むわっと漂う空気に包まれてアパート内へと入る
前回は坑内探検ツアーを紹介しました。池島炭鉱のツアーはもう一つのオプションコースがあり、それが「島内観光ツアー」です。ワゴン車で巡るために参加人数も限られますが、普段は立入禁止の公開アパート(社宅)の一室を見学し、同じく立入禁止の第2立坑の外観を見学できます。公開アパートは、遺構となった建物の一室を見学できるようにしたもので、個人で訪れたらまず見ることが叶いません。
坑内探検ツアーが終了した後、ワゴン車に乗り移って島内観光ツアーが開始されます。こちらは坑内とは別の元炭鉱マンがガイドさんとなり、現役時代の島の生活の様子を教えてくれます。前々回に探索した郷地区についても教えていただき、スナックの廃墟が印象的だったことを話すと「スナックはたくさんありましたよ」と満面の笑み。命を張って海底炭鉱で作業をした炭鉱マンにとって、素敵なママさんが出迎えるスナックは心の安らぎの場であり、現在の静けさからは想像できないほどスナックだらけだったそうです。
と、雑談しているところで目的の棟へ到着。公開アパートは4階建てで、周囲の棟と比べて蔦(つた)がないものの、廃墟という雰囲気は漂っています。人が住んでいないからかな。ガイドさんが入り口の扉を開け、促されるままに遺構へと入ります。堂々と入っていいのか躊躇しますが、ツアーだからこそ中へ入れるのです。
階段室へと踏み入れると、むわっと澱んだ空気に包まれます。季節は冬季なので臭いませんが、空気が滞っている感じです。各戸の窓は住人が退去した後に板が打ち付けられ、踊り場階段の窓も閉じられたままです。部屋によっては板が劣化して窓ガラスも破損し、外気が入り込むところもありますが、プレスドアの玄関扉はかたく閉じています。空気が澱むのも仕方ありません。
階段を上がります。炭鉱住宅といっても普通の団地であり、踊り場も1960〜70年代築の鉄筋コンクリート造りの団地アパートと同じです。目に留まったのはダストシュートで、現代のようにゴミ分別とゴミ袋が徹底されていなかった時代、このダストシュートにゴミを投げ入れていました。
途中の階で、「安眠中」という赤布の札が掛かっています。現役時から残っていたものではなく、見学コースとなってから取り付けたもので、当時を再現するために掲げています。
「炭鉱は24時間営業3交代制なので、夜勤の人が日中に起こされないための札なのです」
とガイドさん。日中に熟睡しているところ、状況の知らないセールスが外から訪れてブザーを鳴らすことも多々あり、安眠が妨げられるからと札を掲げていました。すると、大抵は避けてくれたそうです。
再現された炭鉱の暮らし
目的の部屋へ到着しました。見学のために公開している部屋は最低限の補修のみで、室内を池島炭鉱全盛期の昭和時代に合わせて再現したものです。そのため、何十年も前の品々が配置されていますが経年劣化程度のくたびれかたで、壁に貼ってあるポスター類も再現したものであるから色褪せていません。ポスターの内容は現役当時のものです。
家財道具、食器、保存食などなど、昭和40〜50年代のものが部屋の中に置かれ、それがあまりにも自然な雰囲気だから、とある家族が忽然と消えて数十年経過した部屋にいるような気がしてきました。これらの品々はガイドさんたちが集めて配置したとのことで、実際にガイドさんがアパートで生活をしてきただけあって、生々しいほどにリアルです。そう、下手な映画のロケセットよりも(笑)。
キッチンとリビング兼ダイニングが二間続き、隣が子供部屋で、トイレにはファンシーなステッカーが貼られています。和式便所は各戸に設置されていたものの、風呂のスペースがありません。ほとんどの住民は近隣の銭湯へ通っていました。現代の感覚ではトイレと風呂付きがマストですが、この当時はトイレ付きだけでも先進的でした。
「おおかたの棟はトイレ付き風呂無しで、風呂有りは幹部など一部の部屋でした」
軍艦島(端島)では風呂付きアパートが幹部の棟のみでしたから、池島も同じだったようですね。気になる家賃については「700円でした」と、卒倒しそうなほど破格の安さです。炭鉱住宅の家賃はほとんどかからないと聞いていましたが、1000円以下とは……。
屋上で出会う廃絶景
公開されている部屋はベランダの外にも出られます。ベランダには見学時に増設された階段が備わり、屋上へと上がることができます。屋上は見学のために設置されたもので、現役時代は上がることができませんでした。
屋上からの景色は、廃絶景!と表現したくなるほど、360度ぐるっと見渡しても廃、廃、廃です。今立っているところも廃墟であれば、周りも引けを取らないほどの廃墟です。この一部の棟は現在でも住居となっているため、全てが廃墟とは言えませんが、蔦の絡まった棟と背後の海原の対照が脳裏に焼き付きました。それほど印象的な光景です。
アパートはツアーに参加できて屋上目線が実現でき、この棟も含めて低木が根を張ってきつつあることが目につきました。ちょっと高い目線からは、確実に自然の手が伸びてきて飲まれつつあると強く感じられます。
しばらく部屋の中に居たいのですが、ツアーは時間が決まっているため、後ろ髪引かれる思いでアパートを後にします。移動を始めると、ガイドさんが思いついたように回り道をしました。蔦だらけのアパート前で停車し、「よくご覧ください」と促されるままアパート入り口を凝視すると……車が埋もれている!
「ミラですね。誰かが置いていったのでしょうね」
軽自動車のダイハツ・ミラが蔦に飲み込まれて同化しているではないか。前日、ここを通った気がするけど、全く気がつきませんでした。植物の力は人間には抗えない強さを秘めているのだなと、これからも蔦の中へと飲まれていくミラを見つめながら、しみじみと感じるのでした。
近年まで稼働していた第2立坑とシンボリックな8階建てアパート
続いて見学するのは、池島の西の外れに位置する第2立坑です。池島炭鉱は戦後に開発された海底炭鉱であり、他の炭鉱と比較すると当初より設備の機械化と省力化が推し進められてきました。坑道は蟇島(ひきしま)の海底へと奥深く進行していき、島内にある第1立坑からは遠くなり、坑道も複雑化していきました。
そこで島の西端に第2立坑設備と関連事務所を建設して効率化を図ることとなり、1981年に第2立坑が建設されました。それまでは斜坑を人車で乗り継いで昇降していたものが、立坑によって垂直移動でき、入坑時間が約30分間短縮されることとなりました。
1980年代の新しい立坑の遺構を見にいきます。ガイドさんはゲートの鍵を開け、一本道を進むとすぐ目の前に立坑のエレベーター巻上機滑車が目に入りました。空高く聳える巻上機は閉山後も研修施設として活躍し、海外からの研修生を地下の坑道へと運んでいました。閉山年の2001年からストップしているわけではなく、近年まで稼働していました。しかし、常に海風に晒される環境に置かれているため、ところどころ錆が目立ってきました。
「あ、あれは鳥の巣じゃないですかね」
ガイドさんが指差す先には、滑車の上に木の枝の塊が確認できます。おそらく海鳥が巣作りしたのでしょう。滑車に巣がある姿と、蔦に飲まれたミラが重なって見えてきます。
立坑の建物は団地群と比較すると若干新しめではあるものの、蔦に浸食されつつある状態で、あと数十年もすればすっかり緑の中へ没しそうです。建物内はさすがに立ち入りできず、内部はどうなっているのか窺い知ることはできません。閉山後に開始した坑内探検ツアーの初期は、まだ第2立坑の建物が活用されていたので、建物に入って説明を受けていたようです。
最後はガイドさんが「8階建て」の外観を紹介します。8階建てについては以前お伝えしましたが、池島炭鉱のシンボリックな団地であり、斜面を利用して1階と5階の二箇所がアパートの出入り口となっていました。
8階建ての目の前は小さなロータリーがあって、機能的かつ少し無機質な空間で、ちょっと日本離れしているような雰囲気を感じました。それは8階建ての階段踊り場部分が出っ張り、四角四面の“The 日本の団地”とはかけ離れたデザインだからでしょうか。
8階建ての向かい側は50番台のアパートが並んでおり、「これらの団地が棟内で新しいのですが、ご覧のとおり朽ちて来ています」とガイドさん。新しいといっても1970年代の建築で、半世紀は経過しています。それなりに古さは滲み出ていますね。
手前の8階建ては1950年代建築でありながら朽ちている感じはせず、建っている場所によってくたびれ方が異なるのでしょうか。アパートとアパートの間は木々が成長していますが、現役のころは憩いの空間だったりテニスコートだったりと、今の姿からは想像できません。閉山から20年でこんなに植物が……という発言は、池島に来てから何度も呟いてきましたが、何があったのか隠してしまうほど、本当に植物の力は強いですね。
島内観光ツアーはこれにて終了しました。参加者が多いとガイドさんへの質問が限られてしまうかもしれませんが、元炭鉱マンによる貴重なお話が聞けるので、参加する際は率先していろいろと尋ねてみましょう。
最後に、前回と今回で紹介した池島炭鉱のツアーは、残念ながら2026年度で終了してしまう予定です。終了後は坑内も公開アパートも見学できなくなると報道がされており、その後の遺構の扱いが気になります。なお、団地群の外観などはこれからも見ることが可能です。
取材・文・撮影=吉永陽一








