1968年、開業の年から営業を開始した「屋上観覧車」は、そのデザインから、「お城観覧車」の愛称で愛され、街のランドマークとなって、45年に渡って営業を続けた。
「街の『座りがわるい』よ」
ところが、2014年3月、施設リニューアルにともない、閉鎖が決まる。高度成長期も、バブル期も過ぎ、各地の屋上遊園地が消えゆく時代にあって、仕方ないこと――。
……と思うところ……。
地元からそれでも存続してほしいという声が次々とあがり、なんと、同年10月に復活を遂げてしまった。経済合理性だけで考えたら、復活出来ただろうか。事業者を動かした蒲田の人々の思いがなんとく分かる気がする。あの観覧車がなくなったら……。
「街の『座りがわるい』よ」
と感じた人が多かったのではないだろうか。
この観覧車、ゴンドラは小ぶりで、観覧車全体もかなり小柄、誠にささやかなものなのだが、ささやかなのに、街に重み、安定を与えていたのではと。便利さを高めたり、新しくしていくことが街にとって常に正しいわけではないだろう。
「いつも見ているものではないけれど、街のみんながそこにあってほしい」
そんな、人の「願い」のようなものが集まっている場所は、おそらく、壊さないほうがいい。小さな観覧車で蒲田の街をみつめながら、そんなことを思った。
さあ、最後に一杯やりにでよう。なんともすばらしい名前の横丁が近くにある。その名も「バーボンロード」。これは、ささやかに終われるかどうか!
取材・文=フリート横田 写真=フリート横田、PhotoAC








